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奪われた出番

 稲妻が暗雲の中迸って縦横した。

 空に生じる濃い陰影が、良く出来た絵画の様に世界から現実味を奪い、「ここはこの世だろうか、あの世だろうか」と一瞬人を惑わせる。人の手に余るこの世の表情を、誰が描いているのだろう。全ての法則に忠実に、寸分狂いも無く描かれる広大な光景はしかし、どうしてこんなにも心を乱すのか。人は完璧な均衡とは相容れないのだ。

 だから、アシュレイは荒れた海に沈みかけた女達の括られた杭を見つけると現実的な気持ちになった。


「ライラ……!」


 渦巻く波の中、雨に叩きつけられ水にけぶる視界を頼りにたった一人の少女を探す。

 小山の様な波が、女達をチラチラ隠す。その中に、彼の視線と気持ちを惹きつける頭と肩を見つけ出し、ラルフから飛び降りる。

 彼は腰に手を当て、大型犬位の大きさの、如何にも水陸両用そうな茶色い毛並みの妖魔を解き放つと、それに荒れ狂う海を見せた。


「君、川の妖魔だけど……海は泳げる?」


 茶色い妖魔は、艶々した毛並みをちょっと逆立て真っ黒で大きな目を細めた後、小さな丸い耳をピッ、と立てて『きゅっ』と鳴いた。


「僕も一緒に行ける?」


 封魔師の命令は、封魔された妖魔にとってほぼ絶対なのだが、「途中で無理でした」では困るのでアシュレイは念を押す。

 そして、妖魔のモチベーションは結構大事なのだ、と彼は考えている。

 茶色い妖魔は、レイリンの縫いぐるみの様に愛らしい顔を、見事に歪ませた。「え、川専門を荒れ海で泳がす上に、ご主人様も連れてくんですか?」と、厭そうだった。


『……きゅ~……』


「やってくれたら、封魔解いてあげても良いよ」


 封魔はトレード出来る位だから、封を解いて自由にしてやる事も出来る。大抵の封魔師は報復を恐れてしないけれど、アシュレイにとってこの縫いぐるみみたいな妖魔の報復など痛くも痒くも無いのだった。

 妖魔が目を輝かせた。仲間のいる川に帰れる!


『きゅ~! きゅっ!』

「よし!」


 アシュレイは妖魔のフカフカした腹に捕まった。


「あっちだ!」

『きゅっ!』


 妖魔が勢い良く荒れ海へ身を投げ出した。


「がぶごば……ちょ、もっとがぼぼ……」


 若干溺れかけながら、アシュレイは必死で妖魔にしがみ付いていた。実を言うと、彼は泳げないのだった。


 マジか……あれだけ威勢よく飛び出してコレか。


 ラルフは顔面に波を直撃されながら、ガボガボ進んで行くアシュレイの後姿を、ちょっと「溺れ死ねよ」とか思いながらも、ハラハラして見送った。

 そういう彼だって、流石に荒れ海は泳げない。

 アホに任せるしか無いのだった。悔しい。


 *


「げぇっほっ! げほぉっ」


 咳込みながら、アシュレイはライラへ向けて前進していた。

 頭上を飛ぶ大きな狼を目の端に入れて、見上げると、思い切り睨み返された。

 見覚えの無い妖魔だったが、何となくその余す事無い憎悪の視線に


「ハミエル……!?」


 狼はスイと飛んで来て、唸った。


『ぜんぶおわったら、くいころしてやる!』

「やっぱりか! ハミエル! 僕を背に乗せてくれよ」

『あほかしねっ!』


 ハミエルはビュンと飛んで行って、アシュレイより早くライラの杭へ辿り着いた。ライラを括り付けているロープを食い千切ろうとして、戸惑っている。牙や爪で彼女を傷付け無いかと思ったらしい。


「ハミエルっ! 僕が……! え!?」


 雷光が光り、ピュッとハミエルの横に小さな狼が飛んで来た。

 なんだ、ハミエルが二匹? とアシュレイが目を見張っていると、小さな狼は海に突っ込みながら、人間に姿を変えた。しかも、遠目から見る限り美青年だ。

 あんなのにライラを助けられたら堪らない。アシュレイの見解からするに、ライラは面食いなのだ!


「ちょ、ちょっと! 僕が……がぼぼ、がぼっ! 僕がヒーローになりたいんだけどっ!? おい、もっと急いでよ!」

『きゅ~……』


 アシュレイの妖魔は黒目がちな目玉の端に、白目を見せていた。

「やっぱ無理」の顔だ。


「うわっ、力尽きないでよ!? 頑張ってよ!!」


 美青年がライラの杭に捕まりながら、片手で難なくロープを引き千切った。

 アシュレイはその人間離れ(と言うか、妖魔としっかり判明しているが)した力に、波に揺れる視界の中まじまじと彼を見、目を丸くした。


「……!? なっ!?」


 美青年は、ぐったりとするライラを抱いて、頬を叩いている。

 ライラが気を取り戻したのか、彼を見た。


 ―――それから。


 待ち焦がれていた様に、縋る様に、ライラがソイツにガバッと抱き着いた。

 アシュレイは絶望と混乱に包まれながら、目をシロクロさせた。


「な、なんで……なんで僕が……!?」


 実際はアシュレイじゃないし、彼を惜しい位模してはいなかったのだけれど、夢と特徴だけを拾った本物アシュレイは「僕とソックリだ!」と憤慨し、見た目以上に良い所をぶんどって行ったソックリさんを見た。



「くっそぉぉ~!? 美味しい所を持っていきやがって……!」

『きゅ~……』

「きゅーじゃないよ! ほらほら急げ!!」

『ぎゅ~っぎゅっ!』

「いたっ! 痛い! 引っ掻かないで!?」

『ぎゅぎゅっ! きゅ~!』


 モタモタ進むアシュレイを他所に、ライラは偽アシュレイに熱い抱擁をしている。

 彼が夢にまで見たライラの抱擁を、自分がして貰っているのを見るのはいい気分……な、ワケが無い。

 なんだこの悪夢は。

 自分とライラが水に濡れて絡まり合っている。でも、ここにいる自分は『きゅー』と鳴く妖魔と水に濡れて絡まり合っている。

 なんだかもう、ワケが分からない。


「うわぁぁっ、ライラ~!」

『きゅ~っ(止めて強く抱きしめないで)』


 アシュレイは、妙な興奮で鼻血が出そうだった。


 *


 なんだアイツは!? 

 僕に激似過ぎる!  

 ん……?

 という事は……僕が助けたって事だよねコレ。

 ん? 

 アレェ!?



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