照らされるこころたち
ライラが顔を真っ赤にして部屋に戻って来たので、ダイアナは満足気にそれを迎えた。
「どうだった? ライラ! 上手く行った?」
飛び跳ねる様に近づいて来たダイアナを、ライラは恨めし気に睨み付け、「あんた、お腹は?」とライラが聞くと、ダイアナはあっけらかんと微笑んだ。
「全然ヘーキ。もう治ったよ。で? どうだった?」
「何がよ!? も~っ! アンタってロクな事しないんだから!」
プリプリ怒ってベッドに転がるライラを見て、ダイアナは腹の中がくすぐったかった。
よしよし、なんか、いい感じになったみたい!
部屋に戻って来なくても良かったのに!
ニンマリして、寝転がるライラの横に座ると、彼女の頭を撫でた。
ライラは、鬱陶しそうにする素振りを見せつつ、目を細める。
「アイツはね、変なヤツなの」
「……まぁ、多少そうかもね」
「多少どころじゃ無い!」
「でも、良い人そうじゃない」
ライラはノロノロと起き上がって、ダイアナに首を振った。
「呑気そうだけど、得体が知れないよ」
「でも、それって問題?」
ダイアナは牢での彼を思い出して、心の中で頷きつつ、ライラに言い返した。
「いいじゃない。得体が知れなくったって。好意を示してくれてるんだからサ。貴女だって好きなクセに」
私なんかさ、と言い掛けて、ダイアナは止めた。言い出してしまうと、静めようとしてる気持ちが浮き上がって来てしまいそうで。
ライラはそんな彼女の気も知らずに、頬を膨らませている。
「……好き? 全然だよ!?」
「照れちゃって~、ライラらしくないっ」
「もうっ話になんない」
ライラはベッドからそそくさと離れて、部屋を出て行こうとした。
ダイアナはニヤニヤ笑ってうつ伏せに寝転がり、頬杖をついてライラの背中に声を投げる。
「アシュレイの所~?」
「バカッ。ハミエルの所に決まってんでしょ! ダイアナはもう寝なさいよ! しっかり休みなさい!」
キャッキャとダイアナが笑う声を背中に受けながら、ライラは部屋を出た。
ダイアナは絶対誤解してる。他人ごとだと思って!
相手はアシュレイなのに! 自分だったらどうなのよ!
ちょっと腹立たしいけれど、それでもダイアナの笑い声を聞けたのが嬉しく、頬が緩む。
ハミエルの様子を見て戻ったら、彼女の寝顔を眺めてから眠ろう。そうしよう。そしたらきっと、あたしは心から安心するんだ。
そんな事を思って、ライラは屋敷から出て行った。
*
ランプの灯りがあるものの、夜の馬屋は真っ暗で静まり返っていた。それでもたまに寝ぼけた馬の溜め息の様な鳴き声や、尾で地面を叩く音がするし、何よりハミエルがいる。なので、レイリンは怖いと思う一歩手前で、小さな狼の傍らに座り込んでいた。
召使いに柔らかい絨毯やクッション、食べ物や飲み物を用意させたので、居心地は悪くない。
彼女は、フカフカの布をぐるぐる重ねて作られた所にハミエルを寝かせ、ぐったりした身体を飽きる事無く撫で続けていた。
ハミエルが鬱陶しそうに薄目を開け、レイリンをチラリと見た。レイリンが微笑みかけると、仕方無さそうに目を閉じた。「いまだけだぞ」と言った態だ。これがアシュレイだったら、絶命しようとも持てる力を総動員して抵抗した事だろう。本当ならライラ意外にそんなに触られたく無いけれど、レイリンは美少女だから、「まあゆるしてやる」
「アナタみたいなお友達が、わたくしも欲しいわ」
レイリンが、ぽつりと呟いた。ハミエルは聴こえないフリをした。
「ライラさんは、いいわね……」
そう言って、レイリンはハミエルの身体の上に柔らかい布を被せると、彼の横にクッションを置いて、それを枕にしてウトウトし始めた。
「今日はここで眠るの……ぬいぐるみじゃなくて、息をしているあなたとね……」
飼って貰った子猫は、直ぐに衰弱死してしまった。元気だった頃は同じベッドで彼女に寄り添って眠ったのに。とても暖かくて、柔らかくて、何より小さな呼吸の音が、彼女の寂しさを埋めてくれた。彼女の母親は彼女が生まれて直ぐに亡くなってしまったので、暖かいものの傍で眠る事は、彼女にとって心安らぐものだった。
気丈に思い出さない様にしていたのに、思い出してしまえば罪悪感でじわりと泣けて来る。
