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セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
ラナとアガットとアイリーン
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秒針の誘い

いつも更新頻度がおかしくても読んで下さる優しい読者様、どうもありがとうございます。

先日更新した《記憶》の章は一話のみで、この話はまた新章になります。

見慣れない人物が主軸となりますが、アシュレイたち共々愛して頂けたら幸いです。

どうそよろしくお願い致します。

 カナロールには、海の見渡せる広い墓地がある。

 墓地には、陶器で出来た小さな鐘がぶら下がるオベリスクが幾つかまばらに建っていて、近くに誰かが埋められる時、その役目を果たして悲し気に鳴るのだった。

 蔓草に覆われた小さなオベリスクの下で鐘を鳴らすのは喪主の役目で、その音を響かせ死者の魂を、海に迎えに来てもらうのだ。

 鐘の音は小さく、しかし遠くまで響く。

 まるで近所に密やかに広まる訃報の様だ。

 厭なものだけれど、訃報は広まらなくてはならない。

 思いがけない誰かが、死者を惜しめるように。そうして、その誰かの胸で、死者が永遠になる様に。

 知らずに死者を尋ねた者に、気まずい思いをさせない為に。また、尋ね人の中に生きる死者を垣間見て、喪主が夢と現に傷ついたりしない為に。

 皆が、喪主をそっと放っておいてくれる為に。もしくは、手を差し伸べる為に。

 今朝は、腹の膨らんだ女が、彼女の親しい者達に支えられて鐘を鳴らしていた。温かく優しそうな茶色い瞳から、はらはらと涙を零し、震える手で鐘から垂れた鎖を揺らす。上手く鎖が揺れなくて、鐘が鳴らない。その場にくずおれて泣き出した彼女に、数人が屈みこんだ。


「ラナ様、鳴らさなくてはなりません」

「……いやよ。いや。鳴らしたくない。鳴らしたら、ディンは海のものになってしまうんだもの」


 ラナと呼ばれた身重の女は、鎖を何処かへ放る様に手から離した。自由になった手で、顔を覆う。顔と手の隙間から、涙が滲み出て黒いワンピースのスカートを濡らした。

 傍で彼女を支える年かさの女が、彼女を励ます。


「そうしなくてはいけません。もう貴女の夫は海のものにならなければならないのですから……」

「いやよ! どうして」


 癇癪を起しそうになる彼女の手を、彼女と同じ位の年の女がパッと取った。その女は、彼女を甘やかしたくてはち切れそうな気持を叱咤して、毅然とすると心に決めていた。


「ラナ、ほら。支えてあげる」

「どうして……ディン……」

「鐘を鳴らして。死者を……」


 死者、と言葉にして、一瞬傷付いた様に躊躇し、声は続いた。


「死者を、生まれて来る赤ちゃんの傍に置いて置けないでしょ?」

「酷いわ、アガット! あんたなんか、友達じゃない!」

「立ちなさい! ラナ、境界線を引くのよ!」


 ラナは呻いて立ち上がる。夫の死に加えて、友情まで失う気は彼女には無かった。


 鐘の音が響く。意味のある訃報を乗せて。

 カナロールの空は、いつも曇り空。

 カナロールの海は、いつも黒い海。

 風は、潮風……。



 臨月が近づいていた。ラナには、膨らむお腹だけが夫との現世での繋がりだったので、撫でさすっては話しかけた。腹の皮が歪む程、中の赤ん坊はそれに応えた。内側からの圧迫感と予想外な所を突いて来る痛みに時折呻く程だったけれど、不思議な事にそれはラナに幸せをもたらすのだった。

 女手で育てる不安は無かった。

 ラナは地位も名誉も金も、唸る程所有していた。それは夫から相続したものでは無く、自分で築いたものだった。

 揺り椅子に揺られながら、ラナは召使いが運んで来た銀のトレーに手を伸ばす。つるりと光るトレーの上には、しっかりした封筒が乗せられていた。

「また?」

 

