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血の制約②

 カインはアシュレイの顔色を見ていた。

 出来るか? 本当に? そう表情で問いかけるつもりで。それは捨て身の訴えだったかも知れないし、単なる挑発めいた気持ちだったかも知れない。

 アシュレイが目を見開いたのを見て、カインは薄く微笑んだ。だが、アシュレイの焦り交じりの驚きの表情は、カインの為のものでは無かった。

 ドン、と何か柔らかいものがカインにぶつかって来た。


「!?」


 カインの目の端で鮮血が飛んだ。

 捕えられた娘が、甲高い悲鳴を上げた。


「ダイアナ!! アシュレイ! 止めて止めて!! そいつを動かさないで!!」


 なんで、とカインは自分にぶつかって来た少女を見た。少女は彼の胴に腕を回し、服をギュッと握っている。その華奢な身体を包む服の背中が鋭く切り開かれ、剝き出しになった白い肌から血が溢れ出ている。「くぅ」と少女は呻いて、ズルズルと地面に膝を付いた。

 彼女が死んでいないという事は、アシュレイはやはり本気では無かった、とカインは驚きの片隅で思った。

 亡霊の騎士が、再び剣をふるった。


「!?」


 攻撃して来ただと!?


カインは少女を片手に庇いながら、その剣を受けた。刹那、アシュレイの身体がカッと赤黒く光り、彼の正面の虚空に血の色をした蛇が現れ、彼に鎌首を向け牙を剥いた。


―――制約が!!


「アッシュ!!」


 アシュレイは口の端をグッと上げて笑っていた。

 見れば、彼は黄金色にジワリと発光しながら封魔の構えを取っている。腰の辺りで手が不規則に揺れているのは、もう始まっている(・・・・・・)証拠だ。

 アシュレイが「血を蒸発させられる一瞬より早く、封魔を仕掛けたのだ」と判ると、カインは下唇を噛んだ。


 コイツ、また……!!


 血色の蛇とアシュレイが、妖魔と封魔師の間で行われる独特の力のせめぎ合いをしている。他者にはそれが、睨み合っている様に見える。その時の己の発光で照らし出されるアシュレイの顔は、まるで別人だ。カインは密かに本性はこちらだと思っている。

 その本性の顔で、アシュレイは嗤って何かを囁いた。カインはその唇の動きに目を見張る。


『待ってたよ』

『この時を』


 アシュレイ、お前、お前―――!!


「うおおおぉぉぉ!!」


 アシュレイが吼えた。彼から発する光が一際強く輝き、彼の足元から強い風が巻き起こる。中央から外側に駆けて円を描く様に旋回する風が、その場にいた皆を煽った。

 重い大剣でも抜く様に、アシュレイが腰から手を離し、とうとう血の色の蛇に向って腕を払った。

 血色の蛇は、アシュレイの腕が描く弧の中へ消えてしまった。

 カインは戦慄してアシュレイを見た。


「……血の制約を……!!」


 間も無くアシュレイは構える。彼の腰の『印』が、輝きながら不気味に脈動した。


「アッシュ!!」


 今度は通常の制約違反だ。アシュレイの『印』から、数多の妖魔が吹き出し、彼に牙を剥く。

 アシュレイは、薄ら笑ってそれらをも腕の一薙ぎで再び封魔してしまった。

 