あんなに小さくて弱々しい生き物を、自分の孤独を紛らわす犠牲にしてしまった……。
レイリンは堪らなくなって、気分を紛らわせる為に再び瞳を開けて、丸くなったハミエルに手を伸ばす。毛皮の感触と、生き物の体温に安心しながら、彼女はハミエルに、彼が聞いていないのを知りつつ、だからこそ話し出す。
「それからは、お兄様が縫いぐるみやお人形を頻繁に買って来て下さるのよ。優しいお兄様でしょう? とっても素敵な方よ。私はお兄様が大好き……。本当の兄弟じゃないって知った時、寂しかったけれど、嬉しかったの……それはね……でも、それは無理ね……だってお兄様はちっとも……それでも、良いの……。でも……でも……縫いぐるみやお人形が増える度に、私は余計に……」
辺りはシンと静まっていたので、レイリンの鼻を啜る音だけが小さく消えて行く。
「縫いぐるみやお人形なんて、嫌い。ある分だけ……私は……思い知らされるから……。でも、お兄様に申し訳ないから私、ちゃんと嬉しそうにするのよ」
レイリンが一人無理に微笑んでそう言うと、ぽす、と彼女の顔にハミエルの尾が乗った。そのまま、ふわふわの尾が彼女の顔の上を行ったり来たりする。
レイリンは微笑んでその尾をそっと捕まえると、尾は逃げたりせずに、大人しくなった。なので、レイリンも尾に頬ずりをして、大人しく目を閉じた。
*
ダイアナは親友が部屋から出て行くと、溜め息を漏らして、ベッドのある部屋の大きな窓から夜空を見上げた。
薄く幕の様に張った雲の向こうに、明るい月がほとんど真ん丸に浮かんで光っていた。
セイレーンの審判とやらは、満月に行われると言う。
満月は明日か、その次か。どちらにしても救われた。しかし、一緒に連れて来られた娘達の事を思うと胸が痛んだ。多分、一生この胸の痛みを満月と共に思い出すのだ。そう思うと気が重かった。
でも……あのコ達の為に……私は忘れない。
自分だけ助かって、ごめんなさい。
それから、ここまでの道のりを思い返す。
薄暗い暗いテントの中で光る、冷たいグレーの掛かった青い瞳。
長く伸びた海岸線で、感じ取った様々な感覚。音、風、光、あの人の声……。
優しさの使い方が下手なあの人も、満月の度にこうして憂鬱になるのかな。私と同じように。
だとしたら不謹慎だけれど、少し、ほんの少しだけ、救われる気がした。
*
ライラがハミエルの所へ行くと、ハミエルはすぐに顔を上げて彼女の方を見た。クンクン鳴きたいところだったが、レイリンが眠っていたので止めた。
「ハミエル、大丈夫? あらら、レイリン寝ちゃったんだね」
ライラはレイリンを起さない様にそっと近づいた。そして、レイリンがハミエルの尾を両手に抱いているのを見て微笑んだ。
「ハミエル、珍しいじゃない?」
ハミエルは珍しくライラから目を逸らし、揃えた前足に顎を乗せる。
ライラは笑ってレイリンの傍らに座ると、彼女の金色の髪を撫でた。
「あんなに生意気なのに、寝てると天使みたいだね……」
当たり前だけれど、ハミエルは答えない。彼はライラが無事に風呂から戻って来てホッとしていた。この様子だと、とんでもない事態はきっと起こっていないだろう、と彼は判断したのだった。
「なんだか、疲れたね、ハミエル」
ライラがハミエルの頭を撫でる。ハミエルは丸い目を細めて、キュンと鳴いて答えた。
「でも、ダイアナが戻って良かった。……あ、果物がある。頂いちゃおう! ハミエルも食べる?」
ハミエルは食欲が無かったけれど、ライラに差し出された果物をシャリシャリいって食べた。
「美味しいね。ハミエル……この先どうしよっか? あんたがこんなになっちゃうなら、ここには居られないし……い、いるつもりもないしねっ?」
ふんっと鼻を鳴らすハミエルに笑って、ライラは足を投げ出した。
「ダイアナと、流れ者になるしかないかなぁ……」
そうしたら、アシュレイとはお別れだ。
せいせいする。
彼女はそう思って、投げ出した足を身体に引き寄せ抱くと、曲げた膝に顎を乗せた。
『僕の頭の中は理由や打算でいっぱいなんだ』
……やっぱりね。とライラは思った。色々計算だったんだ。やっぱりね!
