雪の町 リルク その五
誰かに触れられる感覚で目を覚ました。
温かい手が俺の額に触れる。ゆっくりと意識が覚醒していき目を開ける。
「病人はもっと寝てないと体力が回復しないよ」
オレイカかセルク辺りだと思っていたが目の前にいたのはカグヤだった。
「何してんの? まだ夜みたいだけど」
窓の向こうに明かりも無く、町にあるはずの喧騒も静まり返っている。おそらく今は夜中のはずだ。
それなのにカグヤが俺の部屋にいた。
「看病。昨日よりは体温が下がってる。大体三十七度でほぼ平熱だけど後一日は休まないとダメ。顔色も普通、汗もかけてる、鼓動も正常。順調だね」
「凄いな。そんなことがわかるのか?」
「これでもお父さんから教えてもらってるから。サクヤほど知識はないから触診しないとわからないけど」
そうは言うが俺からすれば十分に凄い。触れての体温の測定、触れる事で感じる変化を正確に判断して言葉にする。
それだけで医者として十分に素質があると言っても過言ではないだろう。
確かにサクヤも凄いのだろう。出された食事も上手で指示も的確だ。それでも比べ方が間違っている。
「隣の芝生は青く見える。って知ってるか? 自分が持っていない物を羨ましく思ってしまうんだよ。きっとサクヤの方も同じように思ってるはずだぞ」
「そうなのかな?」
「そうだろ? いい加減入って来いよ」
薄く開かれた扉にずっと見えていた影は静かに部屋に入ってきた。
寝間着姿の白い髪の少女サクヤはそのまま近くの椅子に座る。
「サクヤなんで?」
「目が覚めたらカグヤが居なくて探していたら俺の部屋にいた。自分が居る事にも気が付かない程に集中していたから声をかけられずにいた。そんな所だろ?」
「お兄さんの事が嫌いです」
図星らしくサクヤは顔を赤くしながらそっぽを向いた。
「カグヤはこう言っているが、お前はどう思ってるんだ? まあ、俺がいる所じゃなくてもいいから話合え。溝ができる前にな。そんじゃ俺はもう一度寝る。お前達も部屋に戻って寝ろ」
俺が布団を被る。
二人が部屋を出る音を聞き俺は再び眠ることにした。
翌朝は昨夜とは打って変わって騒がしく起こされた。
「パパーー! 朝だよ!」
「がふっ……」
病人でも関係なく大人の体を持ったセルクが子供の様に俺に飛び乗ってきた。
ルリーラにもたまにやられるがそれとは比べ物にならないほどの衝撃が俺を眠りから引きあげた。
骨もなく無防備な腹部にセルクの全体重が降ってきた衝撃で俺の内臓は破裂しかける。
内臓が避難するように上部にせりあがり肺を一気に押し上げているのか呼吸もままならない。
「っ……」
叱ろうにも振動を伝える空気が体には微塵も残されていない。
「セルク何してるの! 王様平気? 大丈夫?」
オレイカに助けられようやく満足に呼吸ができるようになるのに五分はかかった。
「あんなことをしてはいけません。あの程度で人は死にます」
「ママはよくやってるよ?」
「ルリーラは悪い見本です」
戻ったらルリーラに二度とやらないように言っておこう。
ルリーラの真似をされたらいつか俺が死んでしまう。
「わかった。じゃあシスタ達と遊んでくる」
まるで反省していない様子のセルクはそのまま走って部屋を出て行った。
「なんであんなに機嫌がいいんだ?」
「もう一日カグヤ達と遊べるって喜んでたよ。なんかすごく仲良くなったらしいから」
「それであんなに元気が溢れてるのか。それならもうニ三日居てもいいかもしれないな」
「王様ってやっぱり子煩悩だよね」
「言ってろ。でもニ三日でアトゼクスが溶けたりはしないのか? 胃液って結構強力だよな?」
その二三日のせいで溶けちゃいました。って言うのはごめんだ。
「平気だってば。それくらいでどうこうなることはないから」
「ならいいけど」
安心したのも束の間だった。オレイカはお湯に満たされたたらいをテーブルに置き、一枚のタオルをそれに漬ける。
「何してんだ?」
「王様の体を拭くの。汗もかいて気持ち悪いでしょ?」
「自分でできるから気にしなくていいぞ」
「今更だよ? もう倒れた初日に全部脱がせて隅々まで拭いたから。頭の天辺から足の先まで」
オレイカはにこやかにタオルを絞る。
身体強化を全開にしているのか俺はあっさりと服を剥かれ体を拭かれてしまう。それはもう本当に全身拭かれた。
昨日オレイカが役得と言っていた意味を俺はこの時に初めて理解した。
俺は今後体調が悪くても身体強化を忘れまいと心に刻み込んだ。
それから約束通り数日の休みを経て俺達は雪の町を後にすることにした。
「さて、それじゃあそろそろ行くか」
カグヤとサクヤの両親に治療費を支払い荷物をまとめる。
その間ずっとセルクは不機嫌なまま椅子に座っていた。
「本当に行っちゃうの? もう少しいたい……」
もう少しいてやりたい気持ちはもちろんある。今にも泣いてしまいそうなセルクを見ているのは辛い。だけどここに居続ける理由はない。
「セルクはここに残るか? シスタの中にはアトゼクスがいるから取り出さないといけないし、ルリーラ達も晴れの街に居るから会えないけどここに居たいか?」
意地の悪い質問の仕方をした。それがわかっているオレイカは何も言わずに作業を続ける。
「ママたちに会いたい。でも、もっと遊びたい……」
「わかってる。だから聞いてるんだよ」
一緒に来るように誘導しながら最後だけは自分の意思に任せる。
嫌なことを迫っているのは知っていても底だけはセルクに選ばせるしかない。
「一緒に行く。帰る」
「じゃあ、二人にさよならをしに行こう」
涙をにじませるセルクの手を握りオレイカとシスタに荷造りを任せ二人の家に向かう。
「セルクね、今日次の町に行くの」
拙く自分の言葉をセルクが伝えていく。
二人の友達になれてよかった。楽しかった。と泣きながら言葉を伝える。
それを聞いて二人は目に涙を溜めながら頷いている。
「ありがとう、楽しかった。また一緒に遊ぼうね」
一度頭を下げてからセルクは頭を上げなかった。
「二人ともありがとうな。また何かあったら寄るよ」
「ちょっと待ってて」
そう言い残すと二人はどたどたと家の中に走っていきすぐに戻ってきた。
「これ、あげるから。大事にしてね」
二人が手に持っていたのは髪留め。二人の色と同じ白と黒の髪留めを一つずつ。
それを二人でセルクの髪に付けていく。
「友情の証だから」
「またいつでも遊びに来てね」
その言葉に涙で掠れた声でセルクは頷く。
数分別れを惜しみながら俺達は家に向かう。その間セルクは何度も髪留めを触り続けた。