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全てがうた①

 聴こえる。


 フクロウ、羽虫、炎が爆ぜて。

 夜風、葉擦れ、静寂の中核。

 踊る身体の奥で灯るこころ。

 視線。線はあなたを貫いて、中身を取り出す為に、柔らかく裂く。

 裂け目に落ちる月光が、熱くないでしょうか。ないでしょうか。

 それらの音は微か過ぎて、それらの事を歌だなんて、誰も言ったりしないけれど。


 私にとっては、全てが歌です。

 ほら、ここにも、そこにも、どこにでも。



 カサカサする唇をそっと舐めた。

 無意識の行動でもたらされた唇の湿り気に、心地よさを感じて、ダイアナは瞳を開ける。

 カーテンの隙間から、静かな光が射している。朝日だ。

 突然の嵐に慌てて窓を閉めにやって来た侍女の事を、遠のく意識の中で見た気がする。つんざく轟音を放って光る雷に、部屋の中は切り絵の様にくっきりと黒と白に分かれ、再び輪郭を溶かす頃には、ダイアナの意識の輪郭が無くなったのだった。


 とうとう、朝を迎えてしまった。


 潮とやらは、もう引いたのだろうか。海の中からゆっくりと現れるライラの身体を想像して、ダイアナは身を縮める。

 不思議と心が落ち着いているのは、一体どうした事なのか?

 何故だか、喪失感が無いのは、自分の目で確認していないから?

 それとも、私は私らしくやっぱり異常に頑固で、ライラの死を絶対に認めようとしていないのかもしれない。

 

 ダイアナが自分の感覚を不思議がっていると、コンコン、と部屋のドアがノックされた。

 ダイアナは答えたくなかったので、黙ってベッドに横になって目を閉じた。


 ドアの外で、のんびりした色香のある声がした。


「まだ、眠っているんじゃなくて?」


 誰かしら? とダイアナは耳をそばだてる。

 侍女の――あの年かさの女だ、とダイアナは瞼を瞳に被せた――声もする。先程の女の声と比べてしまうと、随分せせこましい印象がした。


「はい、ですが、そろそろカイン様が戻りますので、その前に……」

「そう言われているの?」

「……カイン様が戻られたら、手がふさがってしまいますので……」


 ―――ハイハイ、厄介ですよ、私は。


 ダイアナがフンと目を閉じた時、知らない女の声が場違いな強弱を持って「ふぅん」と聴こえて来た。

 ドキリとしたのはダイアナだけでは無いだろう。ドアの向こうの空気が変わったのを、確かに感じる。


「なんです?」

「ご主人様に全力を注ぎたいのね? 泣けちゃうわ、素敵。でもそのご主人様を守ったのは誰なのかしら?」

「それは……」

「貴女達の大事なご主人様の代わりに傷を負ったのは、誰かしら?」

「……リリス様……あの、そんなつもりは……」

「では、眠っている怪我人を私に無理に起こさせたりしないで下さい」


 ダイアナはリリスと呼ばれたひとに、会ってみたくなって、声を出す。やっぱりガラガラ声だったけれど、昨夜よりはマシになっていた。


「あの……起きてるわ。どうぞ」



 友達の部屋を尋ねるみたいに、そのひとは部屋の入り口からヒョイ、と顔を覗かせた。

 溌剌した動きに、肩で栗色の髪が柔らかく揺れている。

 榛色の瞳は、切れ長だが黒目が大きいので、おっとりした印象を受ける。親し気に微笑んで、キラキラしていた。


―――綺麗なひと……。


 六角塔の女達では持てないであろう、瑞々しい感じが新鮮で好ましく映った。

 彼女は、軽やかに歩き傍へ来た。幼女の様な、それでいて成熟した大人の女の様な、そんな歩き方だった。

 スカートをふわりとさせて、ダイアナのベッドの横に置いてある椅子に腰かけて、彼女を覗き込む。

 ダイアナは珍しく少し緊張して彼女を見上げた。彼女は優し気な眉を緩めて微笑むと、ゆっくりとした動作で顔に掛かった髪を、耳に引っ掛けた。

 それだけの仕草一つで、どれだけ魅力を振りまく事の出来る女だろうか。しなやかな白い手、伸びやかな指の動き、柔らかな、耳に掛けられたたっぷりとした髪が、弾力を示してクルンと耳たぶの辺りでカールしてダイアナの目を誘う。


