ハティの提案
「ちんこ」は広辞苑に載っています。
海辺に杭が打ち込まれている。
水から突き出す長い杭の幾つかには、何か繊維がくっついていたり、海藻が絡みついていて、レイリンはもし自分がそこに張り付けられたら、と思うとゾッと身震いした。
噂で聞いていただけだった。
始まったばかりの『セイレーンを捕まえる』という国の計画に、妖魔が世界からいなくなるならいいじゃないか、なんて心の端で他人ごとに思っていた。
でも、実際目にすると、とても恐ろしい事の様な気がした。
そして今までの自分の感覚に空恐ろしさを感じた。
『で、どうする?』
ハミエルは目の前の寂しい光景に目を細めて、ハティに聞いた。
ハティはハミエル達をその場の見える場所へ連れて来たにも関わらず、そこから背を向けると、ぴょんと岩の高い所から砂浜へ飛び降り、「待て」と言った。
ハミエルはもどかし気だ。
ライラがあの杭のどれかに括られるなど、想像するだけで虫唾が走るのだろう。レイリンだって、そんな事耐えられない。
『まってられない』
『でも待つんだ。どうせ海岸に皆出て来る。人間達を杭に縛り付けたら、潮が満ちる。そうしたら、見張りも手出しは出来ないさ』
溺れる寸前で、飛んで行って助ければ良い。ハティはそう言った。
レイリンも、その方が良いと思った。城に乗り込むのは危険すぎる。彼女は封魔師にハミエルが封魔されてしまうのは嫌だった。
『それにしても、お前の半身は力が無いのか?』
『……』
ハミエルはハティの質問には答えず、城を眺めている。
レイリンは彼の首をそっと撫でた。
「ハミエル、大丈夫。きっと取り戻せるわ」
励ましつつも、そう出来た時を思うと胸が痛い。
ハミエルはぐるると唸って項垂れた。
『まつ……』
『そうだ、それが一番良い』
『……』
ハティが砂浜の乾いたところに寝そべった。
ハミエルは少し彼から距離を置いて、岩陰にお座りをした。
レイリンも、ハミエルの横に座り込んだ。
とても気詰まりだった。
夜までこんなナイトドレスで、潮風に吹かれながら待つ? レイリンは孤独には慣れていたけれど、退屈には慣れていない。
気を紛らわす楽器か何かあればいいのに。
それに……。
ぐぅ、と誰かのお腹が鳴った。
レイリンが慌ててお腹を抑え二匹を見ると、二匹も身に覚えがあるのか、渋面を作っている。どうやら、鳴ったのはレイリンのお腹だけじゃないみたいだ。
『……腹減った』
『……おれも』
ハティがレイリンを見て、ペロリと舌なめずりした。
『そいつ、いつ喰うの?』
「……えっ!?」
『俺がいるから、遠慮してんだろ? それとも、分け前ケチってる?』
腕一本でも良いぜ、とハティがグルグル言って、ニヤニヤした。
『レイリン、ともだち』
食べない、と言った風にハミエルが首を振ると、ハティは残念そうな顔をした。
『なんだ。それにしても……特別な力でもある人間なのか?』
『ない。でもやくそくした』
『……変な奴。ま、いいや。何か食べに行かねぇ? 暇だし』
『でも、おれにんげんたべない』
「そ、そうよっ、それに、狩りは危険なんでしょう?!」
不穏さに慌ててレイリンも口を挟んだ。目の前で人間を襲って食べられたら堪らない。それに、ハミエルのそんなところを絶対に見たく無かった。レイリンの中で、ハミエルはビスケットを美味しそうに食べておねだりした可愛いハミエルでいて欲しいのだ。
『狩りなんてしない。ちゃんと人間の街で、買い物する』
「へ……? お買い物? ……でも、でも」
ハティの突拍子の無い言葉に、レイリンはあたふたと二匹を見比べた。ハティは小さな狼だ。今までのハミエルの様に、狼とか犬で通るかもしれない。でも、ハミエルは……大きすぎる。街なんかをウロウロしたら、封魔師が何人も駆けつける事だろう。
それに、珍しい妖魔には封魔師が目の色を変える事も、レイリンは良く知っている。
小さく戻ったとしても……狼の子供二匹で買い物なんて! ……か、可愛いじゃない……。
いやいや、それより、自分。
ナザール家の令嬢が、ひらひらのナイトドレスで昼前の街を出歩けるワケが無い!
