僕を見つけて
こうなりたかった気持ちが、こうなりたかった、と小さく叫んでいる様な発見を、ライラは渋々した。こんな気持ちを喜んで迎え入れたが最後、とうとう抑えられなくなりそうで、彼女は怖かった。
彼女の体験した始まりはいつも、急激に膨らんで、萎むか割れてしまった。その時に味わう、鳥肌が立つ程の冷たい重力は、予測出来ない角度から彼女の心を潰し、長く痛めつけるのだ。
けれども、ライラは夢を見ていた。
自分に、そんな責め苦を与えない、自分だけの男。
でも、アシュレイは本当に、そうだろうか?
なんだか、掴めない。
けれど……。ああ、こうしたかった。
ライラはアシュレイの首に腕を回して、彼の柔らかい髪を指で梳いた。
彼の舌が、彼女の小さな牙をなぞっていた。
ライラは不思議に思う。
コイツは怖くないんだろうか? こんな柔なモノを、あたしの牙に触れさせて。
舌を噛み千切られるなんて、思いもしないのだろうか?
だとしたら、愛しい。ライラはそう思った。だから彼に習う。柔らかいモノを差し出し合うのは、怖いけれど嬉しい。
*
だがしかし。
何事も程々が一番で、キスだって例外じゃない。
どんなキスだって、果ての見えない程長引けば苦痛だ。しつこさに恐怖すら覚えた。
そういうワケで、ライラはアシュレイを自分から引っぺがした。
「へ? ちょ……もうちょっと……」
「もういいっ。イヤ。来ないで!」
「急にどうしたんだい!? ホラ、ライラ、ホラァ……ッ!」
「もういいっつてんでしょ!?」
拒絶に余計鼻息を荒くし、機敏に首を動かし顔を近づけて来るアシュレイを、ライラは蹴っ飛ばした。アシュレイは軽く吹っ飛び、蹴りを撃ち込まれた腹を抱えて暫く蹲った。
しまった、加減が出来なかった、と、ライラは唇を噛んだ。
「ア……、ご、ごめんアシュレイ……」
どうしよう。さっきまでキスしていた相手を蹴っ飛ばして吹っ飛ばすなんて……でも、凄く……しつこかったから……。
ライラの心配をよそに、アシュレイは首をもたげ、涙目でライラを恍惚と見詰めた。
「ゲフゥッ何というツンデレ……!! ライラ……大好きだ……」
「ヒッ、気持ち悪いっ」
「ふ……もっと僕を蔑め! 君はヤッパリ僕を悦ばせるのがうまいな! 最高だよ!!」
全然嬉しくない賛辞を吐いて、アシュレイはむくりと起き上がると、警戒するライラの傍に寄って来た。
「アンタは頭が変!」
「普段知的な僕には、刺激的な言葉だ! 優越感すら覚えるよ!」
『もっとよこせ』なアシュレイは顔を高揚させて、スチャッとライラの隣に座り込むと、もがく彼女を抱きしめ、頬にキスをして、また抱きしめた。
「あ~、幸せ。日向に居る様な気分だよ。ライラは今、どんな気分!?」
「最悪……泥沼にハマった気分」
「うんうん! 良い子だね! よーしよしよし……」
「……」
ライラは抵抗が余計にアシュレイを煽ると察知して(遅い)、もう彼のしたいままにする事にした。ウキウキなアシュレイには勝てないのを、とうとう学習したのだった。
されるがままに抱きしめられながら、「こんなハズじゃない」と諦め悪く泥沼の中にアシュレイの言うトコロの日向を探した。
アシュレイの胸に(半ば強制的にされて)顔を埋めると、それは直ぐに見つかった。
「……ねぇ、アンタ、ドキドキしてない?」
「……え?」
「ククク……何ドキドキしてんの?」
「し、してないよ!」
アシュレイはムキになって否定した。
そういう風じゃない。そういう風には攻められたくない。攻めの主体はあくまで自分が良いアシュレイなのだ!
