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雨の中②

 見慣れた灰色の空は蠢く様にうねって、まるで命があるみたいだった。

 カナロールの人々は生まれてこのかたこんな嵐を体験した事が無く、目を丸くして軒先に出て来る者もいれば、恐れて住居の奥に縮こまる者もいた。

 外出中の者達は慌てて近場の木陰や屋根を探して、そこに集まった。

 バザールの通りの頭上に掛かる布や板は雨風の勢いに転落したり吹き飛ばされたりして怪我人を大勢出した。

 人々が右往左往する驚きと混乱の合間合間に雷が辺りを真っ白に染め、一拍置いて轟音を轟かし、人々の身体の内側をビリビリと引っ掻き回し嵐への恐怖を煽った。

 そんな中をアシュレイはラルフに乗って突っ切った。

 流れ落ちる雨に視界が悪くて、アシュレイは目を細める。

 荒れ馬ラルフを御する手綱が濡れて滑ってやりにくい。

 叩きつける雨の音は、周囲の音を掻き消して、「終わってる」とリリスの声だけが頭の中で響いた。


―――終わってるさ。終わってるだろ?

―――僕達、終わってるんだ。最初から。



 グレーの勝った青い瞳は、少しも憎しみの色で濁ったりしなかった。

 アシュレイはそれにとても驚いたのを、今でも思い出せるし、今でも不可解に思っている。


 そうなるだろうと、思った。


 と、彼は言った。表情はどこも崩れなかった。ただ、少し青かった事に、アシュレイは慰められた。彼の人間味を、ちゃんと信じていたので。関係性のあれこれを抜いた次元で、安心したのだった。

 

『君の気持ち、知ってたのにごめん』

『いや……こういう事は、しょうがないのだろう。俺だって、アッシュの気持ちを知っていた』


 この言葉は意外だった。

 アシュレイは三人でいる時、カインとリリスをくっつけようとする様な発言をしたり、何かしらこじつけて二人を冷やかしては笑って見せていた。それはカモフラージュと言うよりかは「さっさとくっついて僕を外野にしてくれ」といった心境からだった。隠しているつもりでいたし、爪が甘かったとしても、まさかこのカインにそういう感情の機微を捉えられているとは……。

 そして胸が詰まった。

 それだけ、リリスと彼女の周囲を目詰めていたのだろうと思った。


『……そう』

『……それで、その報告を聞いて、俺はどうすればいいのだ? お前達から距離を置いた方が良いのか?』

『いや、そうじゃない。そんな事言いたかったワケじゃないよ』

『そうしなければ、邪魔だと言うなら』


 大丈夫だぞ。


 どこまでも真摯に真面目に頷かれて、アシュレイは「違う」と首を振った。

 けれど、じゃあ何を言いに来たのだろう。

 自慢では無い。自慢出来る事でも無い。

 かと言って、アシュレイやリリスが「これからもよろしく」なんてぬけぬけ言える訳も無い。

 

 どうしたら良いんだ? と聞くカインが、途方も無く純粋に見えた。そして、自分が酷く汚い様な気がした。


 ―――僕達が悪いのか。ただ惹かれ合っただけなのに。

 ―――もしも、君の存在を知らなければ―――

 ―――あの時、君が食卓なんかにいなかったら―――

 ―――僕が、ファラフナーズへ入りたがらなかったら―――

 

 カインは静かにアシュレイの返事を待っていたが、アシュレイが唇を固く結んで押し黙っているので、少し気を使った様に言った。


『俺は、お前達が良いなら良いんだ』


 アシュレイは心から一つ、色が消えて行く様な気持ちになった。


 ―――僕は、そこに立ちたかった。


 その考えが、身勝手なのは解ってる。

 報いる術が無い。……だったら……。


 アシュレイはへらっと笑った。


『へへへ、出来ればさ、今まで通り、なんて僕は考えてるんだ! カインさえ良ければさ!?』


 カインが微笑んだ。

 ホッとした様な微笑みが眩しくて、アシュレイは剣を飲み込んでいる気分だ。


『ああ、お前達が良ければ』


―――君みたいになれやしない。


 もっと厭な奴なら良いのに。とアシュレイは思った。

 嫉妬して僕達を引き裂こうとする様な……。そんな奴だったら良いのに、と。

 いつだって、好ましくって仕方ない。


―――多分、リリスもそうなんだ。


 リリスは何で僕なんだろう?

