狼と少女
ソーセージを貪りながら、ハミエルは店内の異変に気が付いた。
店員が、それと無しに距離を保ちつつ三人のテーブルを意識している。人の少ない店内に、必要以上に給仕係がウロウロしていて、男ばかりだ。出入り口には中でも身体の大きい男が二人も控えていた。
『ハティ、みられてる』
小声で伝えると、それを聞いたレイリンがキョロキョロしようとしたので頭を撫でる振りをして抑え付けた。
ハティは目を細めながらもぐもぐ口を動かし、肩を竦める。
音の無い声で、返事が返って来た。
(ここちょくちょく使ってたから、顔覚えられたかも)
(どうする?)
(取りあえず出方を見ようぜ)
『ごっつぉーさんっ』と言って、ハティが立ち上がった。
すると、給仕係が甘い香りのする飲み物を盆に乗せてニコニコテーブルへやって来た。
「お客様、食後のサービスでございます。口の中がサッパリしますよ。どうぞ、もう少しごゆっくり……」
『……』
(どうする?)
(急ぐのも怪しまれるか? 出来れば暴れたくない)
目と目で会話して、ハティが再び席に着いた。
レイリンがカップに鼻を近づけて、甘い匂いを嗅いでいる。
ハティが自分の前に置かれたカップを手に取ろうとした時、彼女はサッとそれを奪った。
『あ!?』
「とっても良い香りだから、私に下さいな」
『お前、何で俺のばっかくすねてくんだよ! 手癖悪ぃな~!』
「ハミエルのも下さい!」
『のどかわいてる?』
「お嬢様、おかわりもございますので……」
「ん、いいわ。やっぱり要らなくなりました。行きましょう」
『なんだよ~』
『いいにおいの、のみたい!』
「めっ! ほら、ハティお会計して下さいな」
レイリンはジッとハティに目で訴えた。
彼女はこの飲み物の甘い匂いを知っていた。
ハミエルが名残惜しそうにくんくんしているカップの中身は、甘い匂いを強めに付けて誤魔化した、妖魔用の毒だった。
アシュレイが仕事に行く際、荷造りを手伝っているとたまに持っていて、「良い匂いだけどダメだよ、毒だからね」と言われたのを、彼女は覚えていた。
「お客様、どうぞ一杯だけ」
『……いらねぇよ。勘定だ』
ハティがレイリンの目から警告を受け取って立ち上がった。
ホッとしてレイリンがハミエルの腕を引いて続く。
ハミエルも素直に従った。
気が付けば、店内に客はレイリン達だけだった。
視線に覆われながら、三人は表面だけ澄まして出入り口まで歩いた。レイリンは足が震えたけれど、ハミエルの腕に縋って何とかツンとして歩いて見せた。
店の奥から、彼らを追い越す様にサッと若い男が会計場所にやって来て、先に居た女性から場所を変わった。会計係の女性はそそくさと店のカウンター奥へ逃げる様に消えた。
会計係にハティがコインを出す。すると、係はコインを指先に一枚摘み、ジロジロと見た。
「……お客様、何度かいらっしゃってましたね」
『ああ、ここのは美味いから』
「……お客様がいらっしゃると、必ず勘定が合わなくなります」
『言いがかりじゃねぇ?』
ハティはトントンと差し出したコインを突いた。
『金払ってんじゃん』
「失礼ですが、本物でしょうか」
『お前勇気あるなぁ。さっきまでいた?』
「お客様も。帽子を取ったら何が飛び出すやら」
『なんもねぇよ。じゃあな』
素っ気なく店を出ようとしたハティを、出入り口の傍に控えた男二人が立ちふさがって止めた。それぞれ、手にはいつの間にかこん棒やナイフを持っている。
ハティは首を傾げて二人を見やった。レイリンは怯えてハミエルに縋り付き、ハミエルはというと、あくびをしていた。お腹一杯で眠たいのだ。
「余裕だな、妖魔共」
男が笑って、額に手を当てた。たちまち彼の身体の周りを湿った風が取り巻き、足元で波打つ水たまりが出来ると、そこから青い液状の女が冷たい目をして現れた。身体全体が、男の発する風にぶよぶよと揺らめいている。
『チッ、封魔師か』
「よくカナロールで悪さ出来たもんだな。大した妖魔だ」
『悪さなんかしてねぇや』
液状の女がヒュッと手を突き出し、ハティのキャスケット帽を水の矢で打ち抜き、後ろの壁に突き刺した。矢は直ぐにシャッと床に流れ落ち、数拍置いてキャスケット帽がパサリと床に落ちた。
露わになったハティの狼耳に、店内が息を飲む。
「フェンリル……!!」
『ククク……何後退ってんだよ?』
「……何故お前の様な……」
ガウッ! とハティは急に狼の声で吼えて、一瞬で男の使役した妖魔を掻き消してしまった。同時に、咆哮の衝撃は男を弾き飛ばし、会計箱を吹っ飛ばしてコインが散ってキラキラ光った。
チャリンチャリンと、床が鳴る。
