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セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
おかあさんをするの
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夜泣きの妖魔

 

 巡り逢った時は、もう虜だった。


 皆、彼女を見上げ眺める事は出来るけれど、見つける事は出来なかった。

 夕闇が地平線を覆う一瞬の瞬きや、煌々と光る月の光輪の滲みや、昼間の喧騒や塵を大地に押し込める静けさの中に、彼女はいた。

 彼女はいつか、夜空から剥がされる時を待っていた。宙から見つけられた時、彼女は彼女になれる。彼女は、そういう精霊だった。

 幾年も待った彼女を見つけたのは、一人の少女だった。

 優しい茶色の瞳で、彼女を見ていた。

 彼女は嬉しくて、瞬きをした。双眸の中、星が散った。

 少女が唇を動かした。彼女の為に。


『綺麗ね』


 素晴らしい解呪の言葉を授かって、彼女は彼女に成ると、少女の足元に跪いた。

 それに対して『どうして?』などと聞くのは、人間くらいだ。


 彼らはあらゆる恋をする癖に。



 *


 時空の穴に放り投げられ、成す術も無く赤ん坊を抱く腕に力を籠めた。

 すると、赤ん坊が身を捩った。力を入れ過ぎたのだと、加減を迷った一瞬に、決別を突き付けられた。

 赤ん坊が、降りかかるあらゆる圧力と引力に腕からもぎ取られた。

 布に包まれた小さな姿が、濁流の様に流れ飛びすさぶ時の風に翻弄されながら飛ばされて行く。  

 アイリーンはカラになった六本の腕を虚しく伸ばし、甲高く叫んだ。

 赤ん坊は彼女が落ちるであろう穴の、直ぐ先にある穴に吸い込まれて行ってしまった。

 アイリーンは目を見開き、自分も別の穴へ落ちて行った。




 * * * * * * *




 さて、カナロールの長く続く歴史の中のひと時に、ある風変わりな妖魔がどこかからヒョイと現れた。

 その妖魔は、赤ん坊の夜泣きでやって来る。

 眠い目を擦って赤ん坊を抱き揺すっていると窓が勝手に開いて、六本の腕が室内に這って来ると言うのだ。もしくは、ギラギラと光る目を窓から覗かせていると言う。

 赤ん坊が夜泣きをすると現れる六本の腕の妖魔は、赤ん坊を持つ親たちの脅威となって、瞬く間に悪名が轟いた。

 何人もの封魔師が夜泣きの妖魔を封魔する為に現れた。

 けれど誰もその妖魔を捉える事は出来なかった。

 妖魔は宙の一部になって彼らから見えなくなるのが常だったし、既に王族に近しい力によって封魔されていたので、手出しが出来なかった。

 世の封魔師たちは訝しんだ。

 封魔師は、妖魔をカナロールの為以外には悪用出来ない。

 カナロールとの契約を破った封魔師がいるのではないか?

 その封魔師が契約違反の制裁から逃れているのは、これ如何に?

 被害を出していないから?

 実際、被害は一度も出ていなかった。――ノイローゼになる母親は続出したが。

 そして、知恵のある妖魔なのか、一度訪れた家には二度と現れなかった。(しかし、子だくさんの家には何度か訪れた)


*


 悩ましく不安な夜が何年か続き、夜泣きに効く呪いの品や、薬が飛ぶように売れた。

 すると、それまで傍観していた封魔の名門ナザール家当主がその流れから悪戯に、ある男へと白羽の矢を放った。

 矢を放たれたのは、ナザール家当主に匹敵する力を持ちながらも、否、だからこそなのか、彼に属さず従わず、面倒臭い感じの、明らかに目の上のたんこぶ的な存在の男だった。

 その男には、確かに怪しいところがあった。

 夜泣きの妖魔が現れる様になった前後に、封魔師の仕事をほとんどしなくなって、呪い屋を営む様になっていたし、王族に匹敵する程の力のある封魔師だった。


 そして、その男は良い人だけど、言われてみればちょっと怪しい人だよね、というところがあった。

 実際なんか怪しかった。


 ―――あの男が呪いを売る為に妖魔をけしかけているんじゃないか?


