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第三話 きみだから出来ること《後編》

「やあやあ諸君、休息日を密室で二人きりなんて羨ましいぞ!ラブハプニングを満喫してるかい?」

「黙って消えろ下さい学園長」


 勢いよく保健室に乱入してきた初老の男性に、エルンストは視線を向ける事なく冷たくあしらう。

「相変わらず余裕のない奴だな~。そんなじゃ未来の嫁に逃げられ」

「現在進行形で逃げられてる人に言われる筋合いはない」

「いやいや、母さんのあれは拗ねてるだけだって」

 そうしてエルンストの周りで妻自慢を始めたこの胡散臭い男性こそ、残念ながらこの学園の長であり、認めたくも無いがエルンストの実の父親でもある。

 といっても、外見も中身も母親に似たエルンストと学園長が親子である事に気付く人間は殆どおらず、大抵がこの残念な家庭環境が伺える会話を聞いて初めて知る訳だが、この時点でそれを知るのは教頭やエミリーを含めた一部の教師のみである。


 しかし、今はそんな狸爺よりもエミリーである。

 未だ妻への愛を語る学園長を無視し、相変わらずぼんやりと思考の海に囚われているらしいエミリーに声をかける。すると彼女は我に返ったのか勢いよく顔を上げ、その瞳をエルンストに向ける。

「おや、エミリー君もしかして寝てたのかい?」

 後ろから聞こえる学園長の暢気な声にイラつきながらも、エルンストはエミリーの様子を改めて伺う。

 バチリと視線が合った瞬間、彼女の肩がビクリと跳ねた。

「あの、えっと」

 少なくない時間ぼんやりしていた事を思い出したのだろう。彼女の焦った表情は彼女がミスした時によく見るそれだ。

「大丈夫、落ち着こう。ゆっくり深呼吸して」

「わあっ!?」

 エルンストは元々握っていたエミリーの手に力を込め僅かにたじろぐ彼女を制しようとしたが、逆効果だったらしく更に驚かせてしまった。

「す、すみません!」

 動転し慌てて椅子から立ち上がろうとするエミリーの肩を何とか押さえつけ、痛くならない程度に力を込めて再び元の位置に戻す。

「いいから、落ち着いて。目を閉じて、そう、深呼吸」

「は、はい……」

 そうして、漸く少し落ち着いたらしいエミリーは、両手を胸に当てゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 先程までとは違い、頬どころか耳や首下まで肌を赤らめ瞳を潤ませるエミリー。

(漸く薬が効きだしたのか)

 その姿に僅かに動きを止めたエルンストだったが、瞬時に頭を切り替え冷静に観察を始めた。


(この反応と脈拍数なら、「やや苦手(第四段階)」から「特別な好意あり(第八段階)」まで上がったという所か。効果が出るまで時間を要したのがガラス越しだったからか、ただの個人差なのか気になるところだが、効き目が変わらないならそこまで調べる必要はないだろう――)


 そうしてカルテに結果を書き込むエルンストの傍ら、まだ頬を赤らめたままだが多少冷静さを取り戻したらしいエミリーが今になり第三者の存在に気付いた。

 いや、むしろその第三者の存在に気付いたからこそ冷静になったのかもしれないが。

「学園長、どうして此処に居るんですか」

「君もなかなか言うようになったよねぇ……」

 そう言いながらも若者二人に向けるニヤけた表情を隠しもしない学園長に、先程まで高揚していた気持ちが急激に冷めてゆく。

「「いいから答えろ下さい学園長」」

 思わずエルンストと声が重なり心臓が跳ねたが、そんなときめきは学園一のトラブルメーカーから投下された爆弾で一気に吹き飛んだ。


「悪いなエルンスト。例の薬、やっぱ要らなくなったわ」


◆ ◆ ◆


 それからの保健室は、壮絶な父子喧嘩の戦場と化した。

 といっても、激昂したエルンストが一方的に放つ怒りの一撃を、学園長が言葉で煽りながら避け続けるというもので、その応酬の激しさにエミリーは結界の中から呆然とする。

 エミリーと同様に保健室自体にも結界が張られているらしく物が壊れるといった不幸は起きなかったが、それでも今日が休息日でよかったと轟く炎を見ながら思う――否、やはり休息日でもこれはよくない。