ライラはそう思ったが、次の言葉を思い出して、ギュッと膝を抱えた。
『それはね、僕自身の心や考えも出し抜いたり、隠したりするんだ……』
―――それって……理由や打算が気持ちよりも優先されちゃうって事だよね……?
それは辛い事の様に、ライラには思える。
そうしなくちゃいけない生き方って、どんな? どうしてそれを選んだのだろう?
『理由も理屈も打算も無いんだ……』
『それから証明も出来ないんだ』
『だから僕はこれを……』
ライラは再び首を乱暴に振って、頭に響くアシュレイの言葉を遮った。
―――だって、その言葉だって、どうして真実だと信じられるの?
『逃げるなよ』
―――逃げてない。逃げてなんか。
ライラは溜め息を吐いた。
理由は分からないけれど、自分が酷く惨めだった。どうしてだか、自分らしくないと思った。なので、もう考えるのを止そう、今夜は疲れている、と自分で自分に言い訳をした。
「レイリン、こんなところで寝かして置いて大丈夫かな?」
敷地内とは言え、女の子を野外で寝かすのは忍びない。抱いて行くには大きすぎるし、アシュレイでも連れて来ようか。でも、今はアシュレイの顔を見たく無かった。
「困ったな……ダイアナと二人で運ぼうかな? それとも、誰かに声を掛けたら来てくれるかな」
まごまごしていると、「ライラ!」とダイアナの声がした。
見れば、ダイアナが駆けて来る。
「ど、どうしたのダイアナ」
緊張した面持ちのダイアナに、ライラは驚いて腰を浮かせた。
ダイアナはライラの腕を掴んで引くと、潜めた声で「逃げるのよ」と鋭く言った。
「どうしたの?」
「<セイレーンの矢>が屋敷に来た」
「え、<セイレーンの矢>が?」
ライラが問い返すと、ダイアナは息を乱して喘ぐ様に訴えた。
「外がなにか騒がしくなったから、私、窓から見たのよ! カイン……<セイレーンの矢>の隊長が何人か騎士を引き連れて来ていた」
「アシュレイと知り合いだから来たとかじゃなくて?」
「違う。だって、私を解放した時、アシュレイと隊長の二人で来たんだよ。話があるならその時してるハズだよ。それなのに……こんな深夜になんの用があるっての?」
ライラは顔を険しくしてサッと立ち上がる。
どういう事だろう? まさか、アシュレイはあたしの事を<セイレーンの矢>に?
