クリームはトッピングにするか否かの話
オゴリなのだから、遠慮する事は無い。
ライラは街で一番上等でオシャレなカフェへ、アシュレイが街に詳しくないのを良い事に彼を連れて行った。
アシュレイが店先のメニューボードを見て「ゲ」と声を上げた。
ライラはダイアナと一度だけこのカフェへ来た事がある。そして、値段の馬鹿馬鹿しさに「もう二度と足を運ばない」とダイアナと誓ったのだが、悔しい事に、この店の値段と味は釣り合っているのだ。
なので、ライラはこのチャンスを逃す気は無かった。
「早く、何してるの」
メニューボードを見、十本の指を使って何やら計算を始めたアシュレイを引っ張って、ハミエルも一緒に居られる様にテラス席を注文する。
「たかが朝飯に……」
「何にする?あたしはパンケーキ。クリームをトッピング」
「うぉぉ、それ、本当にパンケーキ?ステーキが内臓されてるの?そこらの食堂で二回飯が喰える……」
ライラが目を細めて、アシュレイを睨んだ。アシュレイはメニューに隠れながら、フォカッチャ……と呟いた。
「飲み物は?あたし、フルーツーラッシー」
「……水……ってちょっと待って!水が、有料、だと!?」
「井戸水じゃないのよ」
「何てことだ。井戸水でいいのに」
ライラは心配になって来た。
コイツ、もしかして……。
「アシュレイ、あの……店変える?」
パッとアシュレイは顔を上げて、「ヤッター」の表情をしたが、ライラが残念そうな顔をしているのを見ると、たちまち自分も悲しそうな顔をして「否!」と大きな声を出した。
「君にパンケーキを食べさせるよ!何枚でも食べるといいよ!」
「でも……その、払えるの?」
なんでこんな心配しなきゃいけないんだろう?とライラは思ったけれど、調子に乗り過ぎたのかも知れないという罪悪感が勝った。
「余裕だよ!」
凄く怪しい。
ライラの表情を読み取って、アシュレイは背筋をぴんと伸ばした。
「疑ってるね?ホントだよ。ただ、僕は無駄な出費が嫌いなんだ。そこはライラにも今後良く解っていて欲しい」
なんであたしが解ってなくちゃいけないんですか、とライラは思ったが、面倒臭いので適当に頷いた。
小奇麗なウェイトレスが注文を取りに来ると、アシュレイは彼女に「このメニューの挿絵は実物に忠実なの?」と聞いた。いかにも「胡散臭いんですけど」という態度だけれど、彼の方が胡散臭い。
ウェイトレスは謎の質問に戸惑いながらも微笑んで「はい」と答えた。
「じゃあさ、このパンケーキの周りに散らした花、これ生花?これいらないから、もう少し安くできない?」
「え……」
「この花は南のポンタル国からの輸入品だろ?だからコストがかかっている。だね?だったら、この花を除けば生クリームのトッピングはタダだ。そもそも、パンケーキと一心同体である生クリームをトッピングとして扱うのが、間違ってる。蜜はちゃんとかかってるんだろうか?もし蜜すらかかっていないなら、もうこれは訴えられてもいい。そもそも、花をトッピングにすれば皆困らない」
「な、なに言ってるの」
ライラが困惑するウェイトレスに、「いいよ、生クリームトッピングしないから!」と伝えると「ダメだ!」とアシュレイが被せた。
「ライラ、僕は君に生クリームのトッピングされたパンケーキを絶っ対に食わせる」
面倒臭い!
「じゃあ、生花もトッピングして!景気良く生花を散らしたところが、ここのパンケーキのウリで、あたしは目でも楽しみたいの」
うむむ……とアシュレイが唸った。
「そういう事なら、いいよ。じゃあ、生クリームトッピングを二つするから、内一つ分の値段で生花を倍飾って欲しい。あとハムチーズフォカッチャと紅茶。この付け合わせのソーセージは本当に付くよね?葉野菜も、挿絵通りのボリュームにしてよ」
アシュレイはウェイトレスに、あろう事か銀貨を一枚差し出した。
ウェイトレスは目を丸くして、自分の月給より多いチップを受け取り、慌てて厨房へ消えた。
アシュレイがその背中に大声を出した。
「あ、紅茶はポットで出ますかー?」
ランチ前の客の掃けた店内でその声は良く響き渡った。
少ないとはいえ、店内に他の客がいない訳でも無いので、ライラは身を縮め、「コイツ、声大きい!」と目をつぶった。
* * * * * * * * * * *
モリモリに盛られた花に埋もれたパンケーキが到着すると、ライラはそれをフォークで無造作に掻き分けた。
「ライラはお花が好きなんだねぇ。覚えておくね」
ニコニコ笑っているアシュレイに、微笑み返す気分になれない。
でも、銀貨を出した。それも、チップで。
「金持ちはケチって言うけど、本当なのね」
「ケチじゃない。無駄がイヤなだけ。ライラが花を欲しいなら、いくらでも飾ればいいよ。うん。フォカッチャ美味い」
第一印象から分かっていたけれど、大分変な男だ。
もうサッサとパンケーキを味わって、オサラバしたい。
でも、ライラは彼に聞いてみたい事があった。
昨夜、彼はライラの歌に「愛が無い」と言った。
ライラはそれにコッソリ傷ついた。
図星だったと言えば良いのだろうか?
