今日がすんだら
店を出ると、ハティは『次はコッチ』とスタスタ進んで行く。
「『次は』……?」
レイリンが聞くと、ハティはチチチ、と舌を鳴らして指を一本ピコピコ動かした。
『バザールにソーセージの店が一つしか無いと思ってんな? 次は茹でたのを喰わせてやる』
ハミエルの尻がピンと突き上がって揺れた。
『ゆでたの、すき!』
『油っ気の後は、あっさりしたのが良いよな』
「まだ食べるの……?」
『もう喰わないの?』
レイリンとハティはお互い驚き合って、目を丸くした。
「お腹一杯だわ」
『茹でたのだぞ?』
「ソーセージなんでしょう?」
それ以外に何がある、と言う表情でハティは頷き、レイリンに構わず人ごみを突っ切って行く。
呆れながらも乗り気のハミエルに手を引かれて付いて行く途中、安っぽい装飾店の前を通りかかった。
並べられたアクセサリーの、薄っぺらい品質に逆に惹かれて、しげしげと流し見る。
高級なアクセサリーよりも子供っぽくてちゃちい感じが、レイリンの子供心と乙女心を同時にくすぐった。
「見たいわ」
『レイリン、はやく』
「待って。ちょっとだけ」
暇そうに店先に置いた椅子に腰かけていた若い男が立ち上がり、揉み手をして微笑んだ。どうやら店員らしかった。
「どれも安いですよ、お嬢さん」
レイリンは答えずに上品に微笑んで返し、ハミエルの手からはなれて店先に並んだショーケースを覗き込む。ハミエルが仕方なしに彼女の傍に控えた。
「店の中にもありますよ」
そう言って店員が指す指先を目で追えば、薄暗い店内の中にショーケースが並んでいるのが見えた。
入ったら何かを支払わない限り戻って来れなくなりそうな雰囲気を感じて、レイリンはやんわり断った。
「いいです。見てただけ」
そう言うと、店員の態度が徐々に崩れ出した。
「へー、そうですかい。これなんかは? 似合いますが?」
「ええ……素敵ね……でも、買えないの」
レイリンが「何も持っていない」という風に手のひらを開いて見せながら答えると、店員はサッサとハミエルへ笑顔を向けた。
「旦那ぁ、お嬢さんに一つどうですかい?」
ハミエルは彼をちょっと見た後、ふい、と愛想無く無言で目を逸らした。
店員は張り付けた笑顔をみるみる冷めさせて、チッと舌打ちすると、気怠そうに椅子に腰かけ、やれやれと腕を組んだ。
「買う気ねぇなら、うろちょろして触るなよ」
「……」
『レイリン、いくぞ』
呆気に取られたレイリンの手を再びハミエルが引いた。
人には裏と表があるの位、レイリンは知っている。けれど、レイリンはこんなに率直なものは見た事が無かった。
これはバザールの常で、気にする類のものでも無いと、彼女に教えてくれる者はいない。ただただコロリと態度を変えられて、レイリンは悲しくなった。
だって、笑顔だったのに。
「物を買わないって、冷たくされるのね」
体験した事の無い、ちょっと惨めな悲しさだった。
ハミエルは小首を傾げて、『いいからいくぞ』とレイリンを引っ張った。
ハティが引き返して来て文句を言うので、ちょっと拗ねながらも「こういう事があってね、酷いと思わなくって?」と彼の文句を押し込めつつ伝えると、彼は首を捻った。
『売りたい奴に買ってやらないんだから、しょうがない』
うろちょろされたって邪魔なだけだろう、と言うのだ。
レイリンはフードの下で頬を膨らます。
「でも、お客なのに」
『買わないなら客じゃない』
「……買うかもしれないわ」
レイリンにはそれが出来る。なんなら、あの店丸ごとだって。
『買わないってお前は言っちまった。客扱いされたかったら、そうやって買えるフリくらいしろよ。あいつらは毎日飽きるほどあそこでなんか買われるのを待ってるんだ。誰が好き好んで「見てるだけ」を宣言した奴なんか相手すんだよ』
「でも誠意って大事じゃなくて?」
『だったら駆け引き位してやれよ。自分の腕不足で売れなかったと思えばあいつらも「またどうぞ」って言うさ』
「無償の笑顔が次の機会を生むと思うわ」
『お前なんかに? 無償の笑顔? ハハッ!』
「と、取りあえずもうあの店には二度と行かないわ」
高慢ちき、と憎たらしく言った後、ハティはひょいひょいと人ごみを歩いて行く。
「……なによ」
『レイリン、いこ』
むくれながらも、ハミエルに手を引かれ付いて行くと、よかった、今度はテーブルも椅子もある小ざっぱりした店にハティは入って行った。
店に入ると、昼のごった返しに一息ついた店員が少々くたびれた感じで席に案内してくれた。
メニュー表があったのでレイリンは喜んだ。
ワクワクして二つ折りのメニュー表を開けば、ソーセージ以外のメニューもあって、嬉々としてデザート欄を覗き込んでいると、ハティもハミエルも何の迷いも無く即座にソーセージを頼んだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい……」
『早くしろよ~、ソーセージでいいだろ』
『レイリン、ゆでたやつだぞ』
「え、ええ。ソーセージはもういいの……」
『後で分けろとか言うなよ』
「い、言いません! フルーツ・パイをお願い」
三人でゴチャゴチャ注文をして、店員が行ってしまうとレイリンはメニュー表を再び眺めた。
名前を憶えておいて、家に帰ったら作ってもらおうと思ったのだ。
でもすぐに、「帰る?」と疑問符を頭に浮かべた。
ハミエルは「傍にいる」と言った。けれど、どうやって? 出会った時の様な子供の姿のままで、自分の宮殿にずっと一緒に?
―――うちは封魔師―――。
―――それから、ライラさんとは……?
レイリンはライラを必ず助け出せる気がしていた。だって、この不思議な二人がいるから。
ライラを助けた後、ハミエルは彼女の傍を離れるのだろうか?
あんなに必死で助けに行こうとしている人から?
自分なんかとの強引な約束の為に?
それとも、自分もライラと一緒に何処かへ行けば良いのだろうか?
そんな事は無理だ。と、レイリンは思う。
バザールを出歩いただけで、自分の箱入りっぷりがわかる。
何もかもが物珍しく、何もかもが眩しい。けれど、それだけじゃないと思うくらいは、レイリンにも出来た。
心のとても見やすい場所に、柔らかなベッドの中で眠る今夜の自分が見える。
何処かへ行く?
今夜、既に家のベッドで眠る算段をしていると言うのに?
注文したものがテーブルに運ばれて来る。
茹でたてのソーセージが山盛りになった大皿が、湯気を立てながらドンと置かれ、ハミエルもハティも素手で掴んでガツガツ食べた。
お昼の時間と外れていたので、人が少ないのが幸いだった。
レイリンはボンヤリとしてフルーツ・パイにフォークを入れる。
パイ生地が見た目とは裏腹にフォークで突く度簡単に脆く崩れ、ボロボロになっていく。
儚さを、煮詰められた果実の甘味と共に惜しんだ。
* * * * * *
我儘を叶えて。
全部をなんとかしたいの。
どこをどう入れ替えて、どこをどう付け足したら……。
解らない。
誰か私の納得する未来を下さい。