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守護者

 カナロール城内は大騒ぎになっていた。

 湯あみ中だったディアナ皇女が、忽然と姿を消していたからだ。

 その事件は直ぐにレイヴィンの耳に届いた。

 彼には、彼女がどこへ消えたのか見当がついていた。ついていたからこそ、誰かの目に皇女の姿を晒したくなかった。

 湯気の立ち消えた浴場で、心配に打ち震える女中頭に「あまり騒がず内密」にする様、手遅れ感を自覚しながら命じた。

 もう城外にも噂は広まってしまう頃だろう。

 しかし、それでも。


「湯殿の入り口には私共が控えておりましたので、きっと窓から何者かに……!!」


 半狂乱の世話役達に鬱陶しそうに頷いて、レイヴィンは湯殿から外へ続くバルコニーへの大きなガラス戸を開ける。

 ガラス戸には鍵がかけられる様になっている。

 女中達の言う様に何者かに攫われたのだとしたら、ガラスを破らなければ湯殿内には入れない。

 女中達は悲鳴や物音を聞いていないと言うし、聞いていたらすぐさま駆け付けた事だろう。


 彼女が自分で鍵を開けたのだ。


 ひやりと冷えたガラスに手を付けて、レイヴィンはバルコニーから入り込む緩い風に目を閉じる。


 ディアナ……。


 彼は自分の腕の中に納まる、小さな身体を思う。どうしたって胸を掻き乱して来る、あの頼りない柔らかさ。

 自分の腕の中で、震えていればいいものを。

 そうすれば、ずっと、誰にも貴女を傷付けさせない。

 貴女に何かを刻むのは、私だけで良い。


 彼は濡れたバルコニーの床に濡れて張り付いた幾つかの羽を見つけ、奥歯を軽く噛んだ。


 ―――翼など、貴女に必要無い。


 濡れそぼった羽を、彼は踏み付ける。


 月が雲の向こうで光っている。広がる雲海を、彼女は恐れなかっただろうか。恐れた筈だ。

 それでも飛び出して行ったのだと思うと、腹が立つ。恐れなど、彼にだけ抱いていればいいというのに。

 何が気に入らないのかも、何がそうさせるのかも、彼にはわかる。

 けれど、彼女はそれを我慢しなければいけない。何も、知らないまま。何も解らないまま。自分の腕の中で。


 どうして翼など望む? 足りないのか。もっと、私を盲信して欲しい。


 青く冷たい怒りで全身を満たしていると、彼の気持ちを否定する様に狼の遠吠えが微かに聴こえて来た。


 *


 ハティは鼻をひくつかせながら、宙を駆けた。彼が駆ければ、距離などあって無い様なものだ。あっと言う間にハティはカナロール城の上空に辿り着くと、力強く遠吠えをした。思わず返してしまった、というように、海の方でハミエルの遠吠えが聴こえたのにニッと笑って、夜闇に浮かぶ城を見下ろす。

 さて、何処から脅かしてやろうかと視線を彷徨わせ、ふと、漂って来たいけ好かない匂いの方を見る。


 せり出したバルコニーに、男が一人。既にこちらに気付いている。


 正門から、金髪の騎士の馬に揺られて城内へ帰って行く、ディアナの小さな身体が見えた。彼女もこちらを見ている。表情も判らない程遠く離れているのに、琥珀色の瞳が不安げに涙で覆われていて、ピカリと光った。


 ―――どうして泣くんだ。上手く行かない事や難しい事は、この世に沢山ある。なのに、お前はどうして泣くんだ?


 おおおーん、とハティは彼女に遠吠えを贈る。


 ―――見てろ。そして、聴け。泣いている暇もない程に、お前の世界は聴くべきうたで満ちている。ああ……聴かせてやりたいな。セイレーン! セイレーン!! あの泣き虫に、翼の歌を!!