ちょっと違うかな、とライラは思う。
歌に「愛が無い」んじゃない。
きっと、あたしに「愛が無い」……。
彼は千切ったフォカッチャの欠片を、ハミエルに振って見せている。
ハミエルは唸り声と共に、彼がもう片方の手に持った具の挟んである方に飛び掛かり強奪した。
ギャッと悲鳴を上げて、アシュレイが片手を抱いた。ライラがふふっと笑ったのに釣られて作り笑いをしながら、彼はハミエルをチラチラ見た。
「躾してる?」
「そんなの必要無いわ」
ハミエルはあっという間に獲物を平らげ、舌をペロリとすると腹這いになって鋭い眼光を放ちながらアシュレイからビッタリと目を離さない。
「……怖い」
「あたしにしか懐かないの」
「その気持ち、分かるよ。ハミエルは僕の仲間だね」
アシュレイはアホなのか、ハミエルの頭に触れようとして、牙を剥いて再び唸られる。
ライラはハラハラした。
「指を喰いちぎられるから、唸っている時に手を出さないで」
「さっきもそうしようとしたよね」
アシュレイはハミエルに触るのを諦めて、フォカッチャの付け合わせに付いていたソーセージをハミエルに放った。
「将を射んと欲すれば」戦法なのか、どうしてもハミエルと仲良くなりたい様だった。
ハミエルは残酷な程それに見向きもしなかった。
ソーセージがただ静かに床に転がっている。
「酷い。なにこの子。だったら僕食べたかったのに……」
「どうぞ」
ライラがニヤッとしてソーセージをアシュレイの方へ、つま先で蹴った。
アシュレイは怒るでもなく、「じゃあ」とばかりにソーセージを拾って紅茶に漬けようとする。
「ちょっと待って!何する気?」
「だって洗わないと」
「や、止めてよ!」
「どうぞって言ったじゃないか」
アシュレイがニヤニヤして言ったので、ライラはからかわれただけだと判り、頬を膨らませた。アシュレイが顔を覗き込んで来る。美形の好青年ならライラだって頬を染めようがあるけれど、残念。したり顔がやけにイラつくだけだった。
「可愛い。どこまで膨れるかな」
気持ちが悪かったので、ライラはアシュレイの脛を思い切り蹴飛ばしてやった。
「うっ」と言って身体を曲げるアシュレイをザマミロと思って眺めながら、ライラは聞いてみたかった事を聞いてみる。
「ねぇ、どうしてあたしの歌に愛が無いって思ったの?」
アシュレイはキョトンとした顔をして、ああ、と呟いてから、目頭の下に皺を寄せた。そうすると、少しだけ大人っぽかった。ライラはちょっとだけ用心しようと思った。アシュレイは多分だけど、自分より随分年上かも知れない。
よくいるのだ、「え!?」と言う位若く見える人が。それはその人の天性の武器だ。その武器の使い方を知っている者は、大抵こちらを油断させ、足元を掬う。
「あれ?引っ掛かってたのゴメンね」
「一応歌を生業にしてるから」
嘘だ。
本業はただの踊り子なのに、ライラは見栄を張った。でも、そうしてもいい程、ライラには実力があったけれど。
アシュレイが微笑んで何か言い掛けた時、街道に面したテラス席の前を、馬が何頭か慌しく駆け抜けた。街道なのだから馬ぐらい行き来するが、普段見ないような真っ白で立派な馬の群れだった上に、なにやら立派な騎士達が乗っていたので、何事かとライラもアシュレイも目を見張った。
先頭の一際美しい白馬には、金髪の騎士が乗っていた。
煌めく金髪を風に乱した騎士に、ライラは思わず見とれ、目で追ってしまった。かなりの美形だったのだ。
アシュレイがティーカップをスプーンでチンチン鳴らした。
「ちょっと、ライラさん」
「ねぇ。アレ、なにかしら?」
「僕が目の前でさぁ、君にさぁ、これからさぁ」
「今の誰?凄く素敵だった」
「……〈セイレーンの矢〉の隊長だよ」
