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全てがうた④

 

 リリスがカインの屋敷の中を好き放題歩くのを、誰も非難しなかった。彼女の父親が、彼らの主人の命の恩人だと知らないものはいなかった。特に恩をきせるつもりはないけれど(父親の功績である訳だし)、彼女はそれにすっかり甘え、慣れていた。

 すいすいと玄関まで行くと、扉を開ける。

 扉を開けた先には、今まさにノックをしようとしていたアシュレイが、少し驚いた顔で立っていた。


 やぁ、と、彼は即座に微笑んだ。


 昨夜あんな置いてきぼりを彼女に喰らわせたクセに、「やぁ」。

 だったら、リリスだって微笑むしかない。「おはよう」。


「どうしているの? あ、カインに慰めヘブッ!?」


 スパァンッと良い音を立てて、アシュレイの頬を平手打ちすると、リリスはうふふと微笑んだ。

 アシュレイは頬を手で押えて、強情な事に微妙に笑んだ。

 こういう気まずい場合、とっとと踵を返して逃げ出すクセに、そうしないなら随分な用事があるのだろう。それにしても、よくも笑えるものだ、とリリスは呆れつつも、怒り切れない。


「う、うふふ……??」

「貴方は笑う所じゃないでしょ、アシュレイ?」

「なんかもう、怖いよリリス。リリスいろいろこわい」

「カインに用事なら、今立て込んでるわ」


 リリスはそう言って、アシュレイの横に並んでカインの部屋へ向かう。そうしながら、横目で彼を観察して、所々破れた服や新たに出来ている傷などを見つけた。


「酷い目にあったみたいね」

「あ~、でも、セイレーンが何とかしてくれちゃったよ」

「本当に現れたの?」


 リリスはこの話を深く疑っている。

 アシュレイはニコリと笑って、頷いた。


「うん」

「……貴方、見たの?」

「……うん」


 アシュレイは見破られる嘘は吐かない。見たと言うなら、「なにか」見たのだろう。いつもはのんびり歩く彼の早足にも、リリスは胸騒ぎを覚える。


「急いでるの?」

「そうだよ」


 ご褒美が待ってる事は、絶対に言わない。

 階段をひょいひょい、と昇って行くアシュレイを駆け足で追い越して、リリスが彼の前を塞いだ。


「……階段で遊ぶと危ないよ」

「アシュレイ、何があったの? 貴方が女性たちを逃がしたんでしょう?」


 はぁ? と、アシュレイは声を上げて、腰に手を当てた。


「バカな事言うな。僕の首が飛んでもいいっての? そんなに昨夜の事怒ってる?」

「殺したいとは思うわね」


 ポツンと言って、流石に青ざめるアシュレイの腕に触れた。


「危ない事はしないで」

「そうだね……うん。しない」

「して来たわ」

「今約束するより前の事だから、無罪だよ」

「アシュレイ!」


 どいて、と、アシュレイがリリスを見上げた。

 この、譲らない時のアシュレイは強い。例えそれが実はエロパワーでも強さは変わらない。

 階段の途中にいるので、リリスが危なくない様に気を付けながらも彼女を力で退ける。


「貴方の歌子は生きてたんですってね」

「ああ、元気一杯さ」

「でも……でもカナロールで一緒に生きられない」


 アシュレイが振り返った。

 昔と変わらない、柔和な微笑みだ。日向を思わせる。


「問題ないよ」

「……追うの? ……まさかね……?」


 リリスの心に、針の先より小さい光がチラッと光っている。

 しかし、その光はリリスをクスクス笑っている。無理もない。リリスには予測出来る。

 ほら、アシュレイの穏やかな茶色い目が、鋭く細まった。ほら、ほら、唇は片方だけ吊り上がって―――言い出したら聞かない目の前の男が、この顔をしたら何をしたって無理だ。


