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心痛のち心痛

 踊っている。

 嬌声と口笛と、何かが割れる音。

 音楽家たちが、右から、左から、身体の動きに指図する。

 けぶるランプが、昼間にサボった仕返しに所々斑点を光の中に描く。

 ボロのステージは、ステップの度にミシミシ揺れて。

 腰を捻って回せば心も回る。

 何が可笑しいのか、わからないけれど楽しくて、自分が若い娘である事が、誇らしくて。

 安い香油にてからせた四肢を、蠢かす。

 跳んで、回って、笑って。

 そこに音なんて無くなるくらいに。

 この後に始まる、貴女のステージを完璧にするの。

 貴女から射す影の後ろで、歌う為に。

 光が満ちて、ステージを見やれば、貴女が私に振り返っている。

 私は期待を込めて手を振った。

貴女も、いつものちょっと高飛車な笑顔で手を振った。

 それから、ふいと前を向いて、ステージから飛び降りた。

 客席の消えた真っ暗闇の中へ。



「―――――――っ!?」


 夢から引き連れて来た驚きに身体を跳ねさせた途端、背中に走った痛みにダイアナは声にならない声を上げた。


「あああ……っ」


 何度目かの呻きに微かに声を上げれば、乾いた喉に空気が絡まって咽せ、また背中に痛みが走る。

 くぅ、と歯を食いしばって、ようやく知らない部屋に自分が寝かされている事に気が付いた。

 広い部屋で、自分の横になってる寝台の真横に大きな扉窓がある。反対の脇のテーブルには、たっぷり油の入ったランプが、小さな火を灯している。その横には水差しとグラスが、灯を反射している。

 彼女は大きな青い眼玉をグルグル動かして、橙色の薄闇の中を観察しながら縮こまった。


……どこなの?


 喉が痛い。何か乾いた棘のあるものが、しつこく絡みついている感覚に、ダイアナは何とか水差しの水が飲めないか試みた。

 背中が痛くて、老婆よりもゆっくりと、慎重に、痛みに怯えながら身体の向きを変える。それだけするのに随分時間が掛かって厭になったけれど、もう後には引けない事に気付く。多分、今諦めて身体を元に戻したら、もう根気は残っていないだろう。

 

 えいクソ、進むしかない。

 

 ダイアナはそろそろと脇のテーブルに手を伸ばす。彼女が回復した後自分で飲める様に、と見込まれた距離だったが、まだ回復していないダイアナには遠い。

 もういいや、要らない、と心で癇癪を起しつつ、後に引けなくて、ダイアナは唇を噛んで唸った。すると勢いが付いて、手が水差しの取っ手に触れた。

 指で何度も取っ手の表面をなぞっている内、向きが少し変わって指先に引っ掛かった。そろそろと傍に寄せ、手に掴む。

 持ち上げようとした途端、親切にたっぷり水の入れられた水差しの重みに背中が突っ張り、その痛みに動揺して水差しを床に落としてしまった。

 ガシャン、と静かな室内に派手な音が響き渡った。


 あー、も~~っ!


 ダイアナは、へたりと身体の力を失い寝台のシーツに横顔を落とすと目を閉じた。


「大丈夫ですか!?」


 女の慌てた声と、慌しくドアの開く音に、ダイアナは更にシーツに顔を埋める。


「気が付かれたのですね? ……あら」


 シンプルで上品なワンピースに、エプロンを着けた女がしずしずとした足取りで部屋に入り、ダイアナの突っ伏しているベッドに歩み寄った。ダイアナは見なかったけれど、床で割れた水差しを女が見つけた気配はした。


