陶酔から醒めて
ライラは心を弾ませながら犬の妖魔を爪で切り裂き、長い毛を鷲掴みにして振り回し地面に叩きつけ、抗いには力づくで抑え込んで喉笛を噛み千切った。逃げ出す犬どもの行き先へ、跳躍一つで立ちふさがると、彼女は微笑んで熱の籠った息を吐いた。
上気する気持ちに合わせて、尾が揺れる。
―――尾? あたしに尻尾なんてあったっけ……?
まぁ、良いや―――。
ライラは逃げようとする二頭の尾をそれぞれの手に掴み、乱暴に引っ張ってお互いの身体にバシンと打ち合わせた。内臓が圧迫されて出てしまった鳴き声を右側が上げた。左側は恐怖に鼻先でヒュンヒュン鳴いていた。
ライラは二頭の頭が、自分の顔の傍に来る様に彼らの尾を持ち上げ、荒い息をする獣に微笑んだ。
そして、地面に仲良く寝そべる様に犬の妖魔に密着して覆いかぶさり、首にそっと唇を近づけ、咥え込むと、ゆっくりかみ砕いた。
もう一匹の尾は、その間に尻から千切り取ってやった。尾を千切り取られた犬の妖魔は、気を失って地に伏した。
残りの一匹が洞窟から飛び出そうとしたので、ライラは顔を上げ、耳をピンと立てる。
唸って追いかけようとした矢先、馬の嘶きが聞こえた。それから、なんだかとても暖かい気持ちになる匂いがする。
―――アシュレイの匂い!!
ライラは直ぐにそう思うと、「きゅん」と声を上げた。
―――アシュレイ、戻って来た!
―――戻って来た!
―――遅いよぉ!
―――アシュレイ!!
―――怖かったよ!
ライラはきゅんきゅん鳴いて、洞窟の外へ駆け出した。
―――ダイアナは来たかな?
ライラはふと、立ち止まる。そして、自分の身体をキョロキョロ見下ろした。血みどろだった。ふさふさした尾が、所在無さ気にふわりと揺れた。
―――駄目だ―――。怪我を、ダイアナに見せない様にしなくちゃ。きっと心配するから。ああ、あたしったら、凄い爪をしてる。削らなくちゃ。ダイアナに怪我させちゃう……。
「おーい! ライラ!? いる!?」
洞窟の外から、足音と焦った声が聞こえて来た。馬の嘶きも聞こえる。
先ほど逃げ出した犬の妖魔の唸り声が洞窟の外で響いた。きっと、飛び出した先にアシュレイとハチ遭わせたのだろう。
ライラはギリ、と歯を剥いたが、唸り声は直ぐに収まった。
―――アシュレイ。アシュレイは、強いなぁ……。
ホッとして、ふと視線を感じた。視線はいたる所から、ライラへ注がれていた。
地面に倒れた、死に掛けの妖魔達の、恐怖の視線。血走ってガクガク黒目を揺らしながら、ライラを凝視している。
そして、燃える余力の無い、猫の視線―――。猫は、丸い目をしっかり全開にしてライラを見ている。息が、浅く荒かった。
ライラは首を傾げて、猫を見る。
猫は爪を地面に喰い込ませ、耳を伏せて震えている。
ライラが近寄ろうとすると、寝そべったまま四本の足をジタバタさせ地面を掻いて、弱々しく唸った。
―――こないで。
ライラは足を止める。
―――どうして?
―――いや。こわい。
ライラも猫と同じように耳を伏せる。
―――あたしが?
足元がぴちゃんと鳴った。見れば、血だまりに自分の姿が映っていた。
―――え……? これ、あたし……?
「ライラ!!」
「!!」
明るい洞窟の外から、アシュレイの声が響いた。
ライラは咄嗟に、耳を手で押さえて、しゃがみ込んだ。
入り口から射す光の中に、アシュレイの影がパッと現れた。
「ライラ! 大丈夫!?」
きゅん、と鳴きそうになるのを、ライラはグッと堪えた。
―――あたし、どうしてハミエルみたいに……!?