 ラナは眉をしかめる。


「生まれるまで仕事はしないわ」

「国王からの封書です。お目通しだけでも」

「……ふん。臨月の妊婦を狩りだすなんて、カナロールも落ちたものね」


 ラナはブツブツ言いながら、手紙の封を開けて中身に目を通す。

 初めは揺り椅子を自らの脚で押して揺らしていたが、その内彼女はピタリと身体の動きを止めた。


「奥様……」

「ごめんなさい。ちょっと、外してくれる? それから、アガットを呼んで」


 ラナは召使いを部屋から追いやって、手紙を何度も読み返す。

 知らず、親指の爪を噛んでいた。


「国王からの封書なんて嘘ばっかり。どう思う? アイリーン」


 独り言を呟いたラナの影から、ヌッと女が現れた。

 微かに青い枯草色のざんばら髪を、首を傾けた方にざらっと流して、女はつぶっていた両目を開く。そこには二つの星空があった。

 女は手紙に小さく首を振る。

 ラナはそれに頷いた。


「ね。まず封印が違うもの。なんの印かしら……?」


 ラナは一度開けて割れた封印を、合わせて見る。

 型押しされた印は、長い針と短い針が幾つも放射線状に突き出しているものだった。


「攻撃的ね?」


 傍らの女に同意を求めると、女は瞬きをして、瞳の中で星と星をぶつけて弾けさせた。


「ははは、負けてないね」


 ラナが笑う。腹の子がラナの笑い声に反応して蠢いた。すると、すぐさま女が腹にピッタリ張り付いて、長く尖った耳を寄せた。

 細められた瞳の中で、星がキラキラ瞬いていた。


「どう思う? アイリーン……」


 ラナは彼女の名を呼んで、彼女の髪を撫でる。

 アイリーンは首をそっと振った。今はそんな事よりも腹から聞こえる音の方が大事、放って置け、とばかりに、気の無い様子だった。


「でも……迷うわ……」


 ラナはまた爪を噛んだ。



 暫くして、アガットがやって来た。

 彼女は陽気な空気を纏って部屋へ入って来ると、赤ん坊用の小さな靴下や帽子をラナの前に広げて見せた。


「迷ったのよ。ピンクがとっても可愛かったんだけどね? 男のかも知れないでしょ? 店員ったらね、生まれてからにしてはって言うの。馬鹿ね! 今買いたくてしょうがない客に!!」

「アガット……先週も買って来たじゃない。ああ、結局黄色! 私の赤ちゃんは黄色づくしね!」

「オレンジっていう新提案をもらったわ。だからホラ、涎掛けにはオレンジの刺繍がね」

 

 ラナは笑って、紙袋からとめどなく赤ん坊のアレコレを取り出すアガットを眺めた。

 アガットも、興味津々のアイリーンに一つ一つ用途を説明しながら(アイリーンはもう何度も聞いているハズだが、この件に関しては彼女は一向に飽きなかった)、お腹を重そうにするラナの様子をそっと見ていた。



 アガットは少女の頃、膨らみかけた乳房の左側に濃い痣が広がる奇病に掛かった。それは命に係わる病気では無かったが、その際掛かった医者が悪かった。騒ぎ立てて、アガットの両親を怯えさせ、彼女の左乳房を切除してしまった。

