嘘のうらがわ
ハミエルは小島にやって来た狼の群を、尾をぴんと立てて迎えた。
先頭の狼の背にチョコンと乗ったハティの姿を見つける。その小さな姿は無残にもボロボロで焼け焦げ、ところどころ赤い皮膚が見えていて、一体何があったのか、と、ハミエルはその場に駆け付けなかった事を後悔した。
『ハティ、だいじょうぶか』
『オウ、生きてらぁ』
弱った姿を見せるのにちょっと抵抗があるのだろう。ハティは幾分か強がって答えた。
ハミエルは目の前に群れる狼達の方へ、おずおずと入って行き、ハティに鼻を近づける。匂いを嗅ぐまでも無いが、やはり焦げ臭い。
ハティは煩わしそうにハミエルを見て『止めろ』と、唸った。
『ひどいな。ふうまし?』
『……まぁな。それより、オレ、今からちょっくら縄張りへ帰るんだが』
『……なわばり』
『お前も来ないか? 族長にも会わせときたいし。お前の事、色々わかるかもしれねぇし』
『……』
ハミエルは振り返る。
狼達が群れでこちらへやって来るとは、と、顔を引きつらせたアシュレイの背に庇われながら、こちらを不思議そうに見ているライラがそこにはいる。こちらはハミエルを信頼しているのか、案外のほほんとした表情で、アシュレイに「大丈夫だったら」などと言って彼に危険だとたしなめられていた。
ハティが、サッとハミエルの視線を追ってライラを見た。
『なんだ。アイツまだ人間の形してるのか』
『……ほんとはにんげん……』
『あぁ?』と、ハティがハミエルを掬う様に見た。
『ワケ解んねぇ嘘つくなよ。あの娘、狼臭いぞ』
『それはおれのにおい……あっ』
ハティは偉そうに乗っかっていた大きな狼の上から、ピョンと飛び降りると、とっとこライラの元へ行ってしまう。
ハミエルは渋々それを追って、彼と一緒にライラの傍へ寄った。
サッと封魔の構えを取るアシュレイに、ハティは『戦んねぇよ』と、鼻をフンと鳴らす。
『お前が戦るってんなら、全部と戦るの、覚悟しろよ』
ハティは後ろに控えた仲間を鼻先で示した。
「……ふうん、じゃあ君も言葉を翻したら、全滅を覚悟しなよ」
『最近の封魔師は威勢がいいな』
鼻で笑って、ハティは警戒するアシュレイの横を悠々と通り過ぎ、ライラの足元にお座りをして彼女を見上げた。
『娘、お座り』
「は、はぁ?」
まさか小さな狼から『お座り』などと言われるとは思わなかったライラは、素っ頓狂な声を上げて目を丸くした。
ハティはそんなライラのふくらはぎに鼻をくっつけて、クンクン匂いを嗅ぎ出した。
『やっぱ臭うんだよな』
「ちょ、ちょっと、くすぐったい!」
『オイ、ジッとしろ』
慌ててハティの湿った鼻先から離れるライラの太もも辺りに、ハティは前足を掛けてライラをよろめかせた。
「わ!? あ、危ないったら!」
よろめいたライラの足と足の間に、ハティは素早く入り込み、更にフラフラするライラの膝裏を前足でグンと押す。『膝カックン』である。
「きゃっ!? もう、なんなのよ……!」
たまらず座り込んだライラの太ももに再度前足を置いて、ハティはライラの首筋や脇の下に鼻を突っ込んで匂いを嗅いだ。
「きゃはははっ!? や、止めて!! くすぐったいったら!!」
「ちょ、なんて羨ましい!! もっ……否、今すぐ止めろ!!」
アシュレイが割って入ろうとしたが、他の狼が跳躍して来て、彼の行く手を阻んだ。
「おい!? 見えな……じゃない、見たい、じゃなくて、ああもう、どけよもふもふで見えない!!」
歪んだ欲望にいきり立つアシュレイを他所に、クンクンの刑は続く。ライラの笑い声の息が切れて来て、段々そこはかとなく艶めいて来た。生憎、アシュレイは目の前を阻む狼のせいで視る事が叶わなかったが、ライラの「もう許して……」の顔を勝手に脳内補完した。頭の回転には自信があるアシュレイなのである。
『なんだぁ? ……あれぇ?……人間……?』
『だからいってる』
『でもなぁ、なんか……オイ、ケツ向けろ』
相手が何者か識別するには、そこの匂いを嗅ぐのが一番手っ取り早い。