「ご、ごめんなさい」

「いえ、お気になさらず。破片でお怪我などはされませんでしたか?」

「ううん、大丈夫……」

「直ぐに片づけて、新しいものを。誰か、手伝って頂戴!」


 彼女がドアの外へ声をかけると、「はい」と別の女の声がして、足音が部屋に入って来る。


「新しい水差しをお持ちして。あと、カイン様にご報告を」

「分かりました」


 ゲホ、とダイアナは咳込んで背中に走る痛みに唇を噛んだ。


「カ、カイン……? カイン様って……」


 女がダイアナに手を貸し、ゆっくりと仰向けにしてくれた。

 少し年かさの女で、ピリッとした厳しめの雰囲気を持っている。でも、ダイアナへの接し方は柔らかかった。


「ここの主ですよ。昨夜貴女をここへ連れて来られたのです」

「……」


 昨夜。

 ダイアナはハッとして、今まで自分がどれだけぼんやりしていたか気付いた。扉窓を見る。分厚いカーテンが掛かっていて、時間帯が判らない。


「今は夜? 朝?」


 青ざめて聞けば、女は微笑んで「明け方です」と答えた。それからダイアナの身体に肌触りの良い布を掛け直し、寝台脇の惨事を片づけにかかった。


「セイレーンの審判は……」


 ダイアナが青ざめて呟くと、


「ああ。今夜です。カイン様は昼前にお出かけになられますので、それまでに貴女の目が覚めてようございました。気にしておられましたから」


 彼女は、ダイアナが早くに気が付いた事を喜んでいるわけでは無い。

主が何かに思い煩い、仕事に集中出来なくなっては大変だ、と思っていた。仕事の内容はなんだって良い。ただ、自分の麗しい主が実力を発揮出来れば、それによって、益々評価が上がればそれで良いのだった。


「……今夜……」


 まだ間に合う。……何が? ……もう無理。

 ……私に何が出来るの?


 水差しを持って、誰かが入って来た。水差しの破片を片づける女と同じワンピースにエプロンを来た、少し若い女。ワンピースとエプロンは、どうやら彼女達の制服の様だった。

 ダイアナは水を断って目を閉じた。

 

 どうしたらいい? どうしたら?


 閉じた瞼の端から、涙が溢れ出る。背中が痛い。でもそれ以上に、乱れた心臓の激しい動きで胸が痛い。

 夢で見た、真っ暗闇へ落ちて行くライラ。手を伸ばしたら、捕まえられた? この驚きは何だろう? 状況は理解出来ているつもりだ。でも、「嘘だ、本当に?」「これは現実なの?」と驚いている。

 ライラを失う事に。


「気が付いたか」


 新たに部屋へ入って来た声に、ダイアナは身じろぎした。

 ギシギシする腕を何とか動かし、手で顔を覆う。

 泣いてるのなんか、見られたく無かった。

 でも、これだけは言わなくてはならない。


「審判を止めて」


 顔を手で覆っているから、床にぶちまけられた水を拭いている女が、ピク、と肩を強張らせたのにも、水差しを寝台脇のテーブルに置いて、グラスに割れた破片が入っていないか調べていた女がパッと彼女の方を見たのにも、ダイアナは気づかない。


「ライラを助けて」


 自分はなんて情けない声を出すのだろう。この人の前で美しい声で歌えれば良いのに。でも、そんな事出来やしない。乾いた喉とボロみたいな心から絞った泣き声を出すのが精いっぱい。

 ガラガラの泣き声は、オカマのウソ泣きみたい。でも、ライラを助けて貰えるなら、どう見えて、どう聴こえたって……平気。


「助けて」


 シン、と静まり少し緊迫した空気が張りつめた部屋で、カインが鼻息を吐いた。


「この娘と二人にさせてくれ」



 世話係の女達は、殊更ゆっくり仕事にキリを付け、寝台の脇にカインが座れるように椅子を置くと、後ろ髪引かれている様子で部屋を後にした。

 カインは椅子に座り、新しく用意された水差しを手に取りグラスに水を注いだ。


「水を飲むか」


 カインがそう言うと、彼女は首を振った。


「ライラを助けて……」


 しわがれて悲痛な声だった。自分に唾を吐き、真っ向から睨み返して来た女じゃないみたいだった。

 セイレーン狩りで、誰かがこんな風に何処かで泣くだろうというのは予想も理解も出来たカインだが、いざ生々しく突き付けられればやはり苦痛だ。

 それでも、彼は首を横に振らなければならない。

 彼は妖魔をこの世から消し去りたい。

 

「出来ない。声が枯れているぞ。水を飲め」

「ライラを助けて!」

 

 グラスを勧めたカインの手が、パンと音を立てて払われた。

 グラスはダイアナの足元に落ち、中身がシーツを濡らした。

 強い動きをしたせいで呻くダイアナの身体を、カインはそっと起こし、「出来ない」と静かに言った。


「親友なの……助けて」


 乱れた髪が顔に被さって、濡れている。

 支えた腕に、熱すぎる彼女の身体の熱が伝わって来て、カインは眉をしかめる。

 すまない、と言い掛けて止めた。

 謝るのは、まだだと思った。そうするのは「ライラ」が死んだ時だ、と。


 もしかしたら、セイレーンなのかも知れないのだから。


 こんな風に、冷静さと盲目の間に彼はいる。いっそ狂気に狂ってしまえれば楽だろうと、彼は思う。狂ってしまえば、悲劇に肩を震わし傷ついた少女を目の前にしても、こんな気持ちになったりしないだろう、と。


「向こうも」

「……?」

「向こうもそう言っていた」


 墓穴。

 やっと出せた言葉で、ますますダイアナを苦しめる。

 ダイアナは呻いて泣き、呼吸も出来ずに喘いでいる。

 なんて言えば良いのだろう?


