翼の妖魔
忌々しい、海に打ち込まれた杭から、女を助けようとしているライラとハミエルの傍へ、何かが飛んで来た。
それはハティたちの様に不思議な力で飛ぶのではなく、大きな翼で飛んで来た。
近付いて来るそれに、ライラは目を見張る。
それは、腕の部分に翼を生やし、獣の足を持った半裸の少女だった。
ハミエルが唸った。
ライラは逆立つハミエルの背に跨って、大きな翼の妖魔を見上げた。
一体何の用だろう?
もしかして、連れて来られた女達の中に本当にセイレーンがいて、怒っているのでは、とライラは思った。
しかし、さらさらと流れる黒髪に覆われる白く小さな顔の表情は穏やかだ。―――そして、琥珀色に光る瞳は泣き出さんばかりに悲しげだった。
そんな姿を見て、ライラはその妖魔を恐れる気持ちを持てなかった。
翼の妖魔のすぐ横に、ハティが並んだ。
ハミエルが、警戒心を剝き出してハティに呼びかける。
『ハティ! なんだ、そいつ!』
ハティは持ち前の気位の高さをもって、鼻先をクイ、と上へ向けた。少し複雑そうな表情は、一体どういう類のものなのか、ライラとハミエルには読み取れそうも無かった。
『敵じゃない。お前達を手伝うってさ』
「……私達を? この人達を助けてくれるの?」
ライラがそういう前に、翼の妖魔は翼を広げ、一度大きく羽ばたくと、海に向って頭を下にし、ほとんど翼をたたんで下降する。
そのままライラとハミエルの横まで落ちて来て、海面すれすれでふわりと今度は海から水平に飛んだ。花の様な香りがライラの横を過ぎ去って、その香りの柔らかさを感覚で追ってそちらを見れば、次の杭目がけて飛んで行く翼の羽ばたきが見えた。
目を瞬いていると、
『ライラ!』と、ハミエルがライラを呼んだ。
『杭が!』
「え? ……っわ!?」
杭からみるみる蔓草が生え出していた。
奇妙さに目を丸くしていると、蔓草から柔らかな大輪の花まで咲き出した。その反面、蔓草と花が茂れば茂るほど、杭はボロボロと朽ちて行き、その内、括られた女の重みに耐えきれずに折れた。
「大変! ハミエル!」
ハミエルはライラを背に乗せたまま海水に突っ込み、ライラが女を背に乗せやすいようにしてから、また宙に浮かんだ。
ぷはっ! と、海水の辛さに辟易しながら、ライラが辺りを見渡すと、花咲く杭が、何本か見えた。
既に朽ち折れて、海に投げ出された女も見えて、ライラとハミエルは大急ぎでそちらへ向かう。
「これは忙しい事になったわね!」
ライラが二人目の女の頬を叩きながら、舌打ちした。
「ちょっと! おっつけないったら!」
ザバッ、と近くで偽アシュレイが海から顔を出した。女を抱えている。
ライラは手を振って合図して、偽アシュレイの傍へ行き、ハミエルの背に跨りながら、女へ手を伸ばした。
女は気がついていて、寒さと大きすぎる狼にガタガタ震えていたけれど、他の仲間が同様に震えながら縋る様にハミエルの背に乗っているのを見ると、意を決した様にライラの伸ばす腕に捕まった。
「助かったの?」
と、ライラの腰に捕まった女が小さな声で囁いた。
ライラは腰に回された、冷たい手を擦ってやった。
「まだ分からないケド、皆で助かろう」
狼に戻ったハティが、気絶したままの女を咥えて飛んで来た。女の服の腰部分に、牙を引っかけている。
―――あと、二、三人はいた筈……。
『行くぞ』
ハティがキッパリ言った。
「まだいるハズ」
『……』
ハティはライラを無視して、スィッ、と、飛んで行ってしまった。
「ちょっと!」
なによ、アイツ! 可愛くない!
そう思いながら、まだいるハズの女達の方を振り返る。
蔓草や花が茂っていない杭が、三本。
その中の一本の前で、翼の妖魔が泣いている……。
「―――……」
ライラは、その様子を見て、小さな声で「ハミエル、行こう」と囁いた。悔しくて仕方なかったが、唇を噛んで前を向いた。
翼の妖魔は、三本の杭を全て回り、一本づつ、翼で優しく抱いた。
縄を解かなかった。
その方が、後に手厚く葬られる事を、この妖魔は知っているのだった。
色の無い唇が、「ごめんなさい」と、動いた様な気がした。
* * * *
穢れた翼で、貴女方にこうする事を、こうしたいと思ってしまった事を、お許し下さい。
忘れません。
貴女方の、身体の冷たさを。