 彼女は恐れたんじゃないだろうか?

 この良い奴を愛したら、自分を保てなくなる、なんて。


 クソ、どうして僕が嫉妬してるんだ?



 僕のものになる様な気がしていた。

 君は僕に逃げて来る気が。

 だって僕達は「合う」からね。


 リリスが自身の何を保とうとしたのかは解らないし、そもそも、アシュレイはこの考えが当たりかどうかも解らない。

 一方的な思い過ごしの線が濃いけれど、思い違いは誰にだってある事だ。卑屈で、猜疑心の強い者ほど。アシュレイはそれも自覚していて、だから声にはしない。


 ―――でも、僕たちはお互いの事が何となく解る。「合う」んだ。


 似た者同士、「合う」から、お互いを好きになった。その想い方が、二人を安心させていた。

 純粋なものなんて、二人には要らなかった……。

 けれど、捨て切れなかった。

 混じらせる事が不可能でも、大事に―――。

 向こう(カイン)がそう思ってくれているのと同じか、それ以上を自分達の心に抱きたがるのは、身勝手な事なのだろうと思う。

 なのに。


『私達は、彼を傷付けてばかりじゃない!』


 驚いた。口に出すなんて。

 覚悟が無かったのか?

 自覚が無かったのか?

 まさかね。

 今更だよ、リリス!

 その言葉は余計にアイツを傷付けるって、分らないハズ無いよな?

 僕達は見えないフリをしなきゃいけないんだ。分らないハズ無いよな? ずっとそうして来たじゃないか! 

 君はそんなバカじゃないって、僕は解ってる。

 解ってる。

また、僕が言わせた。

言わせてはいけない事ばかり、君に言わせて、僕は償えずに苛立つしかない。

 

 僕達は悪者だ。悪者になり切れない、一番質の悪い悪者。

 ただ、僕はもう、この件に関しては一人で悪者になりたい。


ーーーだって僕の中でもう、終わってるんだから。


 降り注ぎ打ち付ける雨粒は、ちっとも彼を洗ってくれはしない。

 けれどいい。

 ライラに会えれば、ライラといれば、彼は新しい彼になれる。

 なんの理屈も無く、嵐の土砂降りの中ただこうしてひたすら向かって行きたいと思える自分に。

 ああだこうだが無いのは、なんて素晴らしいんだろう!




 ゴォーン、と波の雄叫びが近くに聴こえて来た。

 アシュレイはずぶ濡れになりながら、ラルフを手綱で御して砂浜へ出た。大雨の為に水かさが尋常では無い程多く、彼は頬の内側を噛む。


「急げラルフ! どう!」


 海がひっくり返って来た様な雨は、アシュレイの呼吸を荒くする。

 空から、海から打ち付けて来る水で息が苦しい。口の中が辛い。

 ラルフの力強い脚が、不気味に泡立つ波打ち際を爆ぜさせる。

 雷がまた、空を光らせ轟音を轟かせた。

 

 おおーん、と狼の遠吠えが聴こえた。

 

「……! 近い!」


 ドオオン! と高波が浜で砕けてのたうち回っては引いて行く。

 渦巻く暗雲を背景に、宙に浮く狼の姿が雷の光の中、黒い影を描いていた。



彼を卑怯だと思うでしょうか。

けれどどうしようもない弱さを描きたいです。ご容赦下さい。

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