「そう?」
ライラはニヤッと笑って、アシュレイの胸に耳を当てる。
アシュレイは急にライラから離れたがった。
「やめろ、やめてよ!」
ライラは声を立てて笑い、手を伸ばして、アシュレイの胸に当てた。
「さ、触らないで!?」
「ホラ! ドキドキしてる! アハハ!!」
「するよ! ……するさ」
観念したのか、アシュレイは憮然とした顔で、自分の胸の上に置かれたライラの手を、手のひらで押さえた。
強くて速い鼓動が、ライラの手に伝わって来る。
「なんで笑うの。僕の心臓は君に恋してるだけのに」
「……なんで笑われたく無いの?」
「本心だからだよ」
ライラの聴覚から、たった一つの音を除いて音が消えた。
大気のうねりも風も、波の音も、木々の葉が擦れる音も、何もかも。
「……じゃあ、なんで隠すの」
彼の鼓動を聴いた時、本当は嬉しかった。でも、茶化して笑うしか出来なかった。
同じ類の気持ちを、コイツも持ってるのだろうか。どうしてあたしたちは、隠したがってしまうんだろう。
「自分を主役って思って無いからかな」
「バカみたい」
「いいね」
アシュレイがニヤリとした。ライラの好きなニヤリだった。
「聴いてみたいな……。アンタが主役の話」
ライラはそう言って、アシュレイの胸に頭を預けた。
*
蒼い海が見える所に住んでいたと、アシュレイは切り出した。
蒼い海、とライラは返して、眼下に広がる黒い海を眺めた。
「蒼いって、どんなかな」
「綺麗だよ。連れて行ってあげる」
アシュレイはそう言って、ライラの髪を撫でた。細くて艶々した彼女の薄紫色の髪が、サラサラと流れた。高貴な花の色だとアシュレイが褒めたけれど、ライラはその花を知らないので、「ふぅん」としか返事を返さなかった。だからアシュレイは、いつかその花を彼女に贈ろうとそっと決めた。
ライラの関心は、蒼い海にあった。
「ここから遠い?」
「ラルフの翼なら、ワケないよ」
「……前に、養子って言ってたよね? そこに家族がいるの?」
「母親がいたよ。二人で暮らしてた」
「お母さん……いいなぁ」
そういうライラに、アシュレイは微笑んだ。
「血を分けた親子じゃ無かったけどね。うん。素敵な母親だったよ」
「……そうなんだ」
本当のお母さんは? と、聞きかけて止めた。彼にとって不可抗力だった事を、わざわざ知ってどうするのだろう。
「優しかった?」
「ああ」
「アンタ、べたべたに甘えていそう」
「へへ? そう? そうかも」
随分素直に、アシュレイは照れ笑いをした。
ライラはそれを見て微笑ましく思う。
「怒られてたんでしょ?」
「うん。怒ると雷を落とすんだ」
「ふふ……」
「その度に髪がチリチリになってさ……」
「……?」
「火も吹いた。何度か家が火事になってさぁ」
「……??」
「手も出たな。凄く加減してくれたけど、一回鼻の骨が折れてさ」
その時の事を思い出しているのか、アシュレイは目に見えて怯え、鼻を押さえてそう言った。
「まぁ、直ぐに綺麗に戻してくれたけど。えへへ。狩りが得意でさ、鹿を素手で一発で仕留める逞しい所もあったよ」
「ふ、ふぅん……っ?」
―――なに? そのお母さん……。
「瞳が凄く綺麗で……見詰められると誰だって意識が飛ぶんだ。僕は大丈夫だったけどね!」
眉を寄せて、作り笑いをするライラに、アシュレイは微笑んで続ける。
「夜空を飛ぶのが大好きだった。夜闇に溶けて、大きく広がると母さんのいる空だけ星が倍に輝いたんだ」
「ちょっと待って」
ライラはとうとう、口を挟んだ。
また、欺かれている様な気がして、少し悲しかった。
けれど、アシュレイの瞳には過去への信愛しかない。
彼はライラの割り込みに大らかに微笑んで「どうぞ」と彼女の言葉を促した。
「夜闇に溶けるお母さんってなに。広がるってどういう……?」
「そのままだよ」
「……からかってる?」
だったら、悲しい。
アシュレイは首を振った。
「ちゃんと本当の話」
「だって! それってまるで妖魔……」
ライラが気まずさを投げ打ってそう言うと、アシュレイはパッと嬉しそうに微笑んだ。どこか、誇らしげでもある様子で、彼はライラに明かした。
「うん。……うん! そうなんだ。僕、妖魔に育てられたんだよ」
*
アンタって、タチの悪い箱だわ。
*
ビックリさせたかったワケじゃないんだけど、だってホラ、君は本当の事ばっかり知りたがるから。