 彼女の名はエミリー。このガネット魔法学園で常識を説くために存在する、一般教養の教師である。

「二人とも、いい加減にしなさ――――い!」


 その叫び声は、校庭で趣味のガーデニングに勤しんでいた教頭の元まで届いたらしい。


◆ ◆ ◆


「そもそも、ヴィムの問題を解決するために薬を作ると言う発想がおかしいんですよ」

「「すみません」」

 学問を学ぶ学園にあるまじき私闘を起こした問題父子に正座を促し、常識とは何かを説き始めて早数十分。

 話はとうとう今回の騒動の原因に至る。


 “自分を好きになれる薬”。

 ヴィム・ミュラーの異変に気付いていた学園長は、この薬を用いて問題を解決しようとしていたらしい。そしてそれが今朝、エミリーが偶然ヴィムの相談に乗った事で事態が好転したため不要になったという流れなのだが。


「確かに彼は、自分を嫌いになるほど極端に自信を無くしていました。でもだからって薬で無理やり好きにさせても意味がないでしょう」


 ヴィム・ミュラーは自身の魔力の少なさに落ち込んでいた。

 その相談を受けてエミリーが真っ先に思い出したのは、学生時代の先輩である。

 彼もまた魔力が少なくエミリーと共に長いこと頭を悩ませていたが、扱える属性の多さを活かし創意工夫する事でめきめきと頭角を現した。

 そんな彼が今や筆頭魔法使いの補佐官をしている事を伝えると、ヴィムは思う所があったのか、興奮気味に「まずはその先輩が辿ったを知る事から始めてみる」と駆け出して行ったのだった。

 勿論エミリーも、そして恐らくヴィムも、先輩の辿った道をそのままなぞる事が正解だとは思っていない。

 しかしそれでも、一歩踏み出すきっかけ(道標)が暗闇に灯った事は確かだった。

 ――これが今朝の、エミリーとヴィムの顛末である。


 確かに例え薬で強制的にそうされたのだとしても、自分を肯定出来る様になる事で最終的に解決の糸口が見つかるかもしれない。

 それでも、過程は大事だとエミリー自身は考える。

 自分自身の課題と真正面から向き合って得た答えと、薬を使って(ドーピングで)得た答えが全く同じであったとしても、そこに至るまでに得た人としての価値は雲泥の差だと思うのだ。


「……といっても、私も今日まで気付けなかったので、この件についてあまり偉そうには言えませんが」

 普段は努めて明るいムードメーカーとして振舞っていた彼だが、その裏で今朝の様に暗い表情をしていたのかと思うと、もっと早く気付くべきだったと後悔してもしきれない。

 こればかりは、今後これまで以上に生徒に気を配っていくしかないだろう。

 理想に遠く及ばない現実に小さく溜息をついてから、エミリーは二人に「お説教は以上です」と告げた。


◆ ◆ ◆


「いや~、久しぶりのエミリー君のお説教はやっぱり効くなあ……って、エルンストお前、まだ凹んでるのか?」

「……うるさい」

 エミリーが去った保健室で、エルンストは己の所業を深く後悔していた。

 いくらこれまでの苦労を一瞬で泡にした男の態度が業腹だったとは言え、この短期間で見せてしまった以上に情けない姿をエミリーに晒してしまった不甲斐なさに、今こそ例の薬が欲しいと思ってしまう。


「まあ、投薬実験中の姿を見られてドン引きさせて、休息日にわざわざ出向いてもらってクソ不味い薬の実験に付き合わせて、挙句の果てにその薬は彼女のお陰で不要になっていた上に面倒な喧嘩の仲裁までさせたんだもんなあ。ダサいよなあ」

