『赤髪鬼』
月には人を惑わす力がある。以前、主に聞かされた時は、何のことかと思っていましたが、最近になってようやく理解することができました。
なぜなら、賊共が主の城に隠された秘密を狙って訪れるのは決まって夜。特に今晩のような満月の日には必ずと言っていいほど団体で訪れるのですから。
窓から見えるのは、月に照らされた乾いた大地と僅かばかりの緑地。そして街から離れた辺鄙な場所に建てられた主の城に向かって歩く集団。明かりを誰一人も持たず、闇夜に紛れるように歩く姿に一抹の不安を感じます。
恐らくは賊。ただ万一の事を考え、主のお客様として出迎えることにしましょう。お客様は快く迎えること。それが主の命令です。
まずは手にしていた掃除道具を片づけ、次に掃除の成果を確認。
自画自賛になってしまいますが、会心の出来といっても良いのではないでしょうか。仕える主の為、身を費やすのはメイドとして当然のこと。ですが、ついお褒めの言葉を期待してしまうのもメイドの性分でございます。ベッドに横たわる主をちらりと見ますが、眼を瞑ったままです。掃除をするには非常識な時間ですが、これも主の命令の一つなので気にしないことにしています。当然、眼を覚ますことのないように配慮も忘れてはおりません。
眼を閉じたままの主に一礼し、物音ひとつをたてず扉をしめ、足音を立てることなく廊下へと出る。何十、何百と繰り返した所作に乱れはない。
お客様を出迎えなければならないというのに、視線がおのずと泳いでしまいます。原因は考えるまでもありません。ここ最近の城内の荒れ具合は、いくらなんでも目に余る。
壁は朽ち果て、積み重ねられた煉瓦が崩れかけているかと思えば、石床も所々ひび割れ、亀裂が走る始末。これでは、まるで廃墟のような酷い有様。私が直すことは容易いですが、主の許しもなく、勝手な真似が出来ません。しかし、このままでは言い訳ありませんし、万一、主が怪我をした時のことを考えてしまうと、ぞっとしてしまう。
何度となく主には伝えているのですが、四六時中ベッドに横たわり無言のまま、返事をいただけておりません。中庭には設置された噴水や花壇があるとのに、実にもったいない。私が少し手を加えれば、色とりどりの花を咲かせてみせるというのに、残念で仕方ありません。
そんな事を考えているうちに、城門に着きました。目の前に広がる荒野にお客様の姿は、まだ見えない。耳辺りの良い虫の声に身を委ね、思いにふけるのも一興ですが、そうはいきません。鳴き声に紛れ、聞こえてくる足音。私の耳が確かならば、男性三人、女性二人の計五人がいらっしゃるようです。歩みは慎重ですが、足取りは迷いなく主の城へと向けられています。
「ようこそ我が主の城へ」
私の前に姿を現したのは三人。おかしいですね。あと二人の姿が見あたりません。気配があるのに姿が見えないのは気にかかりますが、目の前のお客様を差し置いて、辺りを見回すなど、そんな無作法は出来ません。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
私の問いかけに、わずかではありますがお客様達は動揺しているようです。返事がないのも気になりますが、お互いに顔を見合わせ、一体何をしているのでしょうか。もしや、緊張していらっしゃるとか。それならば、あいつ話すことができるの、などという多少の暴言には目を瞑ることにしましょう。
待つこと数秒。三人の内の一人の女性が一歩前に出てきました。
「ご用件って程、大層な事じゃないだけど」
「お気になさらず、なんなりと仰ってください」
「この城の噂話を小耳に挟んでね。まぁ噂話だから嘘の可能性だってあるから、念のため聞いておきたいことがあってさ。この城に禁忌の扉って本当にあるの」
「ええ、ございますよ」
禁忌の扉。大層な名前がついていますが、要は主人が仕事をする為の、ただの仕事部屋の名称です。
「……私たち。その扉の先に行きたくてさ」
困りました。このお客様達もあの扉をあけたいとおっしゃるわけですか。私が主人から受けた命令。扉を守れという厳命。こればかりは、どんなお客様でも承諾するわけには参りません。
「申し訳ございません。我が主人の命にて、扉を守れと仰せつかっております。したがって何人たりとも、通すわけにはいかないのです」
深く頭を下げてはみましたが、お客様の顔を見る限り、わかってはもらえなかったようです。
「そこを何とか、頼めない?」
軽薄な言葉遣い。このような方たちに、どう伝えれば良いのでしょう。説明する難しさを実感しております。
あっと、いけません。そろそろしなければならないことがありました。
「お話の途中で申し訳ございません。少々お待ちいただけますか」
姿が見えないと思っていた方たちは、私の後ろでこそこそと動き回っているではありませんか。微かに聞こえる足音が二つ。息を殺し、足音を立てぬように慎重に足を運んでいるようです。足場の悪い岩肌を巧みに歩く技術に、武器まで携帯しているとなれば、主の城へ盗みに入る賊とみて間違いないでしょう。
念のために剣を携帯していてよかった。しかし、今日も振るうことになるとは思いませんでした。日頃の手入れの甲斐もあってか、鞘から抜いた刃が曇ることなく輝いています。これが今から血に汚れると思うと、少し気が滅入りますが、致し方ありません。
そんな私を見て息を飲み込むお客様方。