―――動作がゆっくりだからだ。目で追ってしまうのはそのせいだ。


 そっと目の前の女をほぼ落城の気分で見分していると、女が優しい声で言った。


「貴女の傷を見に来たの」

「医者なの?」


 ダイアナが聞くと、彼女は「ふわぁ」と口を押えて欠伸をし、それからむにゃむにゃ答える。間近で見れば、目元に少し、クマが出来ている様子だった。擦ったのか、目尻も少しカサカサしている。



―――引っ張りだこの医者なのかしら……?


「いいえ。まじない屋ってとこかしら」

まじない屋……。まじないで傷を治すの?」

まじないにも色々あるわね。貴女の傷は、薬か、妖魔で治します」

「妖魔!?」


 ダイアナは目を見開いた。


「大丈夫」


 女はダイアナを安心させる為か、ダイアナの肩にそっと手を置いた。その手の絶妙な重みと指先の僅かな動きが、ダイアナを彼女に服従させる。半ばウットリしてしまっている自分に、ダイアナは戸惑った。

 なんなの、このひと……こういう手管は男にしか通用しないと思っていたけれど、まさか自分が使われるとは……しかも、これは多分計算じゃない。

 女はダイアナの肩を更に一つ擦って、

 

「大丈夫。傷を治癒する妖魔もいるのよ。私は封魔師でもあるの。だから安心して。……良い子。さて、薬で済むなら薬で。それが無理なら妖魔の治癒で。どちらか判断したいから、傷を見せてくれる?」


 そう言いながらそのひとは、ダイアナの着せられている白い寝巻をサッサと脱がしてしまった。

 女同士なので、ダイアナも抵抗せずに彼女に背中を見せる。

 ふんふん、と、女は声を上げて、


「そうね、お医者様の見立て通り、傷が少し残ってしまいそう」

「あの……」

「なあに?」

「その……『妖魔の治癒』って言うのは、死んだ人は……」

「それは無理」


 突き放す様な調子で、女は答えた。

 ダイアナは俯いて、「ですよね」と、小さく呟いた。


―――ライラ。

―――でも、どうしてかな。私は諦めていないんだ……。


 女がダイアナの後ろ髪を、そっと撫でた。


「お友達が、セイレーンの審判に連れて行かれたって聞いてるわ」


 ダイアナは、女に背を向けたまま、小さく頷いた。ここでようやく、涙がポトンと零れてシーツに滲んだ。

 女が、ダイアナの髪を優しく結い出した。多分、三つ編みだ。傷を見るのに邪魔なのかも知れないが、ダイアナはそうでは無い気がした。髪を結われるのは、心地いいものだ。


―――ライラと良く、お互いの髪を結い合ったっけ。


 厭らしい酔っ払いに、侮辱の言葉を投げつけられた時や、綺麗な服を着てふっくり笑う街の娘達に後ろ指指されたとか、そんな時に。

 彼らを鼻先で笑い飛ばしてサッサと見送り、六角塔の薄暗い隅っこで二人だけになると、こんなに素敵な宝物は無い、とでも言う様に。優しく、優しく……。


 ……このひとは、人の心に入り込むのがとても上手い。だとしたら、ヤバい。なんだか大声で泣いてしまいそうだ。

 警戒の必要があるのか、無いのか、それすらも解らずにダイアナが結局されるがままになっていると、女がダイアナを励ます様に言った。


「貴女まだ、起きたばかりだから、聞いていないのね。審判は失敗したのよ。本物のセイレーンが現れてね、フェンリルが連れて行ってしまったのですって」

「……」


 女の声で、じわじわと、ダイアナの心が潤って行く。乾いていたなんて、気付かなかった。そんな調子で。


「……お、女の子たちは……?」


 早速、涙声になってしまい、少し恥じながらも、ダイアナは込み上げるものを押し留め聞いた。


「安否は解らないけれど、二、三人の死者を残して、全員セイレーンが逃がしたのですって」

「……」


 誰かが死んだ。

 ダイアナは心を鋭いもので引っ掻かれる様な感覚をグッと堪えて、果敢に聞いた。


「亡くなった人の特徴は……まだわかりませんか」

「……ええ。ごめんなさい……」


 ああ、これでは結局私はどっちつかずに絶望と希望の間をフラフラしなければいけない……!! 