「まさか、そんな。あのお方が」と、いう声もあれば、ナザール家に睨まれるのを恐れて「そうかもしれない」と、賛同する声もあった。


「はぁ~? 冗談じゃないよ。クッソ、見てろよコノヤロー」


 疑いを立てられた男は、すぐさま重い腰を上げた。

 実は彼の所にも、夜泣きの妖魔は来ていた。

 彼の家にも、可愛い女の子の赤ん坊がいたのだ。今ではもう、お喋りを始めている。

 彼女の元へ夜泣きの妖魔が来た時、彼はかつてない程取り乱し我を忘れていきり立った。まだ彼の傍にいた彼の妻が、愛娘の為の怒りだと解ってはいるけれどドン引きしてしまう程ハイな状態になった彼だったが、妖魔の夜空の様な双眸を見て直ぐに気を静めた。

 妖魔の瞳が、余りにも寂しげで、悲し気で、そして必死だったからだ。

 助けがいるかい? と、尋ねる前に、余りに異常な興奮を見せた封魔師を恐れて妖魔は姿を消してしまっていた。


「やっぱり、あの時ちゃんと聞いてあげれば良かったな」


 彼は大して後悔も無くそう言って、夜泣きの妖魔を探し始めた。

 簡単だ。

 夜泣きに釣られてやって来るのだから、赤ん坊のいる家で待っていれば良いのだ。



 協力者には恵まれた。

 皆、彼が居れば夜泣きの妖魔を恐れる事は無く、安心して赤ん坊を泣かせられる。

 赤ん坊を求めて彼は色々な家へ行き、自分ちの赤ん坊の方がお宅の赤ん坊より数百倍は可愛かったなどという事を遠回しにしつこく自慢しては嫌がられた。しかし、背に腹は代えられないのだった。

 数日で夜泣きの妖魔がかかった。

 彼は窓から覗いた、見覚えのある焦燥感を湛える瞳と目を合わせると、話しかけた。


「赤ん坊を探してるんだね」


 夜空の瞳が、ガラスの向こうで瞬きした。星屑の様な輝きが零れて、泣いている様に見えた。

 彼はそっと窓に近寄った。

 

「どんな赤ん坊? 人間の街には、人間の赤ん坊しかいないよ」

『にんげん』


 妖魔が答えた。


「へえ、間違いない?」

『ない』

「人間の赤ん坊をどうするのかな?」

『そだてる』

「人間の赤ん坊は、人間が育てるよ」


 妖魔はもどかしそうに首を振った。

 彼は小さく頷いた。


「今まで、攫おうと思えば出来たのに、君はやってない。誰でも良い訳じゃないんだね?」

『そう』

「どんな子がいいの?」

『かみ、め、ちゃいろ』


 たどたどしく、もどかしそうに妖魔が答えた。

 今まで誰にも頼ることが出来なくて、ホッとしている様な様子だった。 


「男の子? 女の子?」

『おとこのこ』

「茶色の髪と目で、男の子ならいいの?」

『ちがう』

「特定の誰かなんだね?」


 コクン、と、夜泣きの妖魔は頷いた。

 そして、瞳から星屑をポロポロ零して彼に訴えた。


『さがし、てるの』

「親の名前は? ……きっと、君の封魔師だよね」


 パッと夜泣きの妖魔が顔を上げた。

 そこまで察して貰えるとは思っていなかったと言う様に安堵が顔に広がっていた。


『らな!』

「ラナ?」

『らな!』


 彼は妖魔に向って安心させる様に頷いた。

 頭の中では、ラナという強力な封魔師を探す。

 もしも名のある封魔師なら、彼が知らない筈は無いのだけれど、彼にはちっとも思い当たらなかった。

 しかし彼は微笑んだ。


「よし、僕が一緒に探してあげる」


 パッと妖魔の顔が輝いた。


「だからもう、赤ん坊の夜泣きに飛んで行っちゃダメだよ」


 妖魔は不服そうに彼を見た。

 だから彼は教えてやった。


「君はさ、五年も前に僕の家にもスーパー可愛い天使の鳴き声に誘われてやって来てる。と、言う事はだよ、君の探している赤ん坊なんてもういないのさ。君の大事な赤ん坊はもう、小さな男の子になってるハズだ」


 彼は言いながら、『五年か』と、胸を痛めた。

 五年も悲鳴を上げられ厭われながら主人の赤ん坊を探し続けていたのだと思うと、目の前の従順な妖魔の一夜一夜が酷く憐れだった。

 『ラナ』という封魔師に苛立ちすら感じた。

 一体、どういうつもりなんだろうか。

 彼のもっともな説明を受けて、我を忘れ赤ん坊の幻影に囚われていた夜泣きの妖魔は六本の内の二本の腕の手のひらで顔を覆い、暫く静かに泣いていた。


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