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それはとても透明

「ちょっと、ダイアナ。もっと腰紐を固く結んだ方がいい」


 浴衣はさらりとした生地のカシュクールワンピースで、同生地の帯を腰に締める作りだった。脱ぎたければ帯を解き、直ぐに前が開くようになっている。利用するのはレイリンだけなのか、はたまた策略か、ライラとダイアナが着るとサイズが少し小さくてぱっつんぱっつんだった。

 脱衣所に備えられた、金の装飾のある大きな鏡で自分達を映して「これ、客にウケるかもね」と二人で苦笑いをした。

 それからお互い、自分の隣に友人がちゃんと存在して鏡に映っている事を嬉しく思った。お互い、コッソリと。

 ライラは甲斐甲斐しくダイアナの腰紐を結び直してやった。

 ダイアナに何か変な気を起されたら厭だった。

 

 何か企んでいるに違いない。しかも、物凄く下らない事を!


 ライラはダイアナが「イタタ、ちょっと!」と怒るまでギュッと思い切り帯を締めた。自分の気持ちを引き締める為だった。


 ライラってば、私を敵視してるの? そんな必要無いのに……。


 ダイアナはそう思って「さぁどうしようか」と考えた。

 

 私、かなり邪魔者だよね? う~ん……。でも私がいないとライラは一緒に出て来ちゃうかな。


 二人がそれぞれ頭を悩ませていると、脱衣所の外からアシュレイの浮っき浮きの声がした。


「ねー、もう僕入っていいかい?」

「どうぞ~」


 とダイアナが明るい声で答え、ライラはムスッとした。

 入り口からまずは顔だけぴょこっと出して、アシュレイは満面の笑顔だ。すでに浴衣のズボンに着替えているところが、やる気を伺えてライラはうんざりした。



頂点の尖ったドーム型の低めの天井まで、みっしりと詰まった湯気が、フワフワと明かりを幽玄に見せて揺れている。たまにしとしとと暖かい滴が落ちて、角のある丸い大きな台を湿らせてまたいつしか湯気になり、天井を目指す。

 四方は白い大理石の壁が暖かな湿り気に艶めいて、換気用の幾つかの矢窓からは、真っ黒い夜が覗いている。それを見て、ここは暖かくて明るい、と妙な安心と優越感を促される。

 壁と同じく大理石の水受けのある洗面には、煌めく瓶を見るだけで高価そうな香油が並べられ、その横の奥まった窪みには汗を流す水浴び場と、ゆりかごの様な小さな浴槽まであった。


「……なんか、ムカついて来た」

「……私も」


 ライラとダイアナはナザール家の風呂を見て、気後れを通り越して苛立ちを覚えていた。


どうしてこんなに不公平なのかしら? あたしたちはごったがえしのカラスの巣みたいに煩いハマム(公衆浴場)でだって、ゴキゲンになっちゃうっていうのにサ。

 