 なのでアガットはずっと独り身だ。恋した事もあったけれど、恋すれば恋する程、どうしても身体を見せる事が出来なかった。今でもそうだ。

 そんな経緯で、アガットは親友の膨らむ腹に、夢を見ていた。叶えられない夢が、他でもないラナの腹の中で膨らんでいく事に、アガットは夢中だった。


―――本当は、ラナが彼女の夫のディンと恋に落ちた日も、懐妊が判った日も、羨ましさに一人身悶えて泣いた。


 アガットは色々なものを暗い部屋で一人呪って、最終的には、片方の乳房が無くても愛を乞う勇気が無い自分を呪って夜を越した。 

 幾夜も幾夜も。

 ラナが愛を死に奪われた日、アガットは妬みから救われた。

 その救いはアガットの心を突き刺して、また別の檻に彼女を閉じ込めたけれど、アガットは甘んじてその罰を受ける。そして決めている。生まれて来る赤ん坊を、愛すると。


 ふう、とラナが息を吐いたので、アガットはラナのお腹から彼女の顔へ目線を映す。金にも手助けにも困っていない妊婦は、至極健康そうな赤みのある頬をしていた。


「お腹が苦しい?」

「はち切れそうよ。胃も押されてさ……ねえ、それよりアガット。変な手紙が届いたの。読んで見てくれる?」


 ラナは揺り椅子の傍に据えられたサイドテーブルに腕を伸ばし、一通の封書を手に取るとヒラヒラして見せた。


「何?」

「差出人がおかしい」


 アガットが首を傾げてヒョイと封書を手に取って、表裏ひっくり返して言った。


「……この封印の紋章は何? ……秒針?」

「秒針。そうか、秒針だわ」

「なによ……」


 アガットは手紙を広げる。ラナはそれを、揺り椅子のひじ掛けに肘を突いて見守った。


『 親愛なる封魔師様

  

  わたくしを時からお救い下さい。

  わたくしは命を打つのに飽きました。

  しかし時という性質は飽きが無いのです。

  わたくしは見つくしました。

  そして布石を落としたくなりました。

  禁忌ではある事、承知しております。

  しかし見たい。

  飽きているのです。

  どの時間を巡っても、これを出来るのは貴女一人。

  ある妖魔を、この世から葬って下さい――― 』


 「なによ、これ」アガットが眉を寄せてラナを見る。

 ラナは肩を竦めて「続けて」と、催促した。


「侮辱だわ。天下の封魔師ラナ様に、こんな不躾な手紙をよこすなんて」


 アガットは自分の事の様に憤慨した。ラナがたしなめなければ手紙を床に叩きつけていただろう。


「アガット、良いから続けてよ。続きが面白いの」

「はいはい―――。なになに……」


『 貴女の類稀なる優れた能力とわたしのやはり(・・・)類稀なる優れた能力を、引き換えあいましょう 』

                            』

 ハッ、と、アガットは鼻で笑った。


「カナロール一の封魔師の能力と等しい能力なんて、ありはしないわ」

「人間ならね」


 ラナの言葉に、アガットは眉を潜める。急に、手にしている手紙がひやりと重く感じられた。

 そして、更に綴られる文字を目で追う際、文字が奇妙に脈打っている錯覚を感じ、鼓動が早まるのを抑えられなかった。


「―――わ、わたしが、この世から葬って頂きたいのは……」


 アガットはラナを見る。ラナも、アガットの目を見る。


『 この世から葬って頂きたいのは、セイレーンという妖魔です 』



 アガットが、柔らかいカーペットの上に座り込んだのを、ラナは気づかわし気に見守った。

 アガットはこめかみに片手を添えて、頭をゆっくり振った。

 

「馬鹿げてる。妖魔のほとんどを敵に回す様なものだわ」

「本当に。馬鹿げた規模の依頼ね」


 ラナは深く頷いて、もたもたと揺り椅子から、アガットの傍のカーペットへ移動した。


「何処にいるのかも分からないのに」

「本当に私なら出来ると思う?」

「何言ってるの……?」


 ラナの質問に、アガットはギョッとして彼女の顔を見た。


「たとえ話よ。貴女の助けがあるなら、もしかしたら―――そんな顔しないでよ。もう暫く仕事から離れていたから、何だか気持ちが疼くだけ。もしかしたら、そんな私を馬鹿にして書かれた手紙なのかも」

「……そうよ……悪戯だわ! もしも本当にセイレーンを葬りたいなら、カナロール王に頼んだ方が確実だもの」

「けれど、王は頷かない」


 それに、差出人にとって王を相手取るのは不都合極まりないのだろう、と、ラナもアガットも思った。


「何を交換条件に出しているの?」


 アガットが恐る恐る手紙の続きに目をやった。


  貴女はセイレーンをこの世から消す。

  その代りに、わたしは貴女が失った時間を巻き戻しましょう。

  わたしは全てを見て知っている。

  ―――全て! 

  何もかもが望む時間を、わたしは手にしている。

  近々、お会いしましょう。

                       かしこ 』



 時間を?

 望む時間を?

 ああ……でも。

 そんなものはたくさんあり過ぎて、何を選べば良いのかわからない。


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