「何もかも捨てるの?」

「イヤ、……これから、何もかもを得たいと思うよ」


 この言葉はリリスにとってショックだった。

 彼にとってカナロールに在るものは……自分は、彼が得ているものではなかったのだろうか。無だったのだろうか。

 窓の外で、小鳥が木から木へ、飛びうつって枝を揺らした。枝は揺れて、アシュレイの顔の上に影を躍らせる。

 その影の動きの中で、アシュレイは手品の様にまた、別人に戻る。


 ―――微笑んでいるのだ。とても優しく。瞳はリリスを見ていない。


 *


 カインが部屋から出ると、踊り場のテーブルセットにリリスとアシュレイが座っていた。

 テーブルセットの椅子は向かい合う二脚だったが、二人は向かい合っておらず、そして異様なほど静かだった。

 まぁ、この二人はカインから見たらいつも彼の良く解らない行動をするので、心の中で首を傾げるだけにする。

 下手に首を突っ込んで、いつも当てられていた苦い思い出も蘇って来て、絶対に構うものか、と彼は静かに二人に寄って行った。

 アシュレイが立ち上がって、こちらへ歩いて来る。

 要件は大体わかった。ダイアナだ。


「やぁ、昨夜はお疲れ~」

「娘を連れに来たのか?」

「あ、察しが良いじゃない。流石だよね。僕なんか寝不足で頭が全然冴えないよ」


 俺だって疲れとるわああああああっ! と暴れられたら暴れたいカインだが、そういう発散の仕方を彼は知らないので、渋面を作ってアシュレイをテーブルセットの方へ押し戻す。