 アシュレイは角のある丸い台に腰かけ、「ライラ、ここ座りなよ~」といつになくデレデレしてライラを誘った。


「そうよ、ライラ。ほら座って!」

「や、やだ。湯気の中のアシュレイ一段と気持ち悪い」

「そんな馬鹿な……。い、一割増位にボヤけない?」

「アンタなんで力んでるの?」

「り、力んでなんかないよ!」


 実際アシュレイは腹に力をこめて、腹筋を一生懸命何とか格好良くしようとしていたが、無駄だった。


「ほら、せっかくだし、くつろごう。ライラ」


 ダイアナにグイグイ押されて、半ば引きずられる様にアシュレイの隣に座らされると、ライラは観念して大人しくなった。

 ダイアナはライラの隣に一旦腰かけたけれど、直ぐに立ち上がって洗面台に並ぶ綺麗な香油瓶や、垢すり用の道具を観察しに行ってしまった。

「あたしも見たい」と、ライラが腰を浮かす前に、「そっち持ってく。座ってて」と言われてしまった。

 アシュレイは座っていた台に仰向けに伸び伸び寝転がって、「ライラも寝転がりなよ~」と、もうとにかく嬉しそうだ。


「こっち、ジロジロ見ないでよ」

「踊り子の衣装の方が露出高いじゃない」

「あれは仕事着なの。あと、この線からコッチ来ないで」


 ライラはアシュレイとの間に、汗拭き用の細長い布を境界線にして警告した。


「酷い……」

「垢すりのスポンジ気持ちよさそうだよ~。……何してんの? ライラ」


 スポンジや選んだ香油の瓶をトレーに乗せてやって来たダイアナが、布の境界線を怪訝そうに見た。

 ライラはトレーを受け取り、香油の瓶を眺めながら冷たく答えた。


「魔除け」

「封魔師が魔除けされるなんて聞いた事ないよ……」

「ほら、恩人に対してなあに? その態度! アシュレイは牢まで助けに来てくれたんだからね。お背中お流ししなさい」


 トレーの上のスポンジを頭に押し付けられて、ライラはダイアナを睨んだ。


「ダイアナがそうしたかったんじゃなかった?」

「アシュレイはライラの方が良いわよね~?」


 ひょいとライラの手からトレーを奪って、ダイアナがアシュレイに微笑むと、アシュレイはデレデレ笑った。


「え、えへへ……」

「金たわしは無かった?」

「身も心もズタズタになるよ……」

「もうっ、ライラ! 意地悪言うんじゃないっ」


 ダイアナはそう言うと、唐突に「アイタタタ……」としゃがみ込んだ。


「どうしたの!?」

「……お腹痛い」

「え、大丈夫ダイアナ」

「お手洗いに行って来るから!」

「え、ちょっと、一緒に行く!」

「お手洗いに? バカ言わないで! すぐ戻るからサ。あ~イタタタ……じゃっ!」


 心配して追いすがるライラを振り切って強引にそそくさと浴槽を後にし、ダイアナは脱衣所で一人、『しめしめ』とほくそ笑んだ。


 二人とも、上手くやんなさいよ!!


 ダイアナは胸のキュンキュンが止まらないのであった。



「きっと、ストレスによる神経性胃炎だ」と、心の中でダイアナに土下座しつつ、アシュレイが真面目な顔で言った。

 ライラも頷いて、ダイアナに同情した。


 可哀想なダイアナ。辛かったよね……。


 彼女は全然元気で脱衣所でキュンキュンしているけれど、そんな事知らないライラは、手に持ったスポンジを持て余した。

 チラとアシュレイの方を見ると、「やって」とばかりに背を向けてキラキラ顔だけこちらに向けている。

ライラは溜め息を吐いて、しょうがなくアシュレイの背をスポンジでゴシゴシこすり出した。


「あはぁ~……うふぅ~~……」

「ちょっとぉ、変な声出さないでっ! やってあげないよ!」

「だって、出ちゃうんだ。最高だなぁ~」

「……ダイアナの事、ありがとう」


 唇を尖らせながら、ライラはそう言った。お礼を言うのをすっかり忘れていたのに気付いたからだった。アシュレイは「んふ~……」と変な返事をして、首をうなだらせると頷いた。