 ハティはこちらを見ている男へ身体を向けて、「グルル…」と唸ると一っ跳びした。

 一方的に知っている、大嫌いな男が、いいタイミングで彼の前にいる。

 今は殺せないけれど、いつかは。その為に、今はただ、腕か足を一本か二本嚙み千切ってやろう。ディアナはきっと怒る。けれど、良い。オレは、お前の為に、なんて言わないから―――。

 割と本気で繰り出した前足の爪を、紙一重で避けた男は、丸腰だった。ハティは舌なめずりする。女達の悲鳴が、ガラス戸の向こうでけたたましく響いて、胸が躍る。

 静かに興奮するハティを前に、男は落ち着いていた。


「フェンリルか……思ったより、小さいな」


 ふん、とハティは鼻を鳴らした。


『セイレーンを逃がした』

「……」

『セイレーンはオレら妖魔のものだ。お前達人間が、手出し出来るものじゃねぇ』

「……今回の『審判』に、セイレーンがいたと言うのだな」


 男がハティに手を突き出した。突き出された手には、液状の染みの様な形が浮き出て青銀に光っている。

 ハティは馴染んだ危機感に、ピョンと跳ねて向けられた照準から外れた。

 油断できないと思っていたが、『印』が手の平にあるとは、とハティは内心舌打ちする。

 各々の『印』から弧を描いてするのが封魔師の封魔だ。その間には溜めの様な間が出来る。アシュレイが腰に手をやってから、とか、カインが額に手をやってから、と言う様にだ。でも、手の平に『印』があるのなら、その溜めはほぼ必要無い。いきなり狙いを付けて封魔をけしかけられる。


 ―――やはり、タダモンじゃねぇか。


 でも。

 頭や腹より食い千切りやすそうじゃねぇか!


 ハティは、それがどれ程妖魔にとって危険な事か自覚しつつ、男の手に狙いを付けて飛び掛かった。

 ハティの疾風の様な軌跡を追って、男に遣わされた妖魔が爪や牙を立てる。

 ハティはそれらを一吼え上げて、蹴散らした。

 しかし、男は向かって来る彼に動じない。


 ―――なんだ? 少しくらい……。


 悔しさに唸り、ハティは男に飛び掛かる。

 その小さな銀色の胴を、むんず、と突然鷲掴みにしたものがいた。


『!?』

「お前はヤンチャな狼だな」

『……!! ……!?』


 胴を握りつぶされて、ハティの視界が赤くなる。ぐん、と持ち上げられ、目の前に現れたのは、大きな爬虫類の目玉。

 ガウウ……と唸るハティに、そいつはけたたましい雄叫びを上げた。

 自分と同じ、衝撃波の一吼えをモロに喰らって、ハティの頭がクラクラする。

 男の冷静な声が、キーンと耳鳴りのする中低く響いた。


「火竜の吼えでも、消し飛ばないか。流石フェンリルと言うべきか」

『……竜……』


 竜なんて、ハティは出会った事が無い。彼の族長であるマーナガルが若い頃の冒険話で竜と戦ったのを聞いた事があるけれど、決着がついたのかつかなかったのか、他の狼たちと違って真面目に聞いていなかったハティはハッキリ覚えていなかった。とにかく、ヤバイ、という事は解っていたけれど……。

 どうしてそんな、竜なんかが、人間なんぞに……。そんな、バカな……。


「吼えでダメなら、火はどうだ? しかし、惜しいな。やはり封魔だな」


 まるで「どうしたらフェンリルが死ぬのか」という探求心と、「フェンリルを封魔して持つ」の二択を楽しんでいる様な口調だった。


 ハティは滅茶苦茶に唸りながら、竜の鍵爪の中でもがく。

 何度吼えても、竜には一向に効かない。


「扱い辛そうだ」


 男の冷たくて低い声がした。

 竜の口が、牙を剥いてハティの目の前で開く。

 ハティはその残酷そうな牙の羅列の奥で、燃え滾る炎を見た。

 銀の毛皮が、吐き出される熱風にチリと焦げた。



 *


 どうしてって、お前は泣いてる。

 でも、こういう事だってあるって、オレは思う。

 お前が泣いてるだけじゃないの、ちゃんと知ってる。

 泣くなよって叱ってた日が、ちょっと恋しい。

 お前が普通の女の子だったら、喰っちゃえたのにな。


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[一言] レイヴィン、悪いやつ! ……なのかは、分かりませんが。
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