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第一話 きみだから出来ること《前編》

一話はガス欠投了していた短編とほぼ同じ内容です。

「うう、ズキズキする」

 エミリーは痛む左腕を押さえながら保健室を目指していた。つい先程、ある授業の魔法実験で起きた暴発に巻き込まれてしまったのだ。

 すぐその場で責任者に軽く治癒魔法をかけてもらったものの、魔法での治癒は傷痕を残してしまうリスクがあるため本格的な処置は保健室でするよう言われ今に至る。

「はあ……」

 負傷したのが利き手でなかったのは幸いだと前向きに考えてみたが、痛いものはやはり痛い。そしてこれからの事を考えると憂鬱で仕方なかった。

「行きたくなかったんだけど……」

 向かった先で会うだろう人物の事を考えると、エミリーはまた一つ深い溜め息を吐いた。



「どうして僕はこんなに美しいんだろう」

「わあ……」

 扉を開ければそこには予想通りの光景が広がっており――保健室の主と言ってもいいこの学園唯一の保健医が、手鏡でうっとりと自身の美貌に見惚れていた。

「そんな間抜け面で突っ立ってどうしたんです? 僕はいま自分を愛でる事に忙しい」

「……」

 覚悟はしていたが、やはりこの強烈なキャラクターは怪我人には精神的ダメージが大きい。

 以前から変な人ではあったが、もう少しストイックな人物の印象があっただけにエミリーは目の前の光景をうまく処理できないでいた。


「貴方のその自己陶酔っぷりにドン引きしてるだけです」

 言いながら保健室へ入ると、なるべくデスクで陶酔に勤しむ変態から目をそらしつつ目当てのものを探す。

 このガネット魔法学園で一般教養の教師として働き始め早数ヶ月、よく世話になる部屋なだけに勝手知ったるなんとやらで棚から消毒液とガーゼ、包帯を取り出す。

「怪我ですか」

「ええ、まあ、ベルタ先生の実験に巻き込まれて左腕を少し」

「へえ。天才的に優秀な僕と違って最低限の防御をする魔力すらない人は大変ですね」

「うるさいな……」

 自分ではどうしようもないコンプレックスを刺激され、怪我の痛みで只でさえ悪かったエミリーの機嫌が急降下していく。


 腹いせに鏡でも奪ってやろうかと振り返れば、いつの間にか距離を詰めていた保健医の無駄に綺麗な顔がすぐそこにあった。萌木色と秘色の視線がぶつかる。

「……」

 エミリーが怯んでいる間に保健医は彼女から道具一式を奪いそのまま椅子に座らせ、左腕にある鎌鼬(かまいたち)にやられた様な切り傷を静かに観察してから手当てを始めた。


「前に僕が渡した護符はどうしました?」

「あれは……」

 ピンポイントで突かれたくなかった部分を指摘されたエミリーは一瞬息を止める。

「エミリー先生?」

「その、なくしました」

「は?」

 気まずさに耐えきれず視線を逸らし白状すると、無表情だった保健医の眉間に皺が寄った。

「この間、生徒同士の諍いを止めていたら流れ弾を受けて、その時に」

「……貴女はまた無謀にも飛び込んだのか」

 エミリーは部屋の気温がグンと下がったように感じた。


 保健医がエミリーに渡していた護符はそこらの専門職が作った一般的な護符より遥かに強力なものだった。

 それこそ死を伴う程の威力の魔法でもくらわない限り、消失しない位には。

 それが消失したという事は、つまりそれほど危険な目に遭っていたという事になる。

 前方から心底呆れたと言わんばかりの空気を感じ、エミリーは背けた顔を戻す事が出来ない。

「貴女のその教師としての姿勢は確かに素晴らしいと思うがここは普通の学校とは違うんだ。己の力量を自覚しているくせに死ぬほど危険な目に遭うなんて愚かしいにも程がある」