ライラはアシュレイの方など見ずに「〈セイレーンの矢〉?」と聞いた。目は遠ざかって行く騎士達の群れを追っている。
アシュレイが、何故彼らの事を知っているかなんて気にも留めないのが、ライラの悪いところだ。
「そう。いなくなったセイレーンを探す隊だよ」
「いなくなって悪さをする魔物が減ったのに、どうして探すの?……あら?あらら?ねぇ、ちょっと」
隊は街道から『六角塔』へ行く道へ折れ曲がって進み、見えなくなった。
ライラはちょっと腰を浮かせて、それを見守った。
それから興奮気味に頬を高揚させて、両こぶしを嬉しそうに鎖骨の辺りで小さく振った。
「ウチ(『六角塔』)に行ったわ!」
もしかして、今夜のお客になるのかも知れない。だとしたら、念入りに準備をしなければ。銀貨が脳裏にチラついたけれど、ライラは〈セイレーンの矢〉隊長様の前で歌うと思うとアシュレイに構っているヒマは無い!
「今夜、ショーを見に来るかも!」
「へー。……あ!」
興味無さそうに葉野菜をシャクシャクしていたアシュレイが、ハッとしてライラを見た。
「なに?」
「マズイぜライラ!〈セイレーンの矢〉は、歌を歌う女を片っ端から狩ってるんだ」
「え?」
「隠れた方がいい」
皿の上の残りを口いっぱいに放り込んで、アシュレイがせわしなく席を立った。頬が冬の蓄えに忙しいリスみたいになっている。いい歳(だと思う)をして、どれだけ人目を気にしないのだろうか。
「どういう事?だって、セイレーンは幻獣でしょう?」
「そうだよ。幻獣だから、人に化けているかも知れないって探してるんだ」
そんな馬鹿な事、とライラは思った。思ったけれど、アシュレイのせわしなさに思わず後に続く。
アシュレイは支払いを済ませて、店のドアを開けた。
「僕の宿に行こう」
ライラはそれを聞いてピタッと足を止めた。
はは〜ん、という顔をしたライラに、アシュレイは首を傾げて見せた。
「なに?急ごう」
「行かない」
「もし捕まったら、連れてかれちゃうよ」
「子供なら騙せたかもね」
ライラはツンとして、アシュレイの脇を通って店を出た。
どうせ、〈セイレーンの矢〉という隊も、嘘なのだろう。あたしが世間に疎いからって、バカにして。
それにしても話の流れが上手かった。
もしかしたら本当に、コイツは油断ならないヤツなのかも知れない。
アシュレイが慌ててついて来る。
「ライラ、セイレーン候補になりたいの?海に一晩漬けられるぞ」
「あんたの下心に付き合わされるよりマシ」
「下心?」
ポカンとしてアシュレイが立ち止った。ライラは構わず歩き続ける。
無計画な嘘で、あたしを宿に引っ張り込もうなんて何てヤツ!
それとも、あたしを頭の軽い浮かれ女だと思ったのかも知れない。
だとしたら、余計腹が立つ。
……確かに、エサ(おごり)に釣られてホイホイついて行ったけどサ。
あはは、と後ろで朗らかな笑い声がして、ライラは顔をしかめて振り返る。
「なによ」
「僕はムード派なんだ」
「はい?」
「あんな汚い宿で、君と過ごす気は無いよ。君との愛を実らせる時はバラを散らしたベッドがいいって、昨夜決めたんだ!」
「留置所でナニ考えてるの?反省しなさいよ!」
鳥肌を抑えるために腕をさするライラに、アシュレイは片眉だけ器用に上げた。 ライラはなんとなく、彼が「あのテンション」になって来たのを感じて後ずさる。
ヤバい。どこにスイッチがあるか分からないけど、押してしまった。アシュレイがゆっくり両腕を広げた。……始まる!
「なにを?君の事さ、ライラ!留置所の夜の女神!そして反省はしない!なにを反省したらいいんだ!僕は愛してしまっただけだ!」
君を!と言い終わる前に、ライラはアシュレイから逃げ出した。
何が留置所の女神よ、どんな女神?
それよりも、早く戻らなくちゃ!