首都グシャ その三
この目覚めがあまりよくないことは、旅をしてから身をもって知っている。
周りの寝息に月の明かり。
世界が眠りについたような夜の世界。
俺はいつものように腹部に柔らかい重みが乗る。
今日は誰だろうか、オレイカが失恋したこの夜に誰がこんなことをするのかと俺は目を開ける。
「起きてくれたんだ」
そこに居たのはオレイカだった。
月光に混じり銀色に光る髪、その髪と調和する白銀の耳と尻尾、ルリーラと変わらない背丈にも関わらず大人を主張する曲線は衣服を纏わずに全てを晒している。
おとぎ話のような幻想的な女性が泣きはらした瞳で俺を見下ろす。
「何してるんだ?」
自分が物語の主人公になったような気分に負けないようにそう問う。
オレイカは弱々しく口の端を持ち上げる。
「自暴自棄かな」
そう言いながらオレイカは両手を着き床に押せ付けるように俺にかぶさり、銀色の髪がはらりと彼女の顔に影を作る。
「それで、好きでもない男の寝込みを襲うのか?」
「違わないけど違う」
青い目はくすんだ輝きで俺を見つめる。
今にも決壊しそうなほどに脆く、触れたら崩れてしまいそうなほどに彼女の感情は枯れている。
「忘れさせてもらいたいんだよ、ゲイルの事を」
俺の頬に職人とは思えない柔らかな指が触れる。
わずかに香る鉄の匂いとオレイカの爽やかな柑橘系の匂いが混ざり合う。
「王様は女の扱いが上手いんだよね。アルシェもフィルもミールもみんな王様が好きだ」
「それは――」
それは違うと声に出す前にオレイカの指が俺の口を塞ぐ。
わずかに触れるオレイカの味は涙の味がする。
「そうでもそうじゃなくてもどっちでもいい。私は滅茶苦茶にして欲しいの」
今にも泣き出しそうな顔のオレイカに俺は言葉をかけられずにいた。
何をかければいいのかわからない。
何を伝えればいいのかわからない。
「本当に誰でも良かったんだけどね、王様なら滅茶苦茶にしても優しいって思ったから。変だよね、ゲイルがどうでも良くなるくらい滅茶苦茶に壊して欲しいのに、優しさを求めてる」
そう言葉にして、オレイカは俺の手を自分の胸に持って行く。
俺の手を飲み込もうと吸い付く感触は溺れてしまいそうなほどに気持ちがいい。
「だから、王様の好きにして」
目尻に溜まる輝く粒はやがて大きくなり俺の顔に滴る。
一度零れた雫は一滴また一滴と俺の顔を濡らす。
その壊れてしまいそうな脆いガラスの様な体を俺は強く抱きしめる。
「これで満足か?」
絹の様な滑らかな肌を自分の体に密着させる。
燃える様な熱を持つ少女は俺の抱擁に抱擁で応じる。
「辛いよ……痛いよ……」
嗚咽の混じる悲痛の言葉が耳元で囁かれる。
「辛いよな」
それが正しいのかはわからないが、俺はルリーラにするように頭を撫でる。
「なんで、ダメなんだろ、私の何がダメなの?」
怒りと悲しみの言葉に俺は返事を続ける。
上等な返答もできないまま俺はただオレイカの言葉を肯定する。
やがてオレイカは眠りに落ちた。
こうなってしまうと困るのが俺だ。
あまりに悲痛な言葉に呑まれてしまいオレイカを抱きしめているが、オレイカが眠り俺は逆に目が冴えてしまう。
俺の胸板で適度な圧迫を繰り返す大きな二つの風船。
どこに触れても柔らかく滑らかな肌。
先ほどまで恨み言を呟いていたその口は眠りと共に甘い吐息を俺の耳に送り込む。
「結局またこうなるんだよな」
生殺しの状態。
さっきああいった手前触れてしまうことさえ気後れする。
自然と触れる感覚のみしか許されない。
重なるだけならまだしも相手は当然人間で身じろぎもするし寝返りもうつ。
そうなれば当然俺の体に上質な絹が優しく体に触れる。
それだけならまだ我慢もできるのだが。
「んっ、んふぅ」
裸のオレイカは体がこすれるたびに悩まし気な声を漏らす。
上質な布団だとも思いこめずにオレイカだと認識してしまう。
「むにゃ、んっ」
口内に含まれているわずかな水分。
普段なら気にしないわずかな湿り気を含んだ音が卑猥な音として聴覚を刺激してくる。
そして不意に枕を抱くようにその肉体を強く押し付けてくる。
抱きしめられているせいかオレイカの足が俺に巻きつき俺は流石に限界を感じてしまう。
「ん、んん……」
体が沸騰してしまいそうなほどに熱を持ち辛うじて下に流れようとする血流を止める。
「……むにゃ、だいしゅき」
寝言のせいで幼くなってしまった彼女の言葉に留めていた血液が逆流し俺は意識を失なった。
完全に日が昇り俺はようやく目を覚ました。
最初に目に入ってきたのはサラだった。
「旦那様、目を覚ましたか」
読んでいた本を閉じ黄色の瞳がこちらを向く。
「少し付き合ってくれないか?」
そう言って連れられて来たのはグシャの街だった。
相変わらずの活気があるのに静かな街にゲイルの顔がちらつく。
「それでどこに行きたいんだ?」
「ゲイルの所」
「俺は行きたくないな]
サラの要求を突っぱねて踵を返す。
「旦那様はあいつを許せるのか?」
「ちっ! そういう理由は先に言え」
ムカつくから喧嘩を売りに行くなら付き合うしかない。
それに確かめたいこともある。
「それにしても本気だな」
「そうか?」
武道大会でも着ていた着物、脇には刀、髪をまとめ完全に相手を潰すと決めた戦闘服。
