たとえそうして手に入れようとも
さ、行こうか。とアシュレイが『六角塔』へ歩いて行く。
ライラは足が震えて、彼の数歩後にノロノロ続いた。
……あたしがこの街に来た時から、あのペンダントは店にあった。そして、値段の為に誰も買う者がいなかった。そんな事、この街の子供でも知っている。
それを、コイツはいとも容易く買った……。
ライラは小切手を初めて見た。
『六角塔』の店主は大きな取引(大抵人目を忍んでやる様なものだ)をするが、一度不渡りを出して銀行の信用を失ってから、懲りたのか持つのを止めたのだと言う。
ライラ達の国で銀行の信用を得るのは、結構大変な事だ。
ある程度資産・財産を持ち、手堅い職業と安定収入を約束された者がようやく審査対象で、そこからまた色々ややこしい。『六角塔』の店主も、もうわざわざ細かい網の目を再び潜るのが厭になったのだろう。
ますます得体が知れないわ。
でも、これだけは判る。
コイツは日の当たる場所にいるか、『六角塔』店主より後ろめたい暗闇にいる。
それ程大きく見えないアシュレイの背中を、ライラはジッと見た。
その背は呑気に揺れているが、しゃんと真っ直ぐ伸びている。
ライラは目を細める。何かが、眩しくて。
* * * * * * * * * *
『六角塔』へ向かう道中、アシュレイは道端でライラにネックレスを差し出した。
ライラは身をのけ反らしてそれを拒否した。
「も、貰えない」
「なんで? 貰ってよ。君にプレゼントしたいんだ」
ライラは首を振った。
「あのね。重すぎる」
アシュレイはライラへ差し出したネックレスを、ヒョイと持ち上げた。日の光に不釣り合いな輝きが、その動きの軌跡を描いた。
「確かにちょっと重いけど、それ程でも無いよ?着けてごらんよ」
「……違う。どうして会ったばかりなのに、そんな高い物あたしに買うの?」
「ライラにとって価値があるからだよ」
「確かにあたしは踊り子だけど……」
ステージでこのネックレスはどれ程輝くだろう?
あたしはその輝きに負けてしまわないだろうか?
ライラはふと魔が差して、そんな事を考える。
アシュレイは「分かって無いなぁ」といった風に首を振った。
「ライラ、パンケーキの花と一緒だよ。このネックレスは僕には全く価値がない。でも君には」
価値がある。
そう言って、アシュレイがライラの手を取った。ライラは何故かこの時、それを許してしまった。
後から考えても、その「許し」にライラは浅ましさしか感じない。でも、ちょっぴり心の隅で言い訳をする。
「何故か逆らえないものがあったんだ」と。
ネックレスが手の平にそっと落とされた。
やはり少し重い。滑らかな鎖の感触に、先ほどまで持っていたアシュレイの手のぬくもりが残っている。 宝石の色彩に心を躍らせてしまうと、ああ、あたしは女なんだ、とライラは口の端を微かに震わせた。
……いいわ。貰ってやる。それよりも、今はダイアナなんだから。
コイツが何かあたしに望んだら、いつでも突っ返してやればいい。
着けて着けてとせがむアシュレイを無視して、ライラはスカートのポケットにネックレスをしまった。
「ええ〜!? 照れ屋過ぎるよライラ!」
「うるさい。それより、あんた本当にあの隊長さんと知り合いなんでしょうね?」
「同級生だよ」
ライラは顔を歪めた。
「なにそれ。それって知り合いの知り合いの知り合いの……じゃないでしょうね」
「僕を見る目を変えたのに、そんな事疑うの?」
ライラは頬の内側を噛んだ。確かにそうだ。ズバリと来て腹が立つ。でも、言葉で言われた事でライラもストンと納得してしまう。「アシュレイは多分、フツウの人じゃない」
でも、こんな道端でゴチャゴチャ話し込むのはゴメンだ。
一刻も早く『六角塔』へ行って、様子を聞き、ダイアナを迎えに行く許可が欲しい。
……そんなもの出るだろうか?
