学者の国クレイル その二
アルシェに全力で馬車を走らせ、何とか発表会の前日にクレイルに着くことができた。
「流石に疲れました……」
クレイルに入るなり、疲労からかアルシェは眠りについてしまう。
今居るのは、火の町イシュリス。
火の魔法について研究している研究者が数多く在籍している町だ。
フィルムはおそらくこの町の出身のはずだ。
ここから発表会のある中央都市クレイルまではまだ三時間ほどかかる。
「このまま都市に向かって宿を取りますか?」
「それがいいだろうな。おそらくシェキナもそこで宿を取ってるだろうし」
「王様、シェキナがこの国出身なら、自分の家にいるんじゃないの?」
「それは無いと思います。あの事件の関係者は全員国を出ています。私もそうですから」
フィルの質問にミールが答える。
守っている人自体少ないが、命に係わる実験は世界的に禁止されてはいる。
普段なら闇に葬られることだが、俺が派手にやったせいで隠しきることはできず、ロックスの実験は世界中に知られることになった。
隠すことのできない国のお偉方は、単純で簡単な手を取った。
関係者の国外追放。
その結果、事件の関係者は全員国を追い出されることになった。
「その腹いせってことになるのかな?」
「そう考えるのが普通だろうな」
でも、俺は何か違う気がする。
国を追い出されたことを恨むなら、標的は俺だけではなく、この国も狙われないと変だ。
†
そして俺達は三時間かけ、中央都市にたどり着いた。
発表会があるためか、俺が居た時よりも街の中は活気にあふれている。
そこらに並ぶ実験器具を売る店も盛況で、宿が取れるのか不安になって来た。
「今回はみんなの意見を聞いて宿は取れそうにないな」
「これは仕方ないと思います。アルシェ先輩のご飯が食べられないのは残念ですけど」
街の中で馬車を走らせるが、人通りが多く速度が出せない。
あまりの遅さに遠くに見える宿屋にミールを向かわせ戻ってくる頃に、ちょうど馬車がその宿屋の前に着く。
そんなことを十件ほど繰り返すが一向に宿は見つからない。
「やっぱりギリギリすぎましたね」
「元々来る気もなかった所だしな」
「そこの御仁、もしかして宿をお探しですか?」
愚痴りながら場所を走らせると、人懐っこい笑顔を向けた奴隷が近寄って来た。
奴隷装束に身を包んだ男は馬車と並走しながら、営業を始める。
「この近くに最近できた宿があるんですよ。この大通りから少し離れますが、新築の一軒家です」
「そんな所が、今の時期に残ってるのか?」
「何分新築で、お値段も少々張りますもんで」
「兄さん、こいつ怪しいですよ」
ミールに服を引っ張られ、耳打ちされる。
怪しいことはわかっている。
この男の奴隷装束は、泥で汚れているだけだ。
長年使い込んだ形跡もない。
仮に、主人がいい人だったとしたら、まず泥は洗い落とさせる。
つまりこいつは奴隷のフリをして俺に近づいていることになる。
俺が、奴隷に対して悪い感情を持っていないことを知っていてのこの格好だ。
「そんないい宿があるなら案内してくれ」
ミールは驚くが、その驚きはすぐに引っ込めた。
俺に何かしらの考えがあるとわかったんだろう。
†
案内されたのは、大通りから離れ人通りの少ない一軒家。
新築と言うのも嘘では無いらしく、路地裏には似つかわしくない綺麗な家屋だ。
「馬車はその辺においてください。荷物は自分が運びましょうか?」
「いや、全部持てるから気にするな」
家の中も外観に負けないほどに綺麗だった。
二階建てで、六部屋ある立派な家だ。
「下はキッチンや風呂、トイレなどのスペース。二階は全て宿泊の施設になります。それでは自分はそろそろ帰りますので、ごゆるりとお過ごしください」
奴隷もどきはそのまま玄関から家に出て行った。
「さて、まずは食材の買い出しをしよう。荷ほどきはしなくていいぞ」
「いいんですか?」
「ああ、荷物は一か所にまとめて置くだけでいい」
どうせ無駄になるだけだと心の中でつぶやく。
不審に思っているのは寝ていたアルシェだけで、フィルとミールは察しがついているらしい。
あの奴隷もどきは、ほぼ間違いなくシェキナの仲間だ。
広い家に広い間取り、キッチンなんかも完璧で、俺達なら間違いなく選ぶ物件。
服の汚れ方や俺達好みの家、立地そしてタイミングも完璧だ。
おそらく入れ知恵したのはクロアだろう。
俺達をここで襲うつもりなのは確実だ。
領域を展開すれば、敵の数は把握できるが、悟られて逃げられるのは厄介だ。
「こんなに早く接近するとは思っていませんでした。どこからつけられていたんですかね?」
「向こうにはクロアもいるからな。俺達がアリルドから最短距離で向かうなら、イシュリスからしかありえない。その辺りに網を張っていたんだと思うぞ?」
俺達は騙されたフリをしながら外に出かける。
向こうが行動を起こすなら一度外に出た方がいい。
それに今日襲いに来るかもわからない。
「王様、尾行されてはいないみたい。ルリーラじゃないから断言はできないけど」
フィルに周囲を探ってもらいながら、俺はアルシェに事情を説明する。
「状況はわかりました。でも、危険じゃないですか? もしこちらを殺しに来たらどうするんですか?」
「殺しには来ないだろう。発表会の前に俺達が死んだら疑われるのは、シェキナだ。向こうの発表内容は俺を罪人に仕立てあげ、処刑すること。それなのに、発表前に俺を殺したら犯人は自分ですって言ってるような物だろ?」
俺達は、ひとまず買い物を済ませ宿に戻る。
室内に怪しい気配はなく、誰かが侵入した気配もない。
この様子だと、とりあえず俺達の居場所を知っておきたいってところだろうな。
そうなるとシェキナの発表は明日じゃないってことか。
そう気を抜いた直後、宿の扉に鍵がかけられた。
鍵と同時に、ガスが漏れる様な音が聞こえ始める。
「このガスは吸うな!」
全員が、着ている服で服で口元を隠す。
このガスはなんだ? 可燃性? 毒?
まだ俺達を殺さないはずだ、そうなると催眠系か麻痺系のガスの可能性が高いか。
「フィル、壁をぶち破れ!」
徐々にガスのせいで周囲が見えにくくなっているが、聞こえてくる足音はフィルの者だろう。
一際大きく響く足音の後、鈍い音が宿中に響いた。
この壁、中は鉄せいか。
『初めまして、クォルテ・ロックス。私がシェキナ・アルトグローリーだ』
耳元から聞こえる声に目を向けると、水の蛇が一匹肩に乗っていた。
『安心してくれていいよ、それは催眠ガスだ。吸ったところで死にはしない』
一人倒れる音がした。
『こんな作戦に出るとは思っていなかったかい? それとも壁くらいなら壊せると高をくくっていたのかな?』
また一人倒れる。
『そこに入れば出られないように二重三重に対策するのは当然だろ?』
そして三人目も倒れてしまう。
『そろそろ、君も眠る時間だね。君は生きて世界が敵に回る瞬間を見ているといいよ。それじゃあ、お休み。クォルテ・ロックス』
俺の意識もそこで途絶えた。