恋は十割増し
紺色のモヤが晴れると、ハミエルの姿は跡形も無く、一人の男が屈辱的な表情で立っていた。
レイリンは「好み」を公開されて恥ずかしさに顔を赤らめつつ、ハミエルの化けた男をしげしげと見た。
「お、お兄様……?」
『うわぁぁぁ~、いやだっいやだーっ』
男は顔を両手で抑えて悶えている。声までそっくりだった。ちゃんと服を着ていて、彼女の好きな柔らかそうな猫毛も再現されていたし、瞳だって茶色い。でも、レイリンは目の前に現れた男に違和感を覚えていた。
『初めてにしてはうまいぞ!』
元を知らないハティは、後輩の出来の良さに嬉しげだ。
レイリンも、違和感に引っ掛かりながら、ハミエルに見惚れた。
―――お兄様だわ! 形の良い眉も、スッと通った鼻筋も、凛々しいキリッとした茶色い瞳も、引き締まった口元も……。
彼女の目に見えているものは正解だったが、事実では無かった。
そこにいたのは、レイリンの恋心の中で美男子と化したアシュレイだった。所々特徴を残しているので、物凄い違和感を放っている。
ちなみに、服はレイリンの記憶に新しい、何処かの舞踏会の時にアシュレイが着た王子サマの様なマント付きの礼装だった。
その時本物のアシュレイは完全に服に負けていたが、このアシュレイには立派な制服が、ちゃんと彼に服従している。
世界の理を捻じ曲げたかの様な人物が誕生したが、ハミエルは自分で自分を見れないし、ハティはアシュレイを知らないし、レイリンは正解だと思っているので、指摘する者は誰もいない混沌。
ハミエルが頭(狼の耳が生えていて、レイリンは失神しそうな位密かに萌えた)を抱えてハティに縋る様に聞いた。
『うわぁぁぁぁ……。どうやってもどる?』
「え、戻ってしまうの? とても上手く化けているのに」
『戻ろうと「思え」ば戻れる』
化ける時同様、ハティは随分簡単に言う。
美男子のアシュレイがブンブン首を振った。
『そうしてる!』
『何? おかしいな』
『う~ん、う~ん……』
ハミレイ(ハミエル+アシュレイ)は苦し気に唸って元に戻ろうと試みている様子だが、全然だった。
『できない……』
キュン、と声を上げるので、レイリンまでキュンとなってしまう。
「い、いいじゃないの? そのままでいらっしゃいよ」
レイリンの目はマジだ。
『やだ!』
再びうんうん唸るハミレイを眺め見て、ハティが顎に手を添えて首を傾げた。
『おかしいな……まさか……。オイ娘、お前、コイツとどんな関係だ』
「え……? きょ、兄妹ですが……なにか?」
それだ、とハティが両手を打った。
『悪ぃ、悲恋のヤツに化けると、戻れなくなるんだ』
海辺で、立派な礼服を着た美男子が、キャインと吠えた。
*
『どうしてもか』
と、ハミレイが膝を抱えて恨みがましくハティを睨んだ。
ハティはバツが悪そうにニヤッとした。
『ああ、でもコイツの胸が破れれば大丈夫だ』
酷い事を言う。
『レイリン、おまえのあにき、へんたいだよ』
レイリンから見たら、自分で自分を変態呼ばわりするアシュレイにしか見えないので、彼女は憤慨した。
「酷いわ、お兄様に何てこと言わせるの? お兄様はそんなのじゃなくってよ!」
『めをさませ』
ハミレイがレイリンの両腕を掴んで揺さぶった。
レイリンは彼が本物じゃ無い、ハミエルだ、と分かっている分、隠す事なく頬を染めた。
『あかく、なるな!』
「だ、だって……、もうっ、は、放してくださる……?」
『駄目だハミエル、余計想いが強くなってるぞ!』
『くそ! どうしたらいいんだ』
唇を噛みしめてハミレイは唸った。
ハティは肩を竦めて
『ま、ガキだし直ぐに心変わりするさ!』
