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全てうらはら

 ディアナは眉を潜めて空を見上げていた。

 今はもう、いつもの様にただただ四角いだけの、曇り空。先程の珍しい光景は夢の跡の様で、気配すら見えない。

 明らかに、フェンリルだった。彼女の大事なハティと同じ。

 そして、そのハティが現れた。滅多に会えない友達だ。こんなに短い間隔でここに現れたという事は、もしかしたら自分を見守ってくれているのかも知れない、と彼女は仄かに期待する。


―――それとも、見張っているのかしら? この、不穏さが立ち込めるカナロールの行く末を。

―――それにしても、あのフェンリル……何故ここに? 


 女の子を背に乗せていた。少し見覚えのある女の子だったけれど、遠目でハッキリしなかった。

 何かが起こっている。もしくは、起ころうとしている。


「皇女」


 後ろで低い声が掛かって、ディアナはハッとして振り返った。彼女の愛する庭にちっとも馴染まない人物が、いつの間にか立っていた。

 銀の仮面を顔につけ、長身に重そうなマントを羽織ったその人は、露出した薄い唇含め、何もかも無表情に見える。

 他の者なら気軽に接するのを躊躇いそうな薄暗さと威圧感がある男に、ディアナは警戒の色など見せず、心を許し切った表情で彼の元へ歩み寄った。


「レイヴィン……城にいるのに中々会えないから……」

「申し訳ありません」

「……どうしてわたくしを避けるの?」

「避けてなどおりませんよ」

「嘘。ではどうして同じ城の中にいて、こんなにも会えないのです?」


 本当に、二人がこうして顔を合わせるのは久しぶりだった。

ディアナは、彼と次に話が出来る機会が出来たら、「こんな事を話したり、聞いたりしよう」と精一杯楽しいものを考えていた。

 でも、思わず吐いて出たのは不平不満で、自分で自分に狼狽える。

 レイヴィンは静かに、でも明らかに心の裏で溜め息でも吐いている様だ。―――ディアナにはそう見えた。


「忙しいだけです。……セイレーンを見つけなくては……」

「……セイレーン……」

「今夜は『審判』です。皇女にも立ち会って頂きたい」

「……レイヴィン……」


 ディアナは悲し気な目で彼を見上げ、両手を組んだ。


「わ、わたくしが……反対なのを、ご存じでしょう?」

「皇女、政と割り切って下さい」


 どこか縋る声音の彼女を、無情にもレイヴィンはスッパリ切り離す。


「わたくしは……」


仮面の向こうから覗く夜闇色の瞳が、縮こまるディアナを捕え、苛立たし気に細まっている。


「非難する声に対し、貴女の御意思だという表明《パフォーマンス》が欲しい」


 その言葉に、ディアナは一瞬で蒼白になると、激しく首を振った。

 恐ろしい波に呑まれまいと、必死で抵抗する様に彼女は声を次第に荒げながら、レイヴィンに懇願する。


「わたくしの意思では無いわ! 貴方が……貴方とお父様が……レイヴィン! お願い。もう止めて欲しいの。わたくし、昨夜牢を見ました。妖魔なんていませんでした」

「牢に?」


 目を細め尋ねて来る彼に、「話はそこでは無い」と言いたげに彼女は首を振り、彼のマントの胸元に縋った。


「レイヴィン、レイヴィン! わたくしは見ました。集められた方たちは、恐怖に寄り添い合っていた。それなのに、自分だけが助かるのには躊躇していました! セイレーン? 妖魔? そんなもの、あの暗い牢にはいませんでした!」

「自分だけが、助かる……?」


 レイヴィンにグイッと両腕を掴まれて、ディアナはハッとした様に彼を見た。

悔しさに唇が震える。

 レイヴィンは、わたくしが伝えたい話の内容も気持ちも、一かけらすら拾ってくれない……。


「誰かを牢から出したのですか?」

「……いいえ」

「ですが、先ほど『自分だけが助かる』……」

「レイヴィン、」


 ディアナは彼の言葉を遮って、彼に掴まれた両腕をぶんと振った。彼の両手は、離れてはくれなかった。


「……いつから噛み合わなくなったのかしら?」

「そうですね。噛み合わせて下さい。牢から女を逃がしたりしたのですか?」

「……レイヴィン……」

「しましたか?」

「……していないわ……そんな事、わたくしが出来ない事、貴方知ってるわ……わたくしは……」

「―――そう。貴女は牢へ続く鍵すら手に入れられないでしょう」


 ディアナは図星に目尻を潤ませて、俯いて「そうです」と答えた。


「本当は……牢も見ていないの……」


 「くっ」と、頭上から噛み締めた笑いが聴こえ、ディアナは顔を赤くする。悔しい。悲しい。こんな風に、貴方に笑われるなんて。


「貴女と話していると、苛立ちます」


 彼はそう言って、ディアナの腕を放すと、黒い革の手袋をした手で、彼女の頬を撫でた。ディアナはとうとう泣き出して、彼の手を握った。


「どうしてそんな事を言うの……?」

「可愛いからです」

「レイヴィン……」


 レイヴィンが、空いている手で銀の仮面を取った。潤んで熱を持ったディアナの瞳に、全体の半分程焼け爛れた男の顔が映った。


「私はこんなに醜いのに」


 ディアナは首を振る。彼女は本当に、彼を醜いと思った事なんて無い。どんな姿であろうと、どんなに変わろうとも、彼女にとって彼は、ただただ―――。


「可愛い貴女をどうしようか……苛立ちます」


 唇が重なった。


 こんなものは、自分を宥める為のものだ、とディアナは分かっている。それでも抗う事は出来なくて、彼女は目を閉じる。彼の首に腕を回し、抱き上げられると、息を殺して彼が自分をどこかへ運ぶままに任せた。

 彼は連れて行ってくれる。

 そう、二人だけの場所……。

 

*    *    *    *    *    *  


 その度に、初めてそうした日が、どんどん遠くなる。

 その日も、悲しかったのだけれど。

 わたくしには悲しみが

 貴方には罪が

 重なる度に、どんどん、重なって行く。

 お話がしたいの……。

 ああ、でもどうしてでしょう。

 この時間だけが、どうしようもなく幸せです。


*  *  *  *  *  *  *


 離したくない。

 離したくない。

 離したくない。


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