「君たちは本当に仲が良いね」

「……うん。いないとダメなの」

「いいなぁ~、ダイアナ……」

「あんたね、気が多いんじゃない?」


 ライラはそう言うと、ぱしゃんとアシュレイの背にスポンジを叩きつけてやった。


「違うよ。僕はライラに『僕無しじゃダメ』なんて言われてみたいんだ」

「へぇ、どうして? もう誰も好きにならないんでしょ? レイリンからイロイロ聞いたんだから!」

「……レイリンから……?」


 ライラが思わずそう言ってしまうと、アシュレイは黙ってしまって、辺りはもわもわとした湯気のたてる気配の音しかしなくなってしまった。

 何か言い返して来ないかとライラは待ったが、アシュレイは天井を見上げて、ふぅ、と息を吐いただけだった。

 ライラはいつも通り、捲し立てる様になにか言い訳して欲しかった。「違うよ」とか「誤解だ」とか、「そうじゃない」と。

 でも何も言ってくれないので、ライラはムキになる。


「あんたは、嘘つきよ」


 グイッと強く彼の背をスポンジで擦る。背はビクともしなかった。


「軽々しく、好きとか、言わないでよね」


 ライラは悔しくて、体重を乗せてアシュレイの背を擦った。


「あたしをからかいたかったの? それとも、あんたの事だから他に理由があるの?」

「もう止めて」


 アシュレイが身を捩ってスポンジを避けた。汗ふき用の布で、投げやりな様子で顔を拭っているけれど、こちらを見ないので表情は伺えなかった。


「もういい」

「……そう」


 ダイアナ、早く来て。

 ライラはそう思って、膝の上に置いた手に持つスポンジを見詰めた。すぅっと、心が冷たく黒い何かの中に吸い込まれていく感覚に、蒸気の中だと言うのにうすら寒くなる。

 相手を傷付けたり、怒らせてしまってから過ちに気付くのは何故だろう? 

 はぁー、とアシュレイが長い溜息を吐いた。

 どうしたものか、といった態で、髪を掻き上げ、少し考えている風だった。

 それから、ポツポツ、と喋り出した。声は湿り気を帯びて、温かく滲んでいる。


「僕が君を好きなのはね、説明出来ない」

「……」

「証明だって、出来ないよ」

「……」


 ライラは黙って湯気に霞むアシュレイの背を見詰めた。


「でも、だから僕はこの気持ちを信じれるんだ」

「……」


 ぽつん、と天井から暖かい滴がライラの頭に落ちた。じわりと髪の中へ溶けて、頭皮を滑って首筋に転がって行く。どこかで消えてしまう最後まで、雫は暖かかった。


「僕の頭の中は理由や打算でいっぱいなんだ。それはね、僕自身の心や考えも出し抜いたり、隠したりするんだ。でも、そうしなくちゃいけない生き方を選んだんだ。―――ライラ」


 アシュレイがようやくライラの方を向いた。


「理由も理屈も打算も無いんだ。それから証明も出来ないんだ。だから僕はこれを愛だと思うんだ」


 目を覗き込まれ戸惑って視線を外すと、「逃げるなよ」と顎を摘まんでまた目を覗き込まれてしまった。


「ちゃんと真面目に言ってる。ソッポ向いて僕を侮辱するな」


この顔をどこかで見た事があった。ライラはこの顔を、結構イイ顔するじゃない、なんて思って覚えてた。

だから少し、ぐらりと来た。


あたしってば、のぼせて来ちゃった。早くここを出ないとヤバい。


「あ、あたしなんかより、よっぽど良いお相手がいるんじゃない?」

「君の事『あたしなんか(・・・)』って言うくらいなら、僕にちょうだい。君より君を大事にするから」


ライラは完全に自分が赤面しているのが解った。解ってしまうと余計顔中に熱が集結して来て、クラクラした。


「アシュレイ……ご、ゴメン、のぼせて来ちゃったかも。で、出る」

「に、逃がすか……と、言いますか、僕ももうのぼせて倒れそう」

「出よう、アシュレイ、出よう!」

「くっそ~……場所をしくじった……」

「ちょっと……! あたしが着替えるまで、あんたはまだ中にいなさいよねっ」


 ゆでだこみたいなライラがふぅふぅ言いながら、最後の砦を守った。


「良いって言うまで絶対来ないでよ!!」

「そ、そんなぁ~……茹って死ぬ……」


 フラフラしながら、洗面で頭に水をかけ、どうやら本当に計算が狂ってしまうらしい、とアシュレイは思うと、頭を振って苦笑いをした。

味方なのか、そうじゃないのか、湯気がもうもうと立ち込めていた。


* * * * *


 あんたって、色々な顔があるんだね。

 あたしにも、あるのかしら? 

 色々な顔。

 どの顔が一番好き? それなら答えられる?


 あたしはね。

 あたしは。


 * * * *


 もうひと押しだったかなぁ……。

 赤くなるとは思わなかった。


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