「え? え? なんだよ。ダイアナちゃんに会わせてよ」

「カイン、ダイアナちゃんとはどうなったの?」


 カインは更に渋面を作って、へなへなとテーブルセットのテーブルへ寄りかかった。アシュレイが椅子を勧めてくれて、そこに深く腰掛けると、頭を抱え込んだ。


「……か、カイン?」

「ね、ね、ダイアナちゃん、カインの事好きだったでしょ?」

「え……なに? どうなってるの?」

「財産目当てだったぞ……」


 青ざめて言うカインに、アシュレイは顔を強張らせて笑った。


「え……なに怖い。この屋敷怖い。なにが起こってるの?」


 *


 カインに経緯を聞いたアシュレイとリリスは、苦笑いで顔を見合わせた。


「そこまで強欲な子じゃないと思うけど……」


 ライラの親友だし。といった言葉をアシュレイは飲み込んだ。


「責任とって嫁に貰えと言って来た……」

「責任? ……何したのさ?」


 首を傾げるアシュレイを、カインは睨み付ける。


「俺を庇ってお前の妖魔で傷ついたの、忘れたのか?」

「……っ! あ、ああ~……」


 アシュレイはライラの事で頭がいっぱいで、すっかりその事柄を頭から抜かしていた。


「もとはと言えば、お前があんな無茶するから……!!」

「僕……僕、凄かったよね!?」

「……とにかく、リリス、傷は治すそうだ」


 お前にも請求してやるからな、と、カインはアシュレイを睨んで言うと、「疲れた」としみじみ言った。


「私は、財産目当てじゃないと思うな」

「じゃあ何目当てだ! サッパリ解らん! 代わりに聞いて来てくれ!」


 よしよし、と、リリスはカインの髪を撫でる。アシュレイがそれに習おうとしたのには、見事なディフェンスで断固拒否だった。


「ううン……カイン目当てだと思うのだけれど……」

「俺……? 何故だ。当てつけの嫌がらせか。嫁になっても一生触れるなとか言うんだろう!?」

「ちょ、意外な発想!? カイン落ち着けよ、手負いの獣みたいだよ!」

「そこは貴方の魅力で『やっぱり抱いて』って言わせなきゃ!」


 自分の事を完璧に棚に上げて、リリスが余計な事を言う。


「リリス、カインの被害妄想だから」

「わかってるケド……カイン、私、勘違いだと思うの」

「しかし……」

「僕の『歌子』は高価なネックレスをプレゼントしたら震え上がって拒否したよ。それ程大きい夢を見る人達じゃないよ」

「……それにしたって、……応えられん」

「……」


 カインの思わず吐き出した言葉に、三人の目が急に合わなくなった。

 リリスがサッと、立ち上がる。


「傷、治すなら早く治さないとね」


 *


 部屋に入ると、ダイアナはベッドにうつ伏せて震えていた。

 やっぱり、と思ってリリスは溜め息を吐く。


「ダイアナちゃん」


 リリスはそっと傍に寄って、彼女の不規則に震える背を撫でる。


「大丈夫? カインがごめんなさいね」


 こんな風に言われて、ダイアナがどういう印象で取るかてんで解っていない彼女は、もしも指摘されても「何がいけないの?」と言い放つ事だろう。

 ムッとする気力すら無いダイアナは、仰向けに寝転がって目を擦った。


「傷を治してもらったら、直ぐに出て行く」


 そう言うダイアナに、リリスは「カインが好きでしょ?」と聞いた。自分の頭の中の道筋が、状況に沿っていない事など、彼女は気にもしない。

 ダイアナは無神経なリリスの問いかけに答えなかった。

 リリスはそれでも構わなかったのか、続けた。


「……カインは、私を好きなの」


 *


 ダイアナはギクリとしてリリスの方を見た。

 自信がある、という風には見えない。自慢している様にも。


「……ずっとよ」

「そんな事わざわざ教えてくれなくていいわ」

「でも、私はアシュレイを愛してるの」


 なんなの、急にこのひと……。


 傷心が泡立った。それはもう、気色の悪い感覚だった。

 なんだか、自分ダイアナと会話しているのかいないのか、それすら良く解らない。独り言の様な、でも、しっかり相槌を求めて目の中にダイアナを映している……。

 ダイアナは戸惑った。


「―――アシュレイ……? でも……でも……?」

「貴女のお友達にご執心みたいね」

「……」

「貴女の気持ちが、私にはわかるの……」


 リリスがそう言って微笑むと、頭の奥がジンと痺れた。


 ―――嘘だ。分かりっこない。だって貴女はカインを従えているじゃないか。まるで自分のものみたいに! 私には何もない。ただ、求め、拒絶されれば、一人……。否、でも誰が自分を崇拝してくれたところで、結局のところ想いが無ければ、同じなのかも知れない。


 それでも、『わかる』なんて、このひとの言葉だけは喜べない。


「……だから?」


 ダイアナはフイと寝返りを打つ。追いかける様に、リリスの手がダイアナの肩に触れた。女性らしい、柔らかくて細い指先の感触を肩に伝えて来る。「続きがあるので、聞きなさい」と。


「出来れば、あの人を夢中にさせて欲しいけれど……彼、純粋だから簡単だと思うの」


 ―――可哀想なカイン。捨て犬みたい。


 先ほど冷たく自分を否定された屈辱と怒りは、まだ湯気を立てているというのに、ダイアナはカインを可哀想に思った。そして、リリスの言い草に胸がムカついた。

 あんなに親し気にしておいて、それはない、と、ダイアナは思う。

 誰でも良いから彼の注意を引いて欲しい、という彼女の意図が透けて見えて、ダイアナは目の前の女を随分冷たいひとの様に感じた。

 それに、巻き添えを喰って自分まで貶められた様な、そんな気もしないでもない。


 ―――簡単? 簡単に言わないでよ!!


 もしかしたら、焼きもちと八つ当たりかも知れない。けれど皮肉な言葉が止められなかった。


「……貴女もアシュレイを夢中にさせてみたら? 彼、スケベそうだから簡単だと思うの」


 綺麗でおっとりとした顔が、どう歪むのか、意地の悪い気持ちでリリスの顔を見たが、彼女の表情は崩れなかった。


「まぁ。アシュレイはカイン程簡単じゃ無いのよ……」


 困っちゃうわ、と言う様に、手を片頬に当てて言うので、ダイアナはぐうの音も出ない。「なんだこの女」と、沸いた怒りも何だかハッキリ固まらなくて、まごまごしている間に気力が抜ける。


 ―――凄い贔屓目……? 少し頭が変なのかも知れない! カインがアシュレイより劣ってるみたいな……!


「どうしてカインじゃないの?」


 彼の心は、はた目にも明らかだと言うのに、どうして選ばないんだろう。

 恋に落ちた者独特の心持で、ダイアナは不思議に思う。自分の好きな人の事は、他の者も好きになるに違いない、という思い込みだ。

 この質問に、リリスは首を傾げた。


「ん~……私を無条件で好きだからかしら?」


 だとしたら、あんたは大馬鹿者だ。ダイアナはそんな風に怒りたかったけれど、怒れなかった。

 感情的になったところで、ひらりひらりと閃く柔らかい布の向こうでふわふわしているこのひとに、きっと何も届かない気がした。


 リリスはうふふ、と笑んでいる。

 おかしいわね、と。



 *  *  *  *  *



 何度も自問した。

 何度も。

 たまに願ったりする。

 視線を失った時、始まる様な、そんな残酷な事を。

 私を求めないで欲しい。


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