「ライラ……!!」
アシュレイは洞窟内の凄惨な様子に青ざめて、駆けこんで来た。
ライラは身体を縮めて、叫んだ。
「こ、来ないで!!」
「血が凄い! 一体何があったの!」
「きゅ、こ、来ないで、アシュレイ……!!」
アシュレイは、血だまりの中うずくまるライラの制止など聞かずに、自分が血で汚れるのも構わず滑り込む様に彼女の元へ屈みこむと、血が何処から出ているのか調べようと彼女の腕を掴んだ。
「駄目……!!」
「何してるの!? 頭が痛いの!?」
「ちが……っ」
「血が出てるの!?」
ライラも必死だが、アシュレイも必死だ。
「見せてライラ!!」
「やだ!! あっち行って!!」
思わず、ブン、と腕を払うと、アシュレイの顔から血が吹き出した。彼の頬を、自分の鋭い爪で真横に裂いてしまったのだ。
「ああ、ああ……アシュレイ……ごめ……」
ごめんなさい。そう言おうとして、ライラはハッとする。
アシュレイが、頬から血を流して、ポカンとライラの耳を見ていた。
「ライラ……?」
きゅん、とライラは喉を鳴らす。
見開かれた暖かい茶色の瞳に、頭から狼の耳を生やした血みどろの娘が映って泣いていた。
*
ライラの待つ島に到着した時、自分の置いておいた妖魔が首をもぎ取られていた事に、アシュレイは総毛立った。
ライラを置いて行った洞窟から、何やら血生臭い気配を感じ急いで近寄ると白い毛むくじゃらの妖魔が飛び出して来た。
アシュレイは、その妖魔を見て眉を潜めた。
見覚えのある……あり過ぎる妖魔だったのだ。
もちろん、知っている個体とは違うけれど―――。
洞窟から飛び出して来た妖魔は、完全に尻尾を巻いて逃げ出して来た様子だった。アシュレイを見つけ、手負いの獣さながらに向って来たのを、彼は難なく封魔した。
「ライラ!!」
焦りで上手く走れないのを無理矢理走って、アシュレイは洞窟内へ駆け込んだ。
洞窟内は、血の匂いで溢れていた。
―――なんだ、これは?
一瞬、動けなかった。
先ほど封魔した妖魔と同じ妖魔が、五頭も血を流し散らばっている。それぞれ、酷いやられ方で致命傷を負って、痙攣しているのだった。
その中に、ライラは頭を押さえてうずくまっていた。
彼女の無事に心底ホッとして、アシュレイは膝から崩れそうになった。
しかし、大量の血が彼女にこびりついていたので、アシュレイは焦った。とにかく、血を止めなくてはいけない。
けれど、駆け寄ってみれば、ライラは相変わらずツレ無いのだ。
こんな時まで、と、呆れながら、アシュレイは彼女の腕を取る。
ライラが何故か頑なに手を頭から離さないので、アシュレイはそこが痛むのかと思った。頭の傷は心配だ。彼は焦って彼女の腕を掴む手に力を入れた。
ライラが喚いた。そして、手を振り払おうとして、勢いで彼の顔を引っ掻いた。
アシュレイの頬から血が吹き出した。
しかし、アシュレイは痛みよりも目の前に現れた驚きに気を取られていた。
手を離されたライラの頭の部分から、ぴょこん、と、ハミエルみたいな耳が飛び出したのだ。
それから、「きゅん」と鳴いた。
全部見られてしまった状態のライラは、頭の上の耳を垂れさせて、ポロポロ涙を零している。
アシュレイは、恐る恐る彼女のその耳に触れた。
耳は彼の手に反応して、少しだけ動いた。
「……ライラ、だよね?」
ライラがすすり上げた。
「……たぶん……」
きゅん、と、ライラが鳴いた。どうやら自分の意に反して出てしまうらしく、彼女はちょっと気まずそうだ。
アシュレイは微笑んで、彼女の腕を調べた。血で汚れているだけで、傷は無い様子だった。
「……立てる?」
「うん」
手を引くと、ライラはしっかり立ち上がった。脚も血で汚れていたが、怪我は無さそうだ。ふと見ると、尻尾が揺れていた。毛皮が血を吸って、それを滴らせている。
「海で、落そう」
「……」
「おいで」
「あた、あたし、この……」
「おいで」
まごまごするライラの手を引いて、アシュレイは海へ彼女を連れて行った。
* * * * * * * * * * *
あたしは一体どうなっちゃったの?
これじゃ、まるで妖魔。
アシュレイは、どうしてあたしを洗おうとしてるの。
洗ったって、耳も尻尾も取れやしないのに。
ああチクショウ、ますます傍に、いられない。
*
サービスだと思った。
猫耳を付けて待っててくれたのかと。
でもなんか深刻な感じだ。
僕はライラだったらなんでも良い。
これは、ライラの望む『愛の証明』のチャンスかもしれない。
しかも封魔出来るかも知れない。




