思案1
タクシーは可愛らしい
緑色の帽子をかぶったような、
ガラス張りの店の前で停車した。
その瞬間、みんな
車の扉が開くのを
待ちきれず、
一斉に外へ飛び出す。
全員がなだれ込むように
一気に店内に入ると、
そこは楽園と呼べるほど、
個性あふれるパンで溢れていた。
視覚だけでなく嗅覚にも刺激的な
媚薬のような香ばしい香り。
そしてジョン・レノンが、
「いらっしゃい」と呼びかけるような、
雰囲気のある写真が来店者を迎えてくれる。
1977年夏、と書かれた
Tシャツにサングラスという
いでたちのジョン。
自転車の前カゴには、
買ったばかりのパンが
紙袋に収められていた。
大介が思わず、
「リラックスしていて
とてもいい表情をしている。
大スターも、
普通の日常があるんだな」
と呟くと、
それを見ていた女性店員が、
お決まりの説明をするため近づいて来た。
「この写真はジョン・レノンが
ビートルズ解散後、しばらく
音楽活動を休止していた
頃のものだそうです」
「とてもいい写真ですね~」
と洋子もウットリしていた。
「はい、近所の写真館の
方による撮影だそうです」
「やっぱり、この写真は
プロの技だよ。表情が違う」
というユキチの発言に、
異を唱えるものは誰もいなかった。
「なんでも、オノ・ヨーコ
さんの別荘がこちらにあって、
息子のショーン君と
よく軽井沢にいらしたようです」
大介が確かめるように、
「それでこちらのパンを買いに
自転車でよく来られたわけですね」
「はい、そのようです」
「当時のことがわかる人
がいらっしゃいますか?」
「いえ、今のオーナーも当時子供で、
覚えてることが何もないそうです」
「そりゃそうさ、子供にとっては
ただの異邦人としか思わないよ」
「実のいう通りだ。
俺も子供だったらジョン
のことは見向きもしないさ」
「大介、ちょうどいいじゃない。
店員さんにオススメのパンを伺ったら?」
「そうだな洋子、みんなに聞かれる
とは思いますがよろしくお願いします」
「そうですね、やっぱり
フランスパンは欠かせません。
うちのオリーブオイルを
つけてぜひお召し上がりください。
一生忘れられなくなる
こと請け合いです」
「へえ~、やっぱりフランス
パンに自信があるんですね」と洋子。
「はい、それに塩クロワッサンや
パンロールも是非食べてください」
「わかりました。じゃあ明日の朝、
僕が焼きたてのパンを買いにきます。
今日はオススメのパイやケーキ
を買って帰りたいのですが…」
「そうですね、
素材にこだわった
チョココロネやあんパンなどの
菓子パンも超オススメです。
でも、珈琲やティーのお供なら
アルメット・アップルパイはどうでしょう」
「じゃあ、それをいただきます」
と、洋子はお財布を
ハンドバックから取り出して、
1人レジの前に移動した。
他のメンバーたちは、
どれもこれも美味しく見える
至福のパンに未練を残しつつ、
タクシーの方へ歩いていく。
そして後部座席に乗り込み、
少し遅れて洋子は大きな包みを抱えながら
前席に座ると、
すぐさまタクシーは走り出した。