「……!!」

 それは凄まじい光景だった。アシュレイがどれ程の妖魔を内に秘めていたのかを見て、カインは思わず後退った。

 アシュレイは流石に力を失くしてしまったのか、ガクリと両膝を地面に付いて、頭を空に仰向けると「はぁ」と苦し気な脱力の声を上げた。

 皆が固まって、彼を呆然と見ていた。

 アシュレイが、空を見上げたまま


「さぁ、これからだよ」と言った。


「観たよね? 僕はカナロールの制約を無視出来る。君たちを皆殺しにしてまた自分の妖魔に襲われたって、僕は跳ね返せる」

「……馬鹿な……次こそもう無理だ。わかるだろう」

「可能性が無い事を、僕は言わない」


 ヘタレだからね、とアシュレイは笑って、よろめきながら立ち上がった。


「さぁ、まずはその娘に触ってる奴を―――」


 アシュレイが言い終わる前に、彼の足元が小さく膨れ、そこから木の根がビュッと突き出し伸びて、彼の右肩を貫通した。


「アッシュ!」

「アシュレイ!?」


 それまでハミエルにしがみ付く様にして兄を見守っていたレイリンが、とうとう悲鳴を上げた。駆け寄ろうとして、ハミエルにスカートの端を噛んで引き止められる。そうなると、彼女は震える足を抑えられなくて、再びハミエルにしがみ付き、咽び泣いた。


 

 アシュレイは「ちっ」と舌打ちをして、苦痛に歪んだ顔を上げた。その視線の先に、いつの間に現れたのか新手の幾人かが見えた。

 ランプを傍にいる者に掲げさせ、先頭に悠然と立っていたのは、ロスタム・ナザール。



 彼の声は重たかった。


「どういう事だ、アシュレイ」


 良く通り大きい彼の声は、ライラの苦手な類のものだった。

 アシュレイは彼の詰問に答えず、傷の痛みに呻いた。

 ロスタムはそれに心を動かされた様子など、微塵も見せなかった。


「何故、家の庭で争っている」

「随分早いお帰り……で……」

「早く片付けば早く帰るに決まっている。これはどういう事なのか」


 ロスタムは今度はカインを睨み付けた。


「我が屋敷へ入り込んだ歌子を連れに来たそうだな」

「はい」

「何故サッサと連れて行かない? 何をやっているんだ」


 カインは気まずい気持ちでアシュレイを見た。庇ってやりたい気持ち反面、彼を強く罰したい気持ち反面……。とにかく、この追い風に乗りたいと彼は考えた。


「アシュレイが反発しました」

「君は何故<セイレーンの矢>を任されているんだ? 人の屋敷の庭を荒らすしか出来ないなら、サッサと任を誰かに譲るが良い。そもそも、君には向いておらんよ。ああいうのはな、こやつの様な狸にやらせた方が良い」


 言いながら、身動き出来ないアシュレイの横顔を殴りつけ、ロスタムは苛立たし気にカインを急き立てた。


「何をしている、サンドを持っていないのか? 眠らせれば早い」


 アシュレイが唸り、妖魔を呼び出そうとしたのを見逃さず、ロスタムは再びアシュレイの横っ面を強く張った。余りに強く張られて、アシュレイは気絶し、ぐたりと身体の力を失った。それと同時に彼を捕えていた木の根が消えて、血が吹き出した。ライラが悲鳴を上げて、彼の名を呼んだ。


「アシュレイ!!」

「連れて行け」


 こんな簡単な事を、とでも言いたげに、ロスタムはカインに指図すると、近くにいた者に「医者を」と吐き捨てる様に言った。

命じられた男達がアシュレイを担いで連れて行くのを見届けもせずに、今度はレイリンの傍へ行き彼女の腕を強引に引く。


「お父様……お父様!」

「屋敷へ戻りなさい」


 非難の声を上げるレイリンの顔を見ずに、ロスタムは彼女の腕を引く。

 ふと、カインの横でぐったりと倒れているダイアナに目を留めた。


「二人か」


 反抗的な気持ちを押さえつけていたカインは、思わずロスタムの視線を遮る様に、ダイアナの前に立った。


「いえ、彼女は巻き込まれただけです」

「何でも良い、それも連れて行け」


 レイリンがカインを懇願する様に見た。


「お願い、ライラさんを連れて行かないで」

「レイリン! 歌子と関わったのか」

「お兄様が連れていらっしゃったの。妖魔などではありません」

 