封魔師の男は慌てて立ち上がって、額に手を当てようとして、飛び掛かって来たハミエルに腕を掴まれ馬乗りにされる。
「ひ……」
「駄目! ハミエル!」
『ハミエル、構うな。もう腰が抜けて動けやしねぇよ』
ハミエルがグルル、と牙を剥いて振り返った。兄にあるまじき顔だったので、レイリンは思わず彼から目を逸らす。その時、奥からロープの輪が飛んで来た。
「!?」
ロープの輪はレイリンの手首に引っ掛かると、キュッと引きざまに彼女の細い手首を締め付けた。
「捕まえたぞ!! 封魔師め、使えない!!」
「きゃっ!!」
カウンター側から大柄な男が嗤って、レイリンを捕まえたロープをグイッと容赦なく引いて、レイリンは力に負けて引きずられ、床に倒れた。
「女の妖魔だ!」
「キャーッ!? い、いや!!」
ズルズルと引き寄せられて行くのを、ハミエルが捕まえて、反対にロープを軽く引くと、今度は呆気無く大柄な男が引っ張られて倒れた。
「ハミエル!」
ハミエルはロープ男に「ふん」と鼻を鳴らした後で、レイリンの手首に巻き付いたロープを噛み切ると彼女の手を引いた。
出入り口に居た男達は、既にハティによって床に伏していた。
意識のある者達が、青い顔で三人を見ている。
ロープをハミエルに引かれて倒れた男が、床を叩いて悔しがっている。
「なんで俺の店に! 妖魔が! クソ!!」
レイリンは彼らの顔を見て、胸が痛くなった。
何故なら、皆ハティとハミエル(と自分)を見て酷く怯え、そして憎しみを持っているからだった。
―――私だって……二人の事を知らなかったら……同じ顔をするわ……。
『行くぞ』
ハティが彼らの事など気にも留めていない様子で、出入り口のドアを開いた。
ハミエルが無言で続く。
ハミエルに手を引かれて、レイリンは一瞬躊躇った。
『レイリン?』
「……」
レイリンは店内の怯えて固まってこちらを見る人間を見、キョトンとして自分を見る狼二人を見る。
―――真ん中にいる……。
とても、深い溝の真ん中に。
「……ハティ、貴方の払ったお金は偽物なの?」
『……』
ふん、とハティがそっぽを向いて、ドアを潜ろうとしたので、レイリンは自分でも驚くほど速く駆けて、彼の傍へ飛んで行くと、腕を引いた。
『なんだ』
想像以上に冷たい視線が、レイリンを射抜いた。
それでもレイリンは、彼の腕を放さず、その目を見返した。
「駄目よ」
『お前も喰った』
「何か、返さなくては」
ハッ! とハティは吹き出して、
『皿洗いでもするか』
「今度でもいいから、この店にちゃんと何か支払いなさい!」
『レイリン、もういこう』
「だって、だって……」
私はこの溝を少しでも埋めたい……。
ハティが『面倒臭ぇ』と呟いて、自分の口に片手を突っ込んだ。
何をするのかと見ていれば、彼は驚いた事に自分の犬歯をゴッキと音を立てて折ると、『ん』と床に伏した男に放った。
犬歯は床に転がりながら、レイリンの人差し指程の尖った獣の牙に変わり、男の前で止まった。
「!?」
驚いてハティを見ると、何ともない顔をして彼は言った。
『お前らにとっちゃお宝だろ?』
彼の言う通り、奇跡に近いお宝だった。
「フェンリルの牙……」
目を丸くして男がハティの牙を見ている内に、ハティもハミエルもスルッと店を出た。
レイリンも引っ張られながら
「本当にごめんなさい」と謝りながら店を出た。
『仲間を呼ばれたら面倒だから、走るぞ』
『レイリン、おまえおそいから、おんぶ』
ハティが駆け出し、ハミエルがレイリンを背負ってそれに続いた。
レイリンはハミエルの背に捕まりながら、彼の揺れる肩に頬を押し付けた。
ハティが、改心こそしないにせよ、レイリンのいう事に耳を傾けてくれた事が嬉しかったけれど、出来事全体は彼女にとって少し悲しく、ショックだった。
*
海辺に戻ると、ハミエルは背負っていたレイリンを降ろし、ゴツゴツした岩陰にもたれて座った。
ハティが小さな狼に戻って、向かいの大岩にちょんと立った。
『おれももどりたい』
ハミエルは狼に戻ったハティを羨まし気に見た。
『ソイツの胸が破れるのを待て』
『それか、心変わり?』
『ん~、まぁ、そうだ』
また酷い事言ってるわ、とレイリンが二匹の会話を聞き流しながら海を眺めていると、ハミエルが『そうだ!』と言った。
『ハティ、おまえ、レイリンほれさせろ!』
「な、何言ってるの!?」
『やだこんな乳臭いの』
「な、何言ってるの!?」
乳臭くなんかないわ! 自分だって子供じゃない! とプリプリしていると、『まぁモノは試しだな』と物騒な台詞が聴こえて来た。
「!?」
背後に急に気配がして、振り返る間も無く何者かに抱きすくめられ、レイリンは息を飲んだ。
