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セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
ラナとアガットとアイリーン
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赤ん坊の星

 

 ずっと人を避けていた。そう気付かれない様にそっと。

 だって、知られたら恥ずかしい。

 周りの同い年の女の子達は、仲良く寄り添って、ふざけて抱き合ったりしている。彼女達は、自分たちの身体の変化が誇らしくて仕方なくて、でも、ちょっと不安で。だから、ふざけて触れ合ったり、浴場に誘い合ったりして、確認し合っている。女になっていく事を。

 私は違う。その仲間に入れない。自分ですら、触れる事は疎か鏡で身体を見る事すら苦痛なのに、他人に? そんな事死んでも出来ない。

 ああ、楽しそう。春の芽吹きの様に華やかで、小鳥たちの音楽会の様に賑やかで。

 皆戯れましょうと誘ってくれるわ。私、何故だか人気者だもの。でも。

 顎を上向かせて。子供じみてるわって顔して。明るい輪に背中を見せなくては。そうすると、皆良い子たちだから、私の背中に憧れの目を向けるの。アガットは大人ねって。

 神様。神様。大人になんかなりたくない。片方だけ膨らんでいく胸なんか要らない。


 うーうー、うーうーうー……。


 *


 深夜、ラナの館が火事になったと慌しく報せが来て、アガットは飛び起きた。

 目を見開いて窓に駆け寄り、ラナの館の方角を見れば、赤々と明るい。近隣に燃え広がっている様子で、付近の上空を水属性の妖魔が飛び交っていた。

 アガットは息を詰まらせ、オロオロと部屋の出入り口に立つ使用人に「馬を」と怒鳴った。

 使用人が意識を取り戻した様にシャンとし、駆けていくのを見ずに、彼女は寝巻を脱ぎ捨てるとクローゼットを開け目に着いた外着に着替える。腰にベルトを巻く際、手が震えるので鋭く毒吐いた。ベルトの穴に上手く金具が通ると、ベッドの傍に控えさせていた剣を装着して髪を後ろに縛る。


「アガット様、門の前に馬を」

「よし、用意の出来た者から救済地へ向え!」

「既に数人向かっております」


 アガットは頷き、屋敷から駆け出すと馬に跨りその横腹を勢いよく蹴った。


 *


 火は予想よりも被害を出さずに収まった。カナロール国王が城から遣わせた海の妖魔が炎を丸ごと海へ攫って、それで収拾した。

 他でもないラナの屋敷からの発火だったので、国王は手を貸してくれたのだ。城からも、ラナの身を案じる封魔師や騎士達が幾人か様子を見にやって来た。

 アガットは彼らと共に、火が消えて濡れそぼった屋敷の中に踏み込みラナを探したが、ラナは何処にもいなかった。

 ほんの数時間前に後にしたラナの部屋は、発火元だったらしく著しく焼け焦げて変わり果てていた。ラナが一日の大半を縋る様に身を預けていた揺り椅子は、形こそあれど、クッション部分は燃え失せて、軸だけ真っ黒になって佇んでいる。そこにゆったり座るラナの幻に、アガットは目をギュッと閉じる。


 ―――ラナ! 何処に?


「アガット、落ち着け。ラナ様には使い魔がいるだろう。何処かに避難して、倒れているのかも知れない」


 顔見知りの騎士がそう言うのに頷いて、アガットはラナの館を飛び出した。

 火は消えども、人々の興奮は納まっていない。人ごみを掻き分けて、アガットは建物と建物の隙間や路地を探し回った。

 ラナは何処にも見つからない。妊婦の脚で、そう遠くへ行けるとは思えない。でもラナには常にアイリーンが仕えている。あの、子供のころから彼女に忠実な不思議で優しい妖魔。アイリーンは空を飛べた筈だ。だったら、もしかしたらもっと遠くへ? 

 しかし、何処へ?

 城? だから国王が動いた?

 否、だったら城から封魔師たちがラナを心配して駆けつけたりしないハズだ。

 アガットは喧噪の中、立ち竦む。


 ―――落ち着け。


 目を閉じる。誰かと肩と肩がぶつかった。構わない。ああ、ただ、考えさせて。


 ―――ラナ、何処?


 嘘だ。


 心の奥で、無視していた声が小さく響く。脳裏ではあの怪しい手紙が自ずと封を開いて便箋をちらつかせている。


 そんな馬鹿な事無い。

 貴女は鐘を鳴らしたじゃない。


 けれど。


 もしも自分があの手紙を受け取っていたら?