 ロスタムが顔を歪めた。


「……次から次へと……俺に恥を……!! 早く連れて行け! この事は他言してくれるなよ。それにしてもなんだ!? アレは犬か? 煩すぎる」


 唸りまくっているハミエルをロスタムが睨み付けた。

 ハミエルは牙を剥いて、無茶苦茶に唸り、鎖をガチャガチャ鳴らしていた。


「もう今日は遅い。明日にでも誰か処分しろ」

「お父様!」

「来なさい、レイリン」


 イヤですイヤです! と悲鳴の様な泣き声を上げながら、レイリンはロスタムに引きずられる様に連れて行かれ、後に残ったカインはダイアナを抱き上げて、ライラを一連の流れの中でもしっかりと捕まえていた優秀な部下に頷いた。


「は、離して!!」

「連れて行け」

「ダイアナは!? ダイアナをどうするの!?」


 カインは腕に抱いた少女をチラリと見た。

 

 やはり、名を偽っていたのか……。


「保護する。悪い様にはしまいよ」


 ライラはそれを聞いて、小刻みに頷くと「絶対だよ」と唸る様に念を押した。


「……お願い! 最後に顔を見せて……親友なの」


 親友か……。


 カインは胸に冷たく重たいものを感じながら、薄く笑った。冷たい冬の、銀色の月を思わせる、そんな笑みだった。


「いいだろう」



 ライラは両手を後ろで縛られながら、カインに抱かれてぐったりとするダイアナの青い顔を覗き込んだ。


「傷は浅い。死にはしない」

「……ダイアナ……さよなら……」


 カインの言葉に安心しながら、ライラは涙を零した。


 結局、こうなっちゃったね。

 皆がんばったのに。

 あたしが最初から連れて行かれていたら……。

 そうしたら、こんなコト起こらなかったのに。

 

「行くぞ。誰か、この女を俺の家へ連れて行き、医者を呼ばせろ」


 カインが皆に指示を出し、ライラは両側を男に挟まれながら足を引きずる様にして歩いた。

 ハミエルが吼えまくっている。

 ライラは振り返らなかった。

 慣れ親しんだ相棒の姿を見たら、自分を保っている最後のとっておきの一本が折れそうな気がして。

 ナザール家の門を潜る頃には、ハミエルの遠吠えが響き渡っていた。どこかの野良犬たちだか、王都の外の狼だかが、ハミエルの遠吠えに便乗し始めて、辺りは遠吠えでいっぱいになった。

 折り重なる遠吠えの中、ライラにはハミエルの遠吠えがハッキリと区別出来て、泣けてくる。

 門から出れば、ほんの数時間前にダイアナと再会した通りに出て、あの時抱き合って泣いたのに、と思い出して泣けてくる。

 

 遠吠えが重なり合って、波の様にライラの耳に途切れる事無く響き続ける。

ライラもそれに加わりたかった。


 あんな風に口説いてくれたのに、ロクに返事もしてないや。

 遠吠えに乗せて、あたしの返事が送れたらいいのに。

 でも、なんにせよもう遅いよね。

 あんたがあたしを見つけなきゃ良かったのに……。


 そう思って、泣けて来る。


 でも、見つけてくれてありがとう。


 そう思っても、泣けて来る。


 ライラは王都に訪れて最初にアシュレイが話題にした、王都を一望出来る塔を探した。

 薄暗い月明かりの下で、城の次に背の高い塔は直ぐに見つけられた。

 ……約束したのにね。アシュレイ、拗ねちゃうよ。


 そう思って、結局泣けて、とうとう涙が零れた。


 遠吠えがあちこちで響いている。

 狼たちが、泣いている。


*  *  *  *  *



出逢った事を後悔しない。

たとえどんなに寂しい結末でも。

だって嬉しかったし、楽しかったから。

日向ぼっこしてるみたいだった。




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