「ま、なんて言い方するのかしら!?」
レイリンは怒ったが、ハティは「ふん」と鼻で笑った。
『それより、街へ行こうぜ! ほら、耳隠せよ! ソーセージの美味い店知ってるんだ』
フェンリルは総じてソーセージ好きなのか、それともハティとハミエルだけなのか、定かでは無いけれど、ハミエルは「ソーセージ」と聞いてピンと耳を立てた。
『ほんと?』
『ああ、そうだな……その首に巻いてる布を頭に巻いて……』
ハティが、ハミレイの首に巻かれたアスコットタイをしゅるりと解き、レイリンに放った。上手く出来ないからやれ、と言う。
レイリンだって、召使いたちにおんぶに抱っこで生きて来たので、どうすればいいかサッパリ解らない。
しょうがないので、スカーフの様に広げて頭に被せ、顎の所で端と端をリボン結びした。
本物がやったら笑いがとれるところだ。
ハミレイは美男子なので、「ア……最近のオシャレはこうなんだ……」というレベルに見えなくも無い。肝心なのは、本人が如何に堂々とするかなのだ。
その点、ハミレイは問題無かった。
問題なのはズボンの尻だった。
美男子のズボンの尻がパンパンだった。
「え、ウソ、あの人……?」と思われてもしょうがない姿だったが、先ほどのハティの股間問題の時みたいになるのがイヤで、レイリンはあえて指摘しなかった。
―――マントで隠れるもの……。風が吹かなければ、大丈夫。
『レイリン、いこ』
「駄目よ。抜け出して来ちゃったのだもの……。家の者がきっと心配して探しているわ。……ここで待っているわ」
ひょい、と兄の姿をしたハミエルが屈んでレイリンの顔を覗き込んだ。
『かえりたい?』
レイリンは頬を赤らめて、黙って首を振った。
「ハミエルといるわ。……ライラさんを助けたいの」
『かえっても、いい』
邪魔だから、と顔に書かれている様な気がして、レイリンはパッと顔を背けた。
「帰らないわ。約束したでしょう? 貴方はずっと私の傍にいなくては駄目」
『なら、レイリンも、こい』
「……え。でも、この恰好では……」
ハミエルはマントを取って、レイリンの頭に被せた。
『ひとり、あぶない』
レイリンはマントをギュッ、とドキドキする胸の前で掻き寄せて、頷いた。
「……わかったわ。ねぇ、ハティさん、ハミエルはこのままでも飛べるの?」
『飛べないし、飛んだら変だろ?』
「変身する時点で変よ。それなら、もしも街で危なくなったら、私たちを助けて下さるの?」
『何も起こりゃしねぇよ。でも、ま、そのつもりだ』
「絶対ですことよ」
股間ぱんぱんの美少年と、ズボンの尻がパンパンの美青年と、マントを深く被った美少女の珍妙な三人組が、ちぐはぐしながら街へと歩いて行った。
* * * * *
ママ、僕見たんだよ。
うん、うん……朝の仕事をサボってごめんなさい。
でも、皆と『審判』の杭を見に行ったんだ。
……ごめんなさい。でも、イヤだっていうとサ、意気地無しって呼ばれちゃうんだ! わかってよ。
ねぇ、ねぇ、それでねママ、聞いてったら!
……あのね、僕達より先に人が三人いたんだ。
三人はね、とってもおかしなカッコしてた。
うん……うん。大丈夫だよ。怪しい人には近づかない。守ってるよ。
でもね、聞いてよ、足跡だよ!
あのね、波打ち際から、街の方へ続く足跡が、一人分しかなかったんだ!
だからね……夕方、また夕方、皆と見に行ってもいいかい?
あ、待ってよママ!
ごめんなさい。
お昼ご飯、抜かないで!
だってだって、皆に意気地無しって言われちゃうんだ!
イタタ……ウソじゃないよ。
本当に、一人分の足跡しか無かったんだってば……。