許可を貰えなかったら、アシュレイになんとか頼むしかない。でも、そんな手間彼は引き受けてくれるだろうか?自惚れている考えだけど、アシュレイはライラへの好意で〈セイレーンの矢〉の隊長と話をしてくれるつもりなのだろう。
もし下心無しで願いを聞き入れているなら、彼は片っ端から〈セイレーンの矢〉に連れて行かれているという歌子達を救いに行かなくてはならない。
「アシュレイ。あたし、この街から出られないかもしんない。でも、もしそうだったらダイアナを助けてくれる?」
ええ〜、とアシュレイが嫌そうな顔をした。
ヤッパリ……。
「僕はライラと行きたいんだよ。ライラとライラと〜」
「気持ち悪い。でも、だってマスターが許可してくれないと出られないのよ。さっきも言ったけど、所有物なの」
「ライラはそれでいいの?」
「いいワケない。なによ、偉そうに」
言いながら歩き続けていたので『六角塔』は目前だ。ライラはプイとアシュレイから顔を背けて早足でずんずん進んだ。
ハミエルが足をチョコチョコ速く動かしながら、ライラに纏わりついた。
ライラはハミエルに話しかける素振りで、アシュレイに聞こえる様に大声を出す。
「聞いた?それでいいの?だって。あたしに選択肢なんて無いのに」
ハミエルは早足のライラについて来ながら、彼女の顔を見上げている。ライラは言いながら、癇癪を起し始めていた。
高価なネックレスをポンと買えるアシュレイみたいな人がいるのに対して、どうしてあたしは孤児の踊り子なんだろう?あたしならもっとマシな使い方をしてやるのに、ああ、あたしってなんてツイてないの!
「あたしには店から離れるお金なんてないのにサ!」
勢いよく振り返って、噛み付くように喚くとライラは胸を上下させた。乱れて顔に掛かった長い前髪を、手で払いながらライラはハァ、と息を吐いた。
アシュレイは穏やかな顔でこちらを見ている。
「……なによ」
「別に。怒った顔も最高。でも、泣いては欲しくないな」
「泣いてない」
「そう? で? ライラ、どうするの?」
ライラは、すぅ、と何かが冷めるのを感じた。日向の様に笑うこの男の心を、何か汚いモノで汚してやりたい。そう思った。
顎をくいと上げて、ライラは目を据わらせた。
「アシュレイ、あんたあたしを買わない?」
アシュレイは呆れた様に口の端をニッと上げた。途端、少しだけ雰囲気が暗く冷たく変わったのを、ライラは見逃さない。
……そう、それがあんたの「顔」ってワケね……。結構イイ顔するじゃない。
アシュレイは腕を組んで、片足だけに重心を置いた。
「一晩?」
「まさか。望み通りの日数よ。あんたさっき、永遠って言ったじゃない」
きゅう、とハミエルが後ろ脚だけで立って、ライラのスカートを噛んで引いた。
「僕は君を買えるけど、買わないよ。プレゼントはするけどね」
ハミエルがしつこくスカートを引っ張る。ライラが「ダメ」と言っても止めなかった。簡単に「要らない」と言われライラは悔しくて、ついハミエルに声を荒げた。
「ハミエル!」
「怒るなよ。ハミエルは君より賢いぜ」
「なんですって」
こんな事している場合じゃ無いのは分かってる。でも、あたしは今、猛烈にイライラしてる。自由じゃない。求められもしない。こいつも、他の男と同じ!
ライラが心の中で鋭い何かを作り上げようとした矢先、アシュレイが先手を打った。
「僕は愛の告白もしたし、プレゼントもしたよ。後は女の子次第だろ?」
「? 何言って……あっ、ハミエルったら!」
ハミエルがライラのスカートを、今までライラに対して揮った事の無い力で引いた。ライラは驚いてよろめくと、片膝を付いてハミエルを押さえつけた。
ハミエルはグイグイ頭を動かして、スカートのポケットに鼻先を突っ込んだ。
ネックレスが輝きながらポケットから零れ落ち、チャリ、と地面に落ちた。
アシュレイが「ホントに賢いね」と笑った。
「……」
ライラはネックレスを拾って、ぼうっと見詰めた後、アシュレイを見上げる。アシュレイは首を傾けて微笑んだ。
「良いネックレス、持ってるじゃない。それ、幾らすると思うの?」
「……アシュレイ」
「僕とおいでよ」
見上げたアシュレイの頭上に、真昼の太陽。
ライラは目を細める。
* * * * * * * * *
眩しかったのは、どっち?
思い出せない。あの時、あたしはどんな気持ちだったのだろう。
自由になれるという期待? それとも、あんたへの期待?
芽生え始めたあざとい気持ちと、少しだけの後ろめたさに蓋をして、ああ、今となっては馬鹿な事をしてしまった……。
* * * * * * * * *
正直、あの時の君にはイライラしたよ。
でも、そうしようと思いつかない君に、僕の胸は締め付けられたんだ。
うん、君は思ったより馬鹿だったね。