「それは、あの時は護符があったから……」

「僕はそんな事をさせるために貴女に護符を渡したんじゃない」

 キッパリと言い切られ、そしてそれは正にその通りだと自覚していたエミリーは項垂れるしかなかった。


 ガネット魔法学園。

 かつて国内唯一の教育機関として存在していたこの学園は、今や数ある学園の一つとなりその門は一般市民にも開かれるようになっていた。

 しかし魔法学園と名乗るだけあり魔法に関しては教師、生徒共にトップクラスの人材が集っている。

 ある時はエキセントリックな教師が周囲を巻き込みはた迷惑な魔術実験を行ったり、ある時は魔力を制御出来ない生徒が暴発を起こしたりなどという事は日常茶飯事なのだ。

 そんな環境で防御もろくに出来ない人間が教師として在籍するのは、如何に本人が学園にとって貴重な常識人だったとしてもあまりに危険で。

 だからこそ保健医はエミリーに護符を渡したし、エミリーもそれを理解した上で所持していた筈だったのだ。


 ――だから、こんな状況は彼が望んでいたものでは決してなかった。


「護符を消失したならしたで、すぐ僕の所に来れば」

 やはり貴女はこの学園に向いてない――そう続く言葉にカッとなったエミリーは保健医の秘色の目を睨んだ。

「来ましたよ!護符が消えたその日に此処に来ました。でも……」

「でも?」

「貴方は、鏡の中の自分に夢中で忙しそうだったから」

「……」

 当日の様子を思い出し気まずそうに状況を伝えるエミリーは、目の前の男がミシリと固まった事に気付かなかった。


 護符を失った日の夜、自身の不甲斐無さにほとほと呆れつつ向かった保健室で見たのは、恍惚とした表情で鏡に映った自分に見とれる保健医の姿だった。

 彼の口から出てくるのはこの世のあらゆる賞賛を己に向けるものばかりで、その異様な光景に見てはいけないものを見てしまったと思ったエミリーは、そっと扉を閉め保健室を去った。

 以降、今日に至るまで何となくこの部屋に近付く事が出来なかったのだ。

 ――そう告げると、いつの間にかいつもの調子に戻っていた保健医は死んだ魚のような目でそうですか、と小さく応えた。


「………」

「………」

 沈黙が重い。

 そこまで鈍くもないエミリーは先程からの保健医の態度の変化を観て何となく状況を把握しつつあった。

 しかしそれを指摘しても良いものかと思案していると、それを察した保健医が先に口を開いた。

「……投薬実験をしているんだ」


「貴方が?」

「ああ、学園長に頼まれたんだ。自己評価が低い人間が自分を肯定できる様になる薬を作ってくれと」

 何故そんな事に。

 そう思わなくもなかったが、そもそもこの男は本来専門外の護符を作ってのけたのだ。エミリーが知らなかっただけでその他もオールマイティーにこなせる人間なのかもしれない。

(それにしても、あの変わり者の学園長からの依頼かぁ)

 ロクな理由ではなさそうな予感をヒシヒシと感じながらも、エミリーはひとまず聞くに徹する事にした。

「――という訳で二週間ほど前から着手していたんだが、残念な事に僕はさほど自己評価が低くなくてね。加減が分からない内は作用が過剰に働いて、今となっては思い出したくもない程に悲惨な状況だったんだ」

 恐らくその場面に貴女は遭遇してしまったのだろう。

 すっかり薬が抜けたらしい保健医は本来の気だるそうな雰囲気――やや意気消沈気味ではあるが――でそう続けた。

「……なるほど」

 事情は分かったが理解はさっぱり出来なかった。


「何というか、大変だったんですね」

「護符を失った日も怪我を?」

「いえ、あの日はお陰様で無傷でした」

「……そう」

 依頼の為に本来の業務が疎かになっていなかった事に心底安堵する保健医の様子に、何だかんだ真面目な人だなぁとエミリーは思う。

「大丈夫です。業務に支障を来しそうな間は夜遅くに試していたんですよね?特に変な噂も出回ってなさそうだし、私以外からは目撃されていないと思いますよ」

「でも貴女には見られた」

 ややふてくされた様子の保健医にエミリーは目を見張る。

 ふてぶてしい態度が基本になっている彼の落ち込む様を初めて見たが、普段よりも幼い雰囲気にまるで生徒に接している気分になる。

 尤も、生徒相手の場合はこんなに胸を高鳴らす事などないのだが――。

「誰にも言わない。それと、貴方は仕事をしていただけなのに勝手に避けてしまって、護符の件も報告が遅れてごめんなさい」

「もう二度とごめんだが――万が一、今後似た様な状況に遭遇した場合は殴ってでも僕から護符を奪いに来て下さい」

 エミリーは笑顔で了承した。


◇ ◇ ◇


 事前に年次主任から残りの授業は休んでいいと言われていたため、エミリーは大人しく保健室で保健医が護符を作る様子を眺めていた。


「投薬実験、私に手伝える事ってありますか」

「は?」

 突然何を言い出すのかと様子を伺う保健医に、彼女は続ける。

「エルンスト先生の力になりたいんです」

 何だかんだと世話になっている保健医に少しでも何か恩返しをしたい。

 そんな真っ直ぐな視線を向けられ、保健医は僅かに目を逸らしながら考えるそぶりを見せる。

 一見、平静を装っている様に見えるが――仕事に私情を持ち込まない主義の彼は、彼女が思っている以上に様々な思考を張り巡らせていた。

「……分かりました。次の休息日に手伝ってもらえますか」

「ええ!」

「僕の指示には必ず従うこと」

「勿論」

「……僕も気をつけるから」

「すみません、いま何て仰いましたか?」

 最後の一言だけ聞き取れなかったエミリーが聞き返すが、そこにはいつものポーカーフェイスしかなかった。

「何でも」


 そうして二人は、次の休息日に投薬実験をする事になったのだった。

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