 「落ち着け」? ……否、どの口が……。


「ライラ、ライラ、ライラ……」

「すまない」


 結局、謝った。


「謝るんなら、かえ、返して……!」


 カインは顔をしかめて見せ、それだけは無理だと首を振った。

 ダイアナが、自分の腕の支えから身体をずらし、両腕を伸ばした。

 何を、と思っていると、彼女の震える両手が首に絡みついた。

 彼は冷たい瞳で、ダイアナを見た。

彼女は額から、痛みの為だろう、脂汗を流して彼を睨んでいる。顔は真っ青なのに、表情は燃えている様だ。死人の様に表情の無いカインの顔を映す大きな青い目が、彼を雫に変えてボロボロ落として行く。

 ブルブル震える手に首を絞められたところで、何でも無い。カインは鼻息を吐いて、彼女の両腕を掴み、首を絞めるのを他愛も無く止めさせた。


「俺を殺しても、審判は行われる」

「……貴方をめっちゃくちゃにしてやりたい……!」

「おい、あまり暴れるな。傷に障る」

「死ね! 死んじまえ!」


 悲しみや苦しみで溢れ返る時、目の前のもの全てを壊したくなる。カインにはその気持ちが分かる。分かるから、彼女を抑え付けた。

「ああ!」と痛みに呻く彼女に、容赦はしなかった。

 彼女を今後慰めるのは、冷静さだ、と彼は思ったのだった。

 そのまま、息を荒げる彼女が落ち着くまで、カインは長い事待った。怒りや悲しみによる抵抗が諦めの色を見せ始め、ダイアナの泣き濡れた頬の上を大きな雫が更に濡らして消えた頃、彼は何か会話があった方が良いかも知れない、と彼らしくない様で彼らしい余計な考えを起こした。


「……どうして昨夜、俺を庇った? あの時俺が斬られていれば」


 そう言ってカインは口を噤む。「別の道があったかもしれないのに」などと言って悔しがらせるのは、良くないと思ったのだ。

 しかし意外にもその言葉を聞いたダイアナは、弱々しくニヤリとして、カインがずっと捕えている両腕から力を抜いた。


「ふ、ふふ……ふふふ……。……。……。手を離せよ。誰が貴方なんか庇うもんか」

「……」

「ちょっと、飛び出しちゃっただけ」

「……」


 なぁに、とダイアナが急に声色を変えた。

掠れて醜い声だったけれど、調子の反転にカインは彼女が自分の頬を両手で挟むのを許してしまった。


「自惚れてんの?」

「そうじゃない。嫌われているのは知っている」


 だから不思議だったんだ。

 なんでそんな顔してるんだ? 顔が赤い気がする。やはり熱が出て来たか……。暴れさせ過ぎた……。


「そうだよ。貴方なんか嫌い」

「……」

「……ねぇ、でも貴方はテントで私が欲しかったデショ?」


 何を言って来るのかと思えば。やはり酒場で働いていただけあって、そういう目線や空気はお見通しなのか、とカインは彼女になのか、自分になのかハッキリしないまま呆れた。


「否定はしない」


 かかか、とダイアナが空笑いをした。咳込む。カインが水を差し出すと、ようやく受け取った。本当に、ようやく、だ。

 ひとしきり水を飲む彼女を眺めた。

 泣いてむくんだ顔は、小さくて白い。金色の髪が、それを覆って乱れている。大きな青い瞳は、半分程開かない様だった。それでも、綺麗な女だと彼は認めた。長旅の最中に欲しがったとしても、恥にはならないだろう、と。


「じゃあ、私を好きにして良いって言ったら、お願い聞いてくれる?」

 

 挑発と言うよりかは、再び悲しみの淵に舞い戻って懇願する様に、彼女が言った。

 無理なのは分かっているだろうに。

 

 カインは胸が痛い。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  



 医者が、背中の傷は残ると言った。



 聞いてやりたいよ。

 からかった男だ。

 手を上げられた男だ。

 親友を奪う男だ。

 プライドを知っているあんたにとって、それは屈辱だろう。

 何も差し出さなくたって、聞いてやりたい。


 すまない。

 

 

*  *  *  *  *  *  * *  * 


 息を殺してるの、バレないと良い。

 ライラの為なの。

 ライラの為に、私は言ったのよ。

 何もかも、痛い。

 誰か、私を滅茶苦茶にして。



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