16 言及しないとでも思ったか
「しかし玖来さん、剣崎さんのことは京子と下の名前で呼び捨てなんですね」
神代 七が変なことを言うのは日常である。
特に彼氏の玖来 烈火が学校で隣の席にいる時は、授業の合い間にある短い休み時間ごとに言ってくる。
烈火は流石に冷や汗を流す。先ほど京子がいる間はなにも言ってこなかったし、授業ひとつ挟んだのでこのままお流れかと思ったが、そうは問屋がおろさないらしい。
どう言えばいいのかと沈黙する烈火に、七は果敢に攻め入る。
「しかも剣崎さん側から烈火と、やはり下の名前で呼び捨て……彼女である私ですら玖来さん呼びだというのに」
「いや、ほら、だってさ、うん。だって長い付き合いだし? ガキの頃からの呼び方が続投してるだけだし? そこに他意はないよ、一切ないよ。一片の余地もないよ」
烈火の必死の弁論も火に油。
七は常にない凶悪な相を垣間見せて言葉の刃を振り上げる。
「おや、それはつまり幼馴染というあのレア属性ってことですか。ヒロインとしてはベタでありながら不変の立ち位置を保証される、あの」
「待て! 幼馴染とは結局、付き合わないもんだろ! なんかこう、お母さんみたいなポジションに落ち着いて恋愛感情には至らないのが一般だろ!」
「ですがメインヒロインに抜擢されやすいのもやはり幼馴染です! 長い付き合いという名の究極の武器を振りかざし、思い出という名の飛び道具を無尽蔵に放出することすら可能! 挙句、呼び名がはじめからフランクで、呼び捨てでしょう! くそぅ、神は死んだ!」
結局、そこに落ち着くのか批判点は。
であれば古馴染みとかを擁護するより、問題点の解消にこそ尽力すべき。烈火は即座に代案を持ち出す。
「ていうかじゃあ、お前がおれのこと下の名前で呼び捨てすればいいじゃん」
「え……はっ、それは……」
途端に勢いをなくしてしぼんだ風船みたいになる。
ちなみにその風船の色は赤かった。
「そのぅ、恥ずかしい、です」
「未だにそれかよ……」
やはり七ちゃんもなんだかんだ言って処女だな。未経験だな。
好きな男の名前を呼ぶのも恥ずかしいとか、今時少女マンガでもないだろ。どんな奥手だよ、大和撫子さいこー。
しかし彼氏としては対応に困る。
現状維持は怒る。立場を並べようにも恥ずかしがる。どうしろと。
いや、単純な解決策はあるけど、これはちょっと烈火が恥ずかしい。
仕方ない。惚れた弱みだ。恥ずかしい事案は烈火が請け負おう。
「じゃあわかった抜本的解決案――おーい、京子!」
「えっ」
「なんだ、烈火」
声をかけると割りとあっさりやって来る剣崎 京子、同級生。
烈火はいかにも軽そうな声音で、しかし表情は重みに耐えかねて、言う。
「おれ今日からお前のこと剣崎って呼ぶわ。だからお前もおれのことは玖来と呼べ」
「……彼女に言われたのか」
「ああ」
「そうか」
剣崎はちらと七を見て、もう一度烈火を見る。
それから見詰め合うような三秒後に、結論を提出する。
「ではノーと送ろう」
「え」
驚愕と絶望と憤怒と悲哀とその他諸々がない交ぜとなって七は絶句してしまう。
代わって烈火は平静なまま問う。
「ん、どうして」
「烈火がわたしをどう呼ぼうと応えるが、わたしが神代の要請で烈火の呼び方を変える理由が薄い」
「とっ、友達からの懇願!」
ここぞとばかりに友情を盾にする。
剣崎の刃は容易く貫通。
「駄目」
「うぅ、悪魔女子……」
それから七を慰めるのに結構な労力を要した烈火でありました。
他の女友達から突っ込まれた剣崎さん。
「え、烈火? 別に好きじゃないよ」
「ただ……」
「彼氏いない身としては、ああいう幸せそうな子に意地悪したくなっちゃうかな」
やっぱりちょっぴり悪魔属性な剣崎さんでしたとさ。