「向けるワケないでしょ!?」
お尻を両手で押えるライラに、ハティが獲物を狙う獣さながら、頭を低くしてそろそろと近寄る。
「ケツは駄目だ! そこまでは許さない!! 止めろ変態フェンリル!!」
鼻血を垂らしたアシュレイが喚いた。しかし、封魔する様子は微塵も見せない。真の変態はコイツなのだ。
「本当に厭だったら!! シッシッ、あっちへ行きなさい!」
『ハティ、いやがってるからやめて』
ようやくハミエルが間に入ってくれた。
ハティは余程気になるのか、ライラに向けてまだ鼻をヒクヒクさせている。
『だってサ~』
『ライラはにんげん』
『微かだが匂いがすンだよな』
『それはおれのにおい』
『ん~……じゃあ、どうすんだよ。こんなもん連れてったら、皆喰いたがる』
こんなもんって何よ、とライラは頬を膨らませた。
でも、直ぐに表情を和らげる。
『まだいくとは……』
躊躇を見せるハミエルの毛皮を、ライラがそっと撫でた。
「ハミエル、せっかく仲間に出会えたんだし、行って来たら?」、
『おれいったら、ライラ、ここからはなれられない』
『なにも永住しろってんじゃねぇぜ? ちょっと顔出すとか、そんくらいも無理か?』
ハティが首をクルッと傾げて、ハミエルに聞いた。
『俺らの脚なら、明日の朝には行って戻って来れる』
『……』
「その位なら、アシュレイがカナロールを往復してくれた後で、少し待てば大丈夫」
「是非行ってきなよハミエル!!」
ライラとアシュレイ、全く異なる気持ちで、帰郷をハミエルに勧めた。
ハミエルはハッキリしない。
『ほとんどいちにち、ライラひとり』
「大丈夫、妖魔を護衛につけるから」
アシュレイが胸をドンと叩いて、ライラの身の安全を請け負った。
ハミエルはそれでも心配そうに、ライラを見る。
ライラは微笑んで、ハミエルの太い首に腕を回した。
「寂しいけど、一日くらい平気だよ」
ハミエルは『きゅん』と鳴いて、ライラに大きな頭を擦り付けると、アシュレイを睨んだ。
『……おまえ、さきにいけ』
妖魔を護衛になどと言っているが、ハミエルの一番の心配はアシュレイなのだ。先にこの場からいなくなってくれないと、ライラが危ない。ダイアナは多分島に来るだろう。だから、帰りは問題ない。もしもに備えて、用が済んだらとにかく急いで帰るつもりではあるが。
アシュレイは不服そうだ。
「あ~あ、ケダモノにケダモノだと思われてるってワケ? 僕程の大紳士はいないのに……」
「なに大紳士って……」
『いいからきえろ』
ハミエルは容赦ない。
「僕がいなくなった途端、皆でライラを食べちゃうなんて事があったら困るから、ハミエル達が先に行きなよ」
アシュレイはそう言って、動かんぞとばかりに腕組みをした。
「ハミエルがあたしを食べるワケ無いでしょ!」
「群れで襲われたらハミエルだって負けるさ。そしたら、君は美味しく頂かれちゃうよ」
鼻の頭に皺を寄せ、アシュレイがそう言うと、グルル、と、狼達が一斉に唸った。
アシュレイは厭そうに顔を歪める。
「ホラね。ヤダヤダ、獣臭い」
『俺らは、お前らみてぇに同族で争いはしない』
ハティが冷たい目をして静かに言った。
「へぇ」と、アシュレイが嘲笑った。ほとんど信じていない表情だ。
『飢える程ナマっちゃいねぇ。こんな細っちいの、皆で分けたらちょっとだしな』
「じゃあ、とっとと行きなよ」
『クソ生意気な人間め。……面倒クセェ。行くぞハミエル』
ハティは大きな狼の背に飛び乗って、ハミエルを誘った。
ハミエルは「きゅん」と、小さく鳴いてライラを見る。
目の中が心配で一杯だ。
「大丈夫だよハミエル……」
ライラは心配するハミエルの喉元を両手で掻いてやりながら「これからせっかく仲間の元へ行くのに、心に引っ掛かりを残して欲しくない」と、思った。
なので彼女は、厳しい顔で腕を組んでいるアシュレイに
「同時に行けば良いんじゃない?」
と、提案した。
返事はすぐさま返って来た。
「イヤだ」
「でも、明るくなりかけてるし、どうせそろそろ行くでしょう?」