 しかも、その振り幅が大幅に増えた。

 

「でも、私……貴女のお友達は大丈夫だと思うの」

「……」

「アシュレイが連れて来たよね?」

「アシュレイを知っているの?」


 肯定の意だろうか、女は目を細めた。そうすると、白目がほとんど無くなって、少し人間離れした可憐さだ。絵本か何かに描かれた、妖精みたいだ、とダイアナは密かに思った。

 しかし、そこから零れる光、これは一体何だろう?

 何か、取り返せないものを懐かしんで……? 否、もう少しかつえている……。

 憂いに隠されたものの正体が、渇望だと、ダイアナには解らない。

 だって、なにも知らないのだ。


「……彼が、助けに向ったから……。彼、悪運が強いの……」


 『彼』、と、ダイアナは女の声音に引っ掛かって、『彼』、『彼』、『彼、ねぇ……』と、頭の裏ッ側で舐める。

 随分、しょっぱい気がする。でもきっと杞憂だ。

 『彼』には失礼だけど、こんな素敵なひとが、まさかそんな……。

 アシュレイだって、ライラにゾッコンだったではないか。

 アシュレイ、あれからライラを助けに行ってくれたんだ。

 <セイレーンの矢>が、とうとうライラを捕まえに来た時も、人が変わった様に守ろうとしていたもんね。


 ……いいなぁ。ライラ。

 

 安否の解らない友人に対して、そんな不謹慎な事をチラと思う。


「そうだと良いわ」

「……」


 答えたダイアナに、女は答えなかった。彼女は代りに、傷の診断を下す。


「薬では限界があるから、やっぱり妖魔を使うわね」

「待って、幾らかかるの?」

「お金?」


 ダイアナは文無しだ。傷を妖魔を使って治すなんて、幾らかかるか解らないのに、気軽に「じゃあお願いします」なんて、言えない。

 ダイアナが頷くと、


「お代は……」

「俺が支払う」


 女が答えるより先に、ドアが開いて誰かが答えた。


「カイン! 診察中よ」


 女がダイアナをかけ布で包みながら、カインを叱った。叱られたカインは、少しバツが悪そうな声で、


「すまん。代金の話をしていたから、もう済んでいるのかと……」



 二人のやりとりなど耳に入れず、ダイアナはベッドから飛び降り、胸が露わになるのも構わずに、驚いた顔のリリスの脇を一っ跳びに、カインに飛び掛かった。


「ライラは!? ライラはどうなったの!?」

「おい、落ち着け」

「セイレーンが皆を逃がしたって! 生きてるの!?」


 服の胸ぐらを掴んで離さないダイアナに、カインは頷いた。

  

「生きていた」


 カインからしたら、審判がぶち壊しになった事は良い事では無いハズなのに、どこか穏やかな声だった。―――表情は相変わらずだったが。

 ダイアナは喜びで奇声を上げて飛び上がり、カインに思わず抱き着いて、彼を抱きしめながらピョンピョン跳ねた。


「生きてる!」

「……おい、止めろ……」

「生きてる!?」

「……ああ」

「生きてるんだ!?」


 瞳をキラキラさせて見上げて来るダイアナに、カインは仕方なく何度かダイアナの「生きてる!?」やり取りに付き合った。

 傍に女が微笑んでやって来て、「良かったわね」と、ダイアナの肩にかけ布を掛けてくれた。

 ダイアナは女に弾む様に頷いて、子供みたいに声を上げて泣き出した。



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