 一体どこまで見ていたんだ――。

 再び怒りに火が点きそうになるが、先程のエミリーを思い出し、何とか止まる。

 その息子の様子に、少しは大人になったなと父が嗤う。

「そんなだから母さんが実家に帰るんだよ」

「いやいや、だからあれは――まあ、その話は後でするとしてだ。お前は昔の俺に似て格好つけたがりだからな。嫁にする女の前じゃダサいくらいが丁度いいぞ」

「苦手な男のダサい姿を見せても惚れてくれる訳がないだろ」

「え、お前気付いてないの?」

 常に道化の仮面を被る男にしては珍しく、素で驚いた表情をされエルンストは眉を顰めた。

「何の事だ?」

「……いや、やっぱこう言うのは自分で気付かないとな。エミリー君も過程が大事って言ってたしな~!」

「おい、逃げるな!」

 エルンストの制止を振り切り、学園長は保健室を後にする。


(あー、危うく馬に蹴られる所だった。エミリー君に薬は効いていなかった(・・・・・・・・・・)なんて、そのまま答えでしかないもんな)


 そうして息子の恋路という恰好の餌を土産に、今日も足繁く妻の元へ向かうのだった。


◆ ◆ ◆


「ただいま」

「あら、お帰りなさい。丁度お茶をいれてたんだけど、エミリーも飲む?」

「うん」

 居間で出迎えてくれた母親に、温かい紅茶をいれたカップを渡される。

 いつもと同じ優しい香りに、何だかんだと疲れていた心が癒されていく。

(そう言えばこの紅茶、エルンスト先生に教えてもらった茶葉だっけ)

 仄かに林檎の香りがするそれは、仕事が上手くいかず落ち込んでいた時に保健室でエルンストにいれてもらったものだ。

 帰り際に尋ね、それ以降お気に入りのフレーバーとなっていた。

(そうか、あの頃にはもう……)

 じわじわと今日初めて自覚した気持ちを思い出し、エミリーの頬が赤くなる。


「ねえ、お母さん」

「なあに?」

「惚れ薬のセオリーって、知ってる?」

「そうねえ」


 突然の娘の質問に、母親はにこりと微笑みながらこう答えを告げた。


「やっぱり“すでに惚れてる場合は効かない”ってヤツじゃない?」

「だよねえ……」


 ――あの時、“自分を好きになれる薬”を飲んで、ガラス越しにエルンストを見た瞬間。

 不思議なほど何も起きなかったのだ。

 目が合って多少ドキリとはしたものの、それも日常の範囲内で――だからこそ、余計にエミリーは混乱した。

 惚れ薬と呼ばれるものを改良して作った薬。

 それが効かないということは――つまり、そういう事なのだろう。

(明日から、どんな顔でエルンスト先生に会えばいいんだろう……)

 そうして耳まで肌を赤らめ机に突っ伏したエミリーは、疲れが出たのだと誤解された母親に促され自室へ向かう。


(それにしても、あんなに大人気なく取り乱すエルンスト先生を見たの、初めてかも)

 やらかした事こそ非常識な父子喧嘩だったが、それでも忘れず結界で守ってくれていた事を嬉しく感じてしまうのだから、恋と言うのは始末に負えない。

 そもそもエルンストから薬の説明を受ける際にその用途に疑問を持てなかった時点で、盲目的な部分もあったかもしれない。

(だめだ、私はエミリー。ガネット魔法学園で常識を説くために存在する、一般教養の教師なのよ)

 エミリーは将来、国を引っ張ってゆく未来の魔法使い達や、それを教え導いているトップクラスの魔法使い達の“常識”が、そうでない者達の“常識”と乖離しすぎないための存在である。

 好きだからという感情だけで、非常識に流される訳にはいかないのだ。

(大丈夫。エルンスト先生は、学園長さえ絡まなければ常識的だもの。学園長さえ、絡まなければ……無理ね……。その学園長に私はこの役目を与えられた筈なのに、なんなのよこの状況!)


 そうしてエルンストとエミリーの休息日は、二人に大きな苦悶を残し幕を閉じた。

 実は学園長がガネット国王の隠者である事を、エルンストがその手伝いをさせられているという事をエミリーはまだ知らない。

 そして紆余曲折の末、エルンストとエミリーが無事恋人同士となり――その後も学園長に振り回され続けると言う未来を、二人はまだ知らないのだった。

二人の話は一旦これまで、といっても地続きのシリーズなんで他の作品にしれっと登場していく予定です。

この二人がメインになる新しいエピソードを思いついたらまたここに追加するかもです。


お付き合い有難う御座いました!

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