彼女はぶんと首を振って、その思い付きを振り払う。
慌しい雰囲気にレイリンが目を覚まし起き出した。
ダイアナはそれに構わずライラの腕を引いた。
「行こう、ライラ!」
「待って、ハミエルを……」
「ど、どうなさったの? お二人共……、駄目よ、ハミエルを屋敷に連れて戻ったら……」
ハミエルに近付いたライラの腕を、レイリンが止めた。
「ゴメン、レイリン。あたしたち行かなきゃ」
「行くって、どこにです?」
「ゴメン、離して、レイリン」
レイリンは二人の緊張した空気に気圧されながらも、
「どういう事か説明して下さらないと」
「ゴメン、時間が無い」
「嫌です、駄目!」
ダイアナがライラからレイリンを引き離そうとしたその時、灯が近づいて来るのが見えた。
ダイアナは舌打ちして、ライラの腕を引く。
「ライラ! 早く」
「でもハミエルを」
「今はとにかく逃げよう! 後で迎えに来ればいい!」
「どういう事なの? ライラさん、何をそんなに……」
こっちだ! と男の声がした。どやどやと近づいて来る足音が増えて、怯えたレイリンがライラの腕に縋った。
「なに? 何が起きているのです?」
「レイリン、は、離して!!」
灯りを持った男達が駆けて来る。見知らぬ男達が敷地内に、それも真夜中に現れて、ただ事では無い様子で駆けて来れば、レイリンはそれに怯えて悲鳴を上げた。ハミエルが唸り声を上げている。ヨロヨロと四肢で立ち上がると、彼を繋いだ鎖が小さくチャラと鳴った。
「いたぞ!!」
ライラ、ダイアナ、レイリンが灯に照らされ、青ざめた。
「レイリン嬢が、かどわかされている!」
チッ、と舌打ちして、ダイアナがライラの腕からレイリンを突き飛ばして離した。
ライラも、ハミエルを気にしつつ立ち上がり、ダイアナと共に身を翻した。
男達は「金髪じゃない方だ!」と喚いて、ライラに向って来た。
直ぐに追いつかれ、髪を引かれて男の腕に抱え込まれ、身をよじって暴れていると、大きな平手が飛んで来た。
「ライラ!」
駆け戻って来たダイアナが、怒りの表情を見せて男に飛び掛かる。
引っ掻いて噛み付いて、結局他の数人の男に抑え込まれてしまった。
「チクショウ! 放しやがれ!!」
頬を張られて男の腕の中でくたりとしているライラを取り戻そうと、ダイアナは押さえ付けられながらもがなった。
レイリンはハミエルを縋る様に抱えて、ヒステリーを起こして泣いている。
「ライラ! しっかりして!」
ライラは頬を張られた衝撃でクラクラするのを何とか押さえ付け、がむしゃらにもがいた。
男数人が、もがく彼女を縄で縛り上げた。
「捕えたか」
遅れて来た男の冷たい声に、ダイアナはサッと青ざめた。
現れたのはカインと、顔をしかめたアシュレイ。ダイアナはカインと目が合って、睨み合った。
「……どうして……」
「どうして? こちらも聞きたい」
ダイアナは唇を噛む。カインの目は冷たい。
その冷たい目のまま、彼は傍で苦い顔のアシュレイをも睨み付ける。
「大体察しは付くがな」
「……誤解だよ、カイン。その子は」
「お前の話はもう聞かない」
ライラがカインの前に引き出された。
カインは事務的に彼女の顔を見て、連れて行け、と言った。
アシュレイがライラを連れて行こうとする男へ「イヤ、ちょっと待って」と近づこうとするのを、カインが襟首を掴んで乱暴に引き寄せ止めた。
「カイン、その娘は歌子じゃない!」
「お前の話は聞かないと言ったハズだ。お前の屋敷の使用人が、お前が連れて来た娘が歌うのを聞いている」
「だから、何度も言ってるだろ? 人間でも歌くらい歌うさ、レイリンの楽器に合わせてくれただけだ」
「連れて行け」
「止めろ!!」
思いがけない程、アシュレイが大きな声を出した。
「止めろ。でないと、この場にいる者全て殺す」
男達が固まった。この場に、封魔師としてのアシュレイを知らない者はいなかった。
カインはアシュレイの脅しに、少し首を傾けただけだった。
「アシュレイ、そうすればお前は死ぬ。国に仇名す事に妖魔は……」
「意外と大丈夫かも知れないし、それに賭けても良いと思ってる」
死んでも良いよ、この娘が海に奪われるくらいなら。
アシュレイはそう言って、カインからサッと離れると、足を開き、腰に手を当て構えた。
* * * * * * * *
あの時あんたはそう言った。
あたしはちゃんと聞いてたよ。
それからね、あんたの言葉が嘘でも本当でも、どうでも良くなっちゃったよ。
だって、愛は理屈や打算じゃ、無いんでしょ?