……迂闊でした。こんな姿を見せてしまっては警戒されるのは当然のこと。せめて一声かけるべきでした。しかし、賊を排除するのは私の務め。この無礼は後ほど謝罪するとして、まずは城門に一番近い男性から排除することにいたしましょう。背後から襲いかかるのは失礼だとは思いますが、何も言わず侵入を試みるのも失礼に値します。
そちらも同じ事をしていた。ですから、おあいこですよね。
背後で動く影に向かって跳躍。そして、すれ違いざまに、真一文字に刃を払う。影の正体は絶命の声を上げる間もなく、その場へと倒れ込みました。胴体を分断されたのです、呼吸はすぐに止まるでしょう。
その様子を見ていた方たちから聞こえた悲鳴は三つ。ご挨拶した中にいた方たちから二つ、残る一つは忍び寄っていた男性ですか。潜んでいた賊は、狼狽えながら三人のお客様のもとへと駆けています。
助けてくれと呼びかけているということは、彼らも賊のお仲間、なのでしょう。
疑いは晴らしておくにこしたことはありません。先ほどの三人にきちんとお話を聞くことにしましょう。
距離は七メートル程度でしょうか。そのくらいであれば間合いを詰めるのも容易いこと。一足で充分でございます。
「逃げるのは構いませんが、背中が無防備ですよ」
私の声に驚いたのか、男は肩を強張らせ首だけこちらをふりかえりました。なんとも悲痛な面持ちですが、賊を相手に手心を加えるつもりはありません。
男性の背から胸元にかけて深々と突き刺した剣。貫通した刃に伝わる微弱な振動は一度。それっきり男の体が動くことはありませんでした。
刃を抜くと同時に吹き出す血しぶきに、お客様の対応は三者三葉でした。一人は惨劇から目を背けるように顔を伏せ、一人は顔をしかめ嫌悪を露わにして私をにらみつけている。最後の方は、ただただ茫然と立ち尽くしていました。
血で汚れてしまった剣ですが、刃の切れ味が鈍らないのは、主の業より生まれた創造物だからでしょうか。錬金術。私の理解の範疇を超えた知識。そして技術。さすが我が主でございます。
さて、賊退治も終わりましたので確認をしておきましょう。切り伏せた二人の賊。関係があるならば、彼らをこのままにしておくわけにはまいりません。
「失礼ですが、貴方達は、そこに転がる賊のお仲間。ということでよろしいでしょうか」
……参りました。何も仰っていただけません。それどころか、三人共携帯した武器を構えはじめました。
なるほど、わかりました。賊ということで宜しいですね。賊を討つのは私の仕事。相手が誰であろうと、何人であろうと手を抜くつもりはございません。
五人同時に引き摺りながら歩くことに気怠さを隠せません。ですが、城の前に放置しておくわけにもいきません。昨晩と同じように、城から離れたこのあたりの適当な場所に捨て置くことにしましょう。
「……赤髪鬼、が」
耳障りな小さなうめき声が一つ聞こえました。虫の息と思い、放置していましたが、どうやら私の間違えだったようです。片方の手を遺体から離すと、地面に転がる三つの遺体。そしてもう片方の手でつかんでいた二つの体から手を離すと、同じように地面へ転がりました。
再び抜いた刃。血にまみれていますが、刀身の放つ輝きは、いまだに衰えておりません。
跨った彼女の体は、かすかな呼吸を繰り返し、時折喉をつまらせると咳込んだ口から血が飛び散っていました。
「賊とはいえ、苦しませるつもりはございません。ご安心ください」
何か言いかけたのか、口が開きかけましたが、それよりも速く剣が胸へと突き刺さる。
…これで物言わぬ躯となりました。
腕がつかれてきたので、この辺で良いでしょう。
城から十分に離れたことを確認し、無造作に手を離すと一つ、二つと遺体が傾斜を転がっていく。引き摺ったあとに目をやると、折りたたまれた一枚の紙が落ちていた。
賞金首とかかれた大きな文字と似顔絵。
心なしか自分に似ているようにも思えたが、凶悪に描かれた人相と、人を口に咥えるという正気の沙汰とは思えない構図に、気のせいだと首を振った。
強烈な印象を与える絵だったが、それ以上にすごかったのは賞金の額だった。数年働かずとも食べていける額に感心するような声をあげる。
お金で思い出しましたが、私、ここ数年の間。お給金を主から頂いておりません。完全なタダ働きではありませんか。自由にして良いと言われたお金はありますが、それとは別に私個人の給金をいただいても問題ないはず。今からでも、言えば頂けるのでしょうか。しかし、あったところで使い道が思いつかないのも事実。身につけている服はいつも同じメイド服ですし…。
やめましょう。考えていても埒があきません。今晩のことも含め、明朝にでもいろいろと相談することにしましょう。邪魔者は片付けました。途中で終わらせていた掃除の続きでもしましょうか。
しかし考えてみれば賊が現れるようになったのは、今に始まったことではありません。それどころか城という人目につきやすい建物のせいもあってか日に日に増えております。廃城を買い取って住むという主の生活に口を出す気はございませんが、賊たちにとっては格好の獲物に映るようです。
時には単独で、ある時は徒党を組み忍び込もうとする輩が後を絶ちません。そのいずれも撃退しておりますので、被害はありませんが、少々うんざりしているのも事実。城内の地下にある扉。普段から近寄ることはしませんが、賊たちがこの扉の先を目指す理由は知りたいところです。