邪悪なお祈り
ライラはハミエルをお供に街の中心にある役所へ向かった。
モスク(教会)と併設している場所にあるので、ライラにとってあまり好きではない場所だ。
モスクの神官も、役所のヤツらも、ライラを憐れむか蔑むかしかしない。
ライラが原因で若者がここへお世話になっているのがいい例で、ヤツらにとってライラやライラの世界に属する者たちは、可哀想なトラブルメーカーでしかないからだ。
ライラは神様に一言言ってやりたい気分だったので、まずモスクに寄り道をした。
街にしては大きなモスクの中に入るため、ライラは大きなスカーフを頭にかぶると、靴を脱いで裸足になった。
ハミエルは入ってはいけないので、靴脱ぎ場で「お座り」だ。
モスクの石の床は、ひんやりと冷たく、ツルツルしていて気持ちがいい。
堂に入って見上げれば、高いドーム型の天井から同心円状のランプが数多にぶら下がり、ひんやりと薄暗い朝の堂内に明かりを落としている。
早起きの暇人たちが、熱心にお祈りをしているのから少し離れた場所に落ち着くと、ライラは神様を見上げた。
チリーン、チリーンと乾いた余韻を残して鈴がゆっくり小さく鳴っている。
ライラたちの神様は、昔「天人」という神だか天使だかの書いた一文字だ。
単なる「A」とか「B」とかの意味を持たない一文字なのか、もしくは一文字の意味のある単語なのか、なんなのかは誰にも判らない。
司祭でさえも、徳のある上等なレベルで無いと、その意味を汲む事は難しいらしく、ましてやそれを説明する事は不可能に近い、との事。
なんでそれに拝むのか、ライラには判らないけれど、物心ついた時からそうなのだから、さして疑問には思わない。
だって、これが神様だって言われて来たんだから。
だから私は信じてアゲテル。
ほら、久しぶりだけど、上手にお祈り出来たじゃない?
でも、神様、一体どういう了見で、私たちを苛めるの?
ダイアナの筋張った手の震えた様を、ライラはギュッと目を閉じて脳裏から追いやった。
一晩や二晩では済まない。
味をしめた店主と客は、どの位私たちを酷使するだろうか?
歌は? とライラは思う。
もう、歌を聴きに来てはくれないだろう。
それよりも楽しい「餌」が撒かれるのだから…。
苦々しい気持ちで立ち上がりかけた時、彼女のすぐ後ろで、誰かがお祈りの為に座り込む気配がした。
なんとなくその人の祈り始めのタイミングに動くのを遠慮して、ライラは立ち上がらずに待った。
「神様〜、仏様〜…」
なんだか変なお祈りの切り出し方だ。
ホトケってなに?
「どうか僕にあの人をください〜〜〜」
「……」
「あの人がいい〜あの人がぁぁ〜めっちゃ好みめっちゃ…好み〜…笑った顔最高〜…」
なんだこれ。
「怒った顔もそそられました……ハイヒールを黙ってパクっちゃいました……でも返したくありません……出来ればもう片方も欲しいです……神様ハイヒールもください〜……」
ライラは身体が固まって動けない。
もしかしたらお祈りでは無くて何かの呪いでは、とライラの背に冷たい汗が伝った。
「あの人に僕の愛を届けてください〜…」
はぁぁ、と情けない溜息が後ろから聞こえる。
それから、諦めないぞ! という様な「フン!」と、少し思惑している様な「…フ〜ン…」。
ライラは思わず耳を澄ませる。
「…うぉ〜僕をもの凄い美形にして下さい〜…」
ライラはブッと吹き出してしまった。
熱心にお祈り? をしている彼に振り返る。
やっぱり。
昨夜の変な若者だった。
彼はきょとんとした顔をしてライラを見た。
ライラは笑って顔を隠していたスカーフを少し持ち上げて、目元を見せた。
「……あ。……え?」
若者は丸い垂れ目をもっと丸くし、唇を震わせると、両手を組んで天井を勢い良く仰ぎ見た。
天井のステンドグラスを通して、彼に一直線に日の光がさした。
「神様ありがとう〜…大事にします」
「……別に祈りは届いてないからね」
振り返らなければ良かった、とライラは後悔したのだった。
* * * * * * * * * * * * *
他の人たちに咳払いされ、ライラは居心地が悪くなって若者と一緒にモスクを出た。
その間に、役所に一晩お世話になってつい先ほど解放された事や、彼の名前を聞いた。
「アシュレイだよ。よろしく」
アシュレイは人懐っこく笑って、ライラに握手を求めた。
ライラは差し出された手を軽くはたいた。
初めて僕に触れてくれたね……。と言う様な感激の表情を浮かべて、アシュレイはライラの名前を知りたがった。
「ライラ」
素っ気なく答えると、アシュレイは「ライラ」「ライラ」と噛み締める様に呟いた。
「君にピッタリだね」
「どうも」
「あ、あのさ。僕、朝飯まだなんだ。い、一緒にどう?」
ライラはアシュレイを上から下までザッと見た。
膝までの長さの生成りのシャツに、二本のベルトを腰に引っかける様にして締めている。
今は脱いで腕に引っ掻けているロングジャケットは、くすんだモスグリーン。
でもこれらはあてにならない。
出来れば携帯武器を見たいけど、斜め掛けした鞄にでも入っているのか、物色出来ない。
ライラは履きこなした風の革のブーツに目を止める。
……あまり泥がついていない。
と、いうことは、留置場で靴磨きをする程綺麗好きか、馬車に乗れる、または馬を所有している。
ライラは微笑んで、首を傾げて見せた。
「オゴリ?」
「もちろんさ!」
アシュレイが顔を輝かせた。
……旅人の様だから、ご贔屓にはならないかも知れない。
だったら滞在している内に搾れるだけ搾ってやるわ。
ライラを見つけて弾ける様に駆けて来たハミエルに、目が合った途端無茶苦茶唸られているアシュレイを見ながら、ライラは寂し気に微笑んだ。