「そうだけどイヤだ。ここでハミエルの要望を通したら、僕は自分でハミエルの想像上の『アシュレイ』を認める事になっちゃうじゃないか!」
面倒臭い。と、その場の全員が白けた顔をしてアシュレイを見た。
『ツレにいたらヤだな』
『こういうの一頭でもいると、話が進まないんだよな』
狼達に、なにかコショコショ言われてしまっている。
ライラは肩を竦めて切り札を出した。切れるか切れないかは、定かでは無いけれど……。
仕方ない。ハミエルの為だ。ひと肌脱ごう。
「……ねぇ、アシュレイ。よくよく考えたら、アンタは行ったっキリ帰って来ないかも」
彼女のその言葉に、アシュレイが眉を上げた。ライラの言葉の裏を伺う様に、首を傾げる。
「……そんな事しないよ。ちゃんと戻る」
「わかんない」
「それは頭に来るな。前々から思ってたけど、君は少しバカだ」
ライラはそう言われても、「ふぅん?」と、人差し指で唇をそっと押えてクルリと目玉を回して見せた。
アシュレイめ。そんな風に思ってたのか。でも、怒らせてペースを乱そうったって、そうは行かないんだから。
彼女は、しなっと身体を柔らかくさせ、ゆらゆら歩いてアシュレイに近付くと、彼の肩に腕の半分程を絡ませた。
「だって、保証はないデショ? ……だからね、戻って来たいって思える様な、そんなゴホービがいると思うんだよね……」
「……ごほーび……」
「欲しい?」
ライラがアシュレイの鼻先をツンと突いた。
「……ほ、ほしい」
「じゃあ、急いで帰って来なくちゃ。早く帰った分だけ、ゴホービ長くなるよ」
「……なんでも言う事聞いてくれる?」
「うん」
「ハミエル扱いしてくれる?」
拒否されまくって望みが低くなっている。
ライラは六角塔のステージみたいに、魅惑的に微笑んだ。
「うん」
「絶対?」
しつけぇな、とライラは危うく口元を引きつらせそうになったが、耐えた。宝物を与えられる前の、幼い子供の様に目をキラキラさせ始めたアシュレイを見て、もうひと押しだと我慢した。
「だから、今すぐ行かなきゃ」
ハティが冷めた目をして仲間達に「行くぞ」と合図を送っている。
アシュレイを不快そうに睨みながら、ハミエルがライラの傍に来た。
「どうする? アシュレイ? もたもたするならアタシ、冷めちゃうから」
「いいいいく。今すぐ行く!!」
*
狼の群れと、鳥に乗ったアシュレイが、それぞれの方向に一斉に飛び立って行った。
とうとう朝日が明るく差し出して、ライラは目が痛かったけれど、大事な二つの影を交互に追って、手を振った。
「バカはどっち」
どちらの影も見えなくなると、ライラはそう呟いて微かに笑んだ。
だってきっと、アシュレイはダイアナを連れて戻って来るのだ。
どんな望みを持っているか、大体検討はつくけれど、まさかダイアナの前で常軌を逸した事はしないだろう、とライラはそう見積もっている。
アシュレイだって、ライラとダイアナの仲を知っているから、その位検討がついているハズだ。
だからさっきのやり取りはきっと本気にしていない。ライラとアシュレイのお遊びだ。
……最後くらい、ね。
すん、と、小さく鼻を鳴らして、ライラは洞窟へ戻って行った。
アシュレイの置いて行った、亡霊の様な騎士が後ろからボヤーっと付いて来るのはちょっと気味が悪かったけれど、洞窟でゴロゴロ言っている炎の猫には癒される。
ライラは、猫の傍に横たわった。丸一日、眠っていなくて欠伸が出る。本当は、猫を抱き寄せたいけれど、叶わないのが惜しい。
「片想いね」
そう独りごちると、猫がチラリとライラを盗み見て、またフイ、と目を逸らす。
* * * * * * *
ねぇ、本当にあげるなんてあたしが言ったら
アンタどうする?
あたしは思うんだ
なんだか優しく微笑んで
やんわり受け取ってくれないんじゃないかって
アンタの言う通り
あたしは少し、いや、大分バカ
* * * * * * *
ご褒美なんて、嘘ばっかだ
君の嘘を全部「本当」に変える事が出来たらなぁ