 もしも、あの日の手術を止める事が出来たなら……。


「ラナ……」


 アガットは眩暈を覚えて、人ごみから裏路地へ抜け出すと、しゃがみ込んだ。


 一人でなんて無理だ。

 だって、いつも貴女の隣には私がいて。

 私がいて―――。


 アガットは腰に差している剣を見た。

 彼女はこの剣で、ラナの封魔の隙を守って来た。


「どうして頼ってくれなかったの」


 身勝手に呟く。アガットは時を巻き戻せやしないのに。

 その時、赤ん坊の弱々しい泣き声が聴こえて来た。

 アガットはハッと顔を上げて、真っ暗な路地の先を見る。

 二つの星が、暗闇の中で光った。

 アガットは立ち上がる。


「アイリーン? アイリーンなの?」


 おぁう、と、猫の様な声を上げて、アイリーンがアガットに駆け寄って来た。腕に、しっかりと赤ん坊を抱いて。


 *


「アイリーン! この子は? ラナは!?」


 よろめきながら駆け寄って来たアイリーンに、アガットは問い詰めた。

 アイリーンは星の涙をポロポロ零しながら、まず赤ん坊をアガットに差し出した。

 アガットは困惑しながら赤ん坊を慣れない手つきで抱いて、顔を覗き込む。アイリーンが仄かに明るい星を一つ出して、赤ん坊の顔を照らした。

 世間でよく見る、よくある何の変哲もない赤ん坊の顔に、見知った特徴を見分けると、その赤ん坊は途端にアガットにとって特別な赤ん坊になった。『ラナの子だ……』アガットは一瞬赤ん坊に見惚れて微笑んだが、直ぐにアイリーンを見た。自らの星の明かりに浮かび上がるアイリーンは、憔悴しきっている様子だった。


「ラナは!?」


 強く問い詰めるアガットに、アイリーンは「それよりも」とでも言う様に首を激しく振って、赤ん坊を包むぼろ布をそっと捲った。


「なに……?」


 見れば、赤ん坊の胸の上を、光る二つの針が時計の様にクルクル回っていた。


「なんなの……?」


 アイリーンが「あ、あ、あ」と、声を上げた。


『じかん、じ、か……』

「アイリーン、喋れるの!? 時間が何?」

『じかじか……ううう……はや、い』


 必死で喋ろうとするアイリーンを励ます様に、アガットは彼女にうんうんと大袈裟に頷いた。


「時間、早い? どういう事?」


 うう~……と、アイリーンは指を震わせて赤ん坊の胸に光る二本の針を指差す。

 計りかねて、アガットは赤ん坊の胸にある光る針を見る。

 針はクルクル回っている。……針の回転が速い……『時間が早い?』


『の、ろ、い……』


 アイリーンがしゃくり上げた。


「呪い? 一体誰が!」


 何の呪いなの? アガットは弱々しく泣く赤ん坊を抱き直す。

 針がクルクル回る。回る。回って行く。アガットの動悸もつられて強くなる。

 少し、赤ん坊が重くなった気がした。本当に少しだったけれど。

 そして、ふと見ると髪が増えている様な気がする。ラナに似た、柔らかい茶色の髪だ。


 ―――そんな馬鹿な。でも、新生児にしてはしっかりし過ぎている気がする―――否、落ち着いて見れば、この子の大きさはもう新生児どころじゃない。


 アガットは答えに辿り着けないまま、ふ、と思い付いて赤ん坊の首を支えながら、そっと縦に抱いた。


「……どうして?」


 赤ん坊の首はくにゃりと反り返ったりせず、真っ直ぐ頭を支えていた。


『はや、はや、い……の、のろい……』


 アガットは合点がいって、猛烈に腹を立て、目を吊り上げた。


「ラナは何処にいるの?」

『た、た、たす、たす、け、て』

「もちろんよ! 連れて行って!!」


 アイリーンが大きく頷き、赤ん坊を見た。

 必死で守ってここまで来たのだろう。本当なら、どこか安全な場所へ託したいに決まっている。

 けれど、ラナの子を、ラナを差し置いてこんな目に合わす相手の、何処に死角があるのかアガットには思い付かなかった。―――だったら。


「危険だけど、連れて行くわ。呪いを解かせなきゃいけない」


 うるる……、とアイリーンが不服気に唸ったが、アガットは赤ん坊をギュッと抱いて首を振った。

 アガットは赤ん坊を連れて行く事が不安だったけれど、そう決めた。一瞬でも手放すものか。ラナの腕の中に、無事に帰すまで。

 渋々差し出されるアイリーンの手を取る。


―――飛びます。赤ちゃん、落とさないで。


 澄んだ声が、アガットの心で響いた。


「素敵な声」


 自分もアイリーンも励ましたくて、アガットはアイリーンにそう言ってニヤリと笑って見せた。

 アイリーンも、控えめにニッとして、そして夜空を見上げる。


 * * * * * * * *


 セイレーンがうたうと世界に魔力が満ちて、妖魔が蠢く。

 しかし、うたはある日を境に途絶えてしまった。

 

 何処かの酔っ払いが、何処かの酔っ払いに酔っぱらって言う。


「ある日って何時か知ってるか?」

「知らねえな」

「その日はよ、赤ん坊の流れ星が、流れたんだぜ」


 酔っ払いは笑い転げて、テーブルから皿を落として派手に割った。 


「ちょっとお客さん、店の物壊さないで」

「だって、ライラちゃん、コイツ、おかしな事言うんだ……」

「なぁに? 喧嘩~? ライラを取り合ったって、この子は高いんだからね」

「俺はダイアナの方が良いよ~」

「皿代払って死ね!」

「まぁまあ。それで? 流れ星がなんだって? 私もまぜてよ」

「赤ん坊の流れ星なんだ」

「へぇ、面白い」

「ほぎゃほぎゃ泣いて、流れ星はセイレーンとぶつかっちまったのさ」

「アホらしい。それでセイレーンが脳天割られていなくなったって?」


 酒場でドッと笑いが起こって、余りにも皆が笑うので、物語った酔っ払いも何が何だか分からなくなってとにかく楽しいからイイや、なんて思って笑った。

 歌って踊って賑やかで、誰が見たって羨ましがる夜の一コマだった。



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