凛々しいサラに似合いすぎている服装だ。
「他の連中は呼ばなくてもよかったのか?」
今回ならアルシェも二つ返事でついてきたはずだ。
「僕のこの黒い気持ちを共感してくれるとは思えなかったから」
「俺も共感できるかわからんぞ?」
凛としたその佇まいには、黒い感情があるとは手もではないが思えない。
寧ろ崇高な心持に映ってしまう。
「あいつは女性を泣かせた、それが僕には許せない」
「それはそうか」
その気持ちが黒いかは知らないが、確かにその感情は女達には理解できないものだ。
そして街を少し歩きゲイルの工房に足を踏み入れる。
「クォルテにサレッドクイン、どうしたんだいこんなところまで。少し待っててくれるか、今お茶でも――」
「いらねえよ」
沸々と腹の底で怒りが沸いてくるのがわかる。
オレイカにあんな顔をさせた次の日にこんな顔で平然としているのが許せない。
「どうかしたのか? 怒っているみたいだけど」
昨日の事さえ覚えていない物言いにサラの手が刀に掛かる。
それを俺は手で制し話を続ける。
「お前のその目はなんなんだ?」
その問いにまるで決められていたかのように淀みなく返事をする。
「魔力を使わないと目が見えないんだよ、君たちが来る前に作成を失敗して」
「それで人形みたいなガラス玉になったのか?」
俺は魔力を巡らせる。
「そうだよ、目が無くなったからね」
「じゃあその体に流れてる魔力はなんだ?」
「なんだ、知ってるのに鎌をかけたのか」
こいつの魔力の流れは普通じゃない。
血液の様に巡るわけでもなく、有り余る魔力が体内に満ちているわけでもない。
ただ関節のみに魔力が貯まっている。
まるで人の形を動かす為だけのように。
「そうだよ、ご明察。いつから気づいてたの?」
「最初からと言いたいが、昨日怪しいと思って今核心を持った」
「そうか」
工具の槌に手をかけた次の瞬間、ゲイルはためらいなく俺に向かい投げつける。
「ふっ」
槌が俺に届くよりも先にサラが居合で両断する。
二つに分かれた槌が床に落ちたのを合図にゲイルはこちらに飛びかかる。
暗めとは言え茶髪の動きではない速度に驚き危機一髪で避ける。
振り下ろされている腕は床に穴を開ける。
「バレているなら殺さないといけないよな」
笑顔とは裏腹の言葉に寒気が走る。
腕を地面から抜き、二度目の突進を避けるが三度四度と駆け巡り始める。
自分の工房を穴だらけにしながら激しく動き回る。
「早いな」
辛うじて当たっていないが俺に呪文を唱える隙を与えてはくれない。
「クォルテは魔法を軸に戦うんだよね。だから唱えさせないよ」
魔法を使う余裕を与えない。疲れ知らずの機械人形にこそできる戦法は単純ながらに有効だ。
「炎よ、熱よ」
サラの呪文にいち早くゲイルは反応しサラに突撃する。
「させないってば!」
「わが刃に宿れ、ファイアエンチャント」
避けきれないと思った刹那一瞬の輝きを放ちサラの後ろには大きな穴が二つ開いた。
「今のは何だ?」
ゲイルの腕は半分に切られている。
熱に溶けた断面からは血のように鉄が滴る。
「来なよ、機械人形」
サラの怒りを宿す赤く燃える刀を鞘に納め、ゲイルをにらみつけ言葉を吐く。
「僕が鉄屑に戻してあげるから」
再びサラは腰を下ろす。
鋭い眼光に慣れた様子で居合の構えに入る。
「土よ、僕の腕に戻れ、アースリカバリー」
土がゲイルの腕に集まり再びゲイルの腕に戻る。
「魔法が使えるのか」
「そうじゃないと、僕みたいな機械人形に価値はない」
「安心しなよ、魔法が使えたってクズはクズだ」
清々しいほどの笑顔を向けゲイルは無謀にもサラを殴りつけようと腕を後ろに引く。
「学習能力がないの?」
愚策を笑う様に振るわれる一閃がゲイルの腕を切り落とす。
「あるよ当然」
片腕を捨てたゲイルは恐れることなく反対の腕を振り上げる。
鞘に戻している暇はない。そのはずだった。
振りぬいた刀を返す勢いのまま反対の腕も切り落とした。
「えっ……」
驚きの声を上げたのはゲイルだった。
完全に奇襲が成功していると思ったのに返す刀で切られたゲイルにも一部始終を見ていた俺にもわからない。
「土よ――」
呪文を口にしようとした次の瞬間にサラはゲイルの口を踏みつける。
「呪文は言葉、言葉にならないなら修復もできないでしょ」
「僕のから――」
ゲイルの腹部から聞えた声はサラの刀で二つに分かれた。
呪文を唱える口が増えるのか。
「往生際が悪い」
次の瞬間には真っ二つに分かれた体が細かく切り刻まれ熱に溶ける。
「旦那様、この国はきっとこういう国なのだろうな」
「だろうな」
生活を楽にするのに何が手っ取り早いか、それは人を作ればいい。
自分の仕事を肩代わりできる人形を作ればいい。
きっとこの街の領主はそう考えているのだろう。
そしてその王としてこの街に君臨している。
「アリルドがこの国を出たのはそれもあったのかもな」
作られた街に嫌気がさした。だからこそガルベリウスに行き、人に触れ合いやがてこの国を出た。
ここにいないため確認することはできないが、その考えは合っている気がした。
「さて、次は城にでも乗り込むか」
「そうですね」
俺とサラは二人だけで城を目指した。