レイリンの混乱を他所に、ハティが黒く光り、ジワリと液体の様に形を変えた。
「……あら」
目の前に、自分と同じくらいの銀髪の男の子が立っていた。濃くて冷たい鉛色の瞳は大きく、鋭く吊り上がっている。ツンとした印象が、狼の時の彼を思わせた。
とても綺麗な男の子だった。
レイリンの胸が、思わず甘く疼いても、しょうがない程に。
彼は不思議な事に、ちゃんと服も来ている。とても簡素だったけれど、レイリンが手で顔を覆う羽目にはならなかった。
ハティは服のポケットから、手袋まで出した。一体どうなっているのか、もはやサッパリ解らない。
『ホラ、手を見られると人間にビビられるから』
そう言って野性味溢れる尖った爪を見せた後、ハティは手袋をはめて、頭から突き出した耳をピンピンと動かした。
「そ、それ、一番問題なんじゃなくって?」
『帽子で隠す』
手袋を取り出したのとは逆のポケットに手を突っ込んで、クタクタのキャスケット帽を取り出すと、ポンと頭に被せニッ、と笑った。
これで、ただの美少年だ。……と、言いたいところだが……。
「な、なんか、その……それはあの……尻尾よね?」
彼女はハティのパンパンに膨らんだ股間部分を指差して、口ごもりながら聞いた。聞かずにいられないパンパン具合だったのだ。
『そうだ』
「そ、そうよね。でも……」
『なんだよ、ハッキリ言え』
「……」
レイリンがモゴモゴしていると、ハミエルがハッキリ言った。
『ちんこ』
『は?』
『レイリンは、ちんこにみえるって』
「いいいいい、言ってませんことよ!? 言ってません!!」
仮にも美少年の前で、そんな言葉が発せられるのはレイリンには耐え難い。自分は口にしていないのに、恥ずかしさで爆発しそうだった。
ハティは解せない様子でちょっと蟹股になり、股の間に手を入れて、何かを前に引き出す仕草をレイリンにして見せた。美少年なのに、ガッカリの仕草だった。
『ちんこじゃねぇよ。尻尾をこう、後ろから前にやってんだよ。見るか?』
「け、結構よ!!」
レイリンは憤慨して申し出を断ると、その問題にはもう絶対に目をやらないと心に誓った。
好奇の視線を集めるのはハティであって、自分では無い。
『お前も出来るか?』
ハティがレイリンの気持ちなんて全くほったらかしにして、ハミエルに言った。
これにはレイリンの胸が躍った。
ハミエルは一体、どんな男の子になるのだろう?
当のハミエルは首を傾げた。
『やりかた、しらない』
『片割れは出来るんだろ? お前だけ知らないのか?』
『しらない』
ハティがハミエルを訝し気に見た後、ふぅ、と息を吐いた。レイリンは自分の事を棚に上げて「生意気そうね」と少し目を細める。
『皆出来るとは限らねぇ。でも、出来ると面白いぞ。獲物を力でワッと捕えるのが俺らの基本だけど、化けた姿に油断し切った獲物をゆっくり味わうのも悪くない』
悪趣味、とレイリンは眉を潜める。
でも、妖魔らしいとも思う。
ハミエルと一緒で本当に良かった。もしもハミエルがいなかったら、自分なんてあっと言う間にこの性悪そうな狼に食べられてしまうに決まってる。―――もしかしたら、今だって油断できないのかも知れない。
ハティは説明を続ける。ハミエルがあまりフェンリルについて知らないのが、なんだか気持ち悪いのだ。しっかり教え込んでやらねばならない、と少しだけ前のめりになっている。
『化ける時は獲物の好みに化ける。やり易いから』
『どうやって?』
『獲物を見詰めれば良い。どんなに離れた所からだって、見詰めれば、自然とソイツの望む姿かたちになる。「こうなろう」とわざわざイメージするより楽だから、この方法を勧める。試しにこの娘でやってみろよ』
レイリンは「え」と声を上げて、ハミエルを見た。ハミエルは試す気満々の様で、レイリンを見詰めている。
難なくハミエルの身体が紺色に発光しだし、先ほどのハティと同じく、液体が揺らめく様に形を変え始めた。
『あ……げ』
とハミエルの声がした。彼はようやく気付いたらしい。
レイリンを見詰めたら、自分が誰を模してしまうかを。




