表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
ライラとアシュレイ
7/143

笑うナイフ

「待って待って待って! 行っちゃ駄目だ!」


 アシュレイがわたわた駆けて来て通せんぼをするので、ライラは彼を睨み付けた。



「あたしに悲鳴をあげられるか、ハミエルに噛み付かれるかどっちがいい?」

「ライラに噛み付かれたい! じゃなくて、早く隠れた方がいい。〈セイレーンの矢〉に連行されたいの?」

「あんたこそ、また警察に連行されたいの?」

「僕の荷物を取りに行くだけだよ。ライラ、この街を離れた方がいい。僕が連れてってあげるから」


 え、永遠に。と付け足したので、ライラは顔を歪めた。


「永遠に、だよ」

「二回も言わなくていい!……どっちにしろ、街から出れないわ。あたしは『六角塔』の所有物なの。街の門を潜れないのよ」


 街にはちゃんと街を出入りする者を監視する門がある。小さな街なので、大した審査も身分を証明する旅券も必要無いけれど、『六角塔』の店主の所有物として顔が割れているライラは通れない。



           ***************************



 十二の頃、ライラは一度顔をお祈り用のスカーフで隠して、門を駆け抜けようとした事がある。

その頃にはもう歌は完璧に歌えていたし、どこか別のところで歌って日銭を稼いで……と、考え無しに取った行動だった。

 もちろん、捕まえられて、スカーフを取られて脱走劇はおじゃんになった。

 店主は罰として、観客のいるステージ上で縛られたライラのお尻をひん剥いて平手で打った。店内は異様な興奮に包まれていた様に思う。


「さぁ! お客様の中に悪い娘にお仕置きをしたい方はいらっしゃいますか!」


 ドッと店内が沸いた。


 ライラにとって、忘れられない屈辱的な時間。


 知らない手に次々打たれてお尻が真っ赤になると「サール! サール!」と男達が囃した。

 痛くて、恥ずかしくて、悔しくて、泣いていると店主がライラを見下ろして「分かったか」と冷たく、重く言った。


「次はもっと酷いからな」


 ライラは震えながら鼻をすすって、頷くしかなかった……。

 闘志は湧かなかった。それ程、自尊心を滅多打ちにされたのだった。


 苦い思い出だ。

 それは、ずっとずっと、ライラの心にピッタリと刃を滑らせる、熱くて冷たいナイフ。そのナイフはいつも大声で狂った様に笑っている。ライラの心を、嘲りと無関心で小さく小さく刻み続ける。


 ……思い出しちゃった……。



「所有物か」


 ポツリとアシュレイが言った。その表情は、なんともつまらなそうだった。

 ライラは怯んだ。彼に「つまらない」と思われるのが怖かったからだった。

 自分が「つまらない」者だと思われるのは、相手が誰であろうと、ライラは厭だった。

 なのでいつも、高飛車で、背伸びをしている。

 そして、他者に見せる自分は虚栄の姿だとちゃんと自覚があるから、ライラは心が休まらない。


「どういう契約なの?」

「契約なんか無い。買われたの」

「なんだ、簡単だね。要は金って事」


 カチンと来てライラは顔を怒らせた。

 何か鋭い言葉をぶつけてやろうとしたその時、馬のいななきが聞こえた。

 ハッとしてそちらを見ると、再び白馬に乗った〈セイレーンの矢〉達が駆けて来るところだった。

 アシュレイの言葉が効いていたのか、さすがにライラはスカーフをサッと被ると、アシュレイの後ろにスッと移動した。

 アシュレイはどさくさに紛れてライラの肩を抱き、〈セイレーンの矢〉から自らも身を隠す様に背を向けた。


 慌しく蹄の音が遠のくと、ライラはチラと掛けて行く〈セイレーンの矢〉の後ろ姿を見た。隊はカーブした道を駆け抜け、建物の向こうに消える一瞬だけ、真横からその姿をさらした。

 先頭を走る麗しの隊長を娘らしい未練を持って盗み見た時、ライラは全身の毛を逆立てた。

 隊長に片腕で支えられる様に、ダイアナが馬に乗っていた。


「誰か捕まった」


 と、アシュレイが呟いた。

 ライラは途端に駆け出した。


「ライラ!」


 ライラはがむしゃらに〈セイレーンの矢〉を追いかけ走った。

 足がもつれて転んだところを、アシュレイが抱え起こしてくれた。

 ライラは唸ってもがくと、また駆け出そうとする。

 既に隊は見えなくなっている。

 思いがけない程の力でアシュレイに押さえつけられて、ライラはヘナヘナと地面に座り込んだ。


「ダイアナが」

「え?」

「ダイアナよ! あたしの友達なの!」


 アシュレイが苦い顔をして、隊の残して行った砂埃を見た。

 もう〈セイレーンの矢〉の蹄の音すら聞こえない。

 ライラはアシュレイの腕をぶんと払うと、よろよろ立ち上がり、震える声を出した。


「追いかけなくちゃ。きっと、あたしを庇ったの! そういう子だから」


 いつも、姉妹みたいに仲良くしていた。

 「気が合う」というのもあったけど、ダイアナはライラに、ライラがダイアナに与える以上の優しさを与えてくれていた。


 だから、というのは打算だろうか?でも、ライラはそこが好きだった。

 自分以上の優しさを持っている彼女が。

 そして、ライラは知っている。

 ダイアナは強くない。

 いつもあたしを助けたり守ったりして、それが平気なフリをするけれど。

 あたしの事をあたし以上に知っているけれど。

 あたしだって、あんたの事を知っているんだよ。

 ダイアナ、きっと今、あんたの手は震えている。


 アシュレイがライラに手を貸しながら、言い聞かせる様に言った。


「大丈夫、大丈夫だよ、ライラ」

「何が!? 離してよ!」

「僕は彼と知り合いだから、大丈夫」

「!? ……じゃあ、じゃあすぐにアイツに言ってよ! ダイアナを返してって!」

「すぐには無理だ。相手は馬だ」


 ライラは激しく首を振った。

 混乱して、取り乱していた。


「殺されてしまうの?」

「大丈夫だよ」

「イヤだ……ダイ……」

「とにかく君の店に行こう」

「どうして? ダイアナを」


 うん、とアシュレイは頷いた。

 ライラの肩に手を置くと、また「大丈夫」と言った。暖かな茶色の目が、とても優しかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