『レイリン、報われねぇ恋なんてしなくても、俺が相手してやるぜ』
「ちょっと、きゃっ!?」
頬に唇を押し付けられて、レイリンの心臓が跳ねた。
再び人型になったハミエルが、そのまま覆いかぶさって来てレイリンは砂利の上に押し倒された。
「なになさるの!? いや!!」
『へへへ、悪く無いだろ』
「悪いわよ!!」
『ハティ、それでほれるのか?』
『ハミエル覚えとけ。こいつら意外と、頭撫でられるの好きだ』
そう言ってハティはレイリンの頭を撫でる。
ハミエルが頷いた。
『おれといっしょだな』
『あと、見詰める』
視線を逸らそうとするレイリンの顔を片手で掴んで、強引に視線を合わせる。レイリンは美少年の大きな瞳にジッと見詰められてたじろいだ。
『加えて、ちょっと微笑む』
「も、もう止めて……」
初めての出来事に、レイリンの心臓は爆発しそうだった。
『おお』とハミエルが声を上げたが、ハティの魔性の視線に釘付けになってしまってそちらを見れない。
ハミエルの姿が、何かが迷う様に一瞬ブレたのだった。
『ちょろいな! レイリン!』
「ハミエル、酷い! ち、違うわ!!」
『良いから、俺を見ろよ』
「え、え……?」
『レイリン……』
ハティは囁く様にレイリンの名を呼んで、彼女の首筋を舐めた。
「ひゃぅっ!?!」
『いいだろ?』
「よ、よくないわ!!」
『なんか燃えて来た』
「燃えないで!!」
興味深げに『ほほう』といった顔で二人の横にしゃがみ込んで見ているハミエルに、いよいよハティがとんでもない事を言った。
『俺の経験では抱けば大抵惚れた』
『……だくのか。よし、ハティがんばれ』
「いやー!? ケダモノ!!」
『ハハッ! ケダモノだよー』
「誰か!! 誰かであえー!!!」
『あ、コノヤロ、暴れるな』
ジタバタして何とか逃げ出すと、レイリンはかなり離れた場所からキーキー怒鳴った。
「最低!! ケダモノ! ケダモノ! ケダモノーー!!」
わっと泣き出して、その場にぺたんと座り込む。
ハティは悪びれていない顔で、首を傾げてハミエルを見た。
『駄目だった』
『きゅん』
「だいっきらい!!」
『ガキすぎらぁ』
『きゅん……レイリン、がき』
「ハミエルも嫌い!!」
ハミエルは耳をピンと立てて、唇をすぼめた。
『ウソだ、おまえ、おれのこと好き』
「……っ!! き、嫌いです!!」
『だったらかえれ』
「……」
レイリンはポロポロ涙を零して、首をなんとかして振った。
「……帰らないわ……まだ……」
ハミエルが歩いて来て、レイリンの前にしゃがんだ。
大好きな兄の姿(偽)で、彼女の泣いている顔を覗き込み、小首を傾げて「おれのことすき?」と聞いた。
レイリンにはどうしてハミエルがそんな事を聞いて来るのか解らなかったけれど、兄にそう聞かれている様で、胸がときめいた。
「……好きです」
『よし』
彼は相変わらず無表情で頷くと、彼女の手をとった。
手首に、先ほどロープで絞めつけられた跡が残っている。
『けがさせてばっか。ごめん』
「……平気よ……」
『おれのそばにいるなら、おれのこときらいにならないで』
「どうして……?」
『かなしいから』
「……」
レイリンの心が掻き乱される様に、ハミエルの姿がブレている。
一体どうして? そう思いながら、レイリンはまた一筋涙を零した。
嫌われているのに傍にいるのは悲しい。
妖魔も、そう思うのね。私と、一緒ね。
怪我を心配するし、背負って走ってくれるし、敵に捕まったら、助けてくれる。
手を、引いてくれる。
ねぇ、でも、妖魔なのね?
それも、狼の姿をした……。
『きらいなら、すぐにやくそく、やぶって』
「……ハミエル……」
レイリンは首を振って、ハミエルに抱き着いた。
どうしてこんなに報われないの、そう思いながら。
*
『……』
ハティが、レイリンとハミエルからうんと離れた大岩の上で、二人を見守っていた。
『変な奴ら……』
彼はそう呟いて、日にキラキラと銀髪を輝かせている少年と、彼に縋る様に抱き着いている少女を眺めていた……。
* * * * * * *
もっとよくご覧ったら。
『友達になる』『傍にいる』なんてお前の一番痛いところを利用しようとした俺に、どうしてすがんだ?
怖がると思ったのに。
傷ついてるんだろ、傷つくんだろ?
早く自由にならないと。
俺からは手放せないんだぞ。
ライラ、早く会いたい。
無事に助けたらきっと……
ハミエルはレイリンに『嫌われる』為の手段を回りくどくしか使えません。
大きくなって怖がるように仕向けたり、とかです。
約束の『友達』が邪魔をしています。




