夢は夢
ライラは鳥になってうたっている夢をよく見る。
その時、ライラはとても幸せで、虹色に光る翼を風に揺らし、世界と一つになっている。
生まれてから一度も海を見た事が無いというのに、海の波の上を自由に飛んで、好きな歌を好きなだけうたうと、ライラは本当の自分になれた様な気がして、喉が開く様な感覚を覚える。
そうして思い切り声を出そうとすると、いつも夢は終わってしまう。
けれど、今日の夢は一味違った。
いつもの様に鳥になって飛んでいると、崖があった。
「ステージみたいだわ」とライラは降り立った。
そこでまた、喉の開く感覚を覚えて、
「今日は出来るかも知れない」と声を出そうとした矢先、崖の向こうから男がにゅっと現れて、息を切らしながら不格好に崖を上り切ると、彼女の足元に縋りつき……
「あなたを僕にください〜」
と歌ったのだった。
* * * * * * * * * * *
「うわっ……!」
ライラは声を上げて目を覚ました。
彼女の胸の膨らみを枕に、ハミエルがプープー寝息を立てている。
「うう、ハミエルまたお腹に乗って……」
きゅん、とハミエルが寝ぼけた鳴き声を立てて、彼女にすり寄ると丸くなった。
「ダメ。もう起きるの。朝ごはん喰いっぱぐれちゃうんだから」
ライラはハミエルを引きつれて部屋から出ると、螺旋階段を降りて準備中の店内へ朝食を取りに行った。
朝食をとる為に一斉に集まった従業員達は、昨夜の喧騒を引きずっているかの様に騒がしく店内を賑わせていた。
一つのテーブルを若い踊り子たち…今は女の子たち…が陣取っていて、ダイアナもそこで朝食をつついていた。
彼女はライラを見つけると「ライラ!」と手招きした。
ライラは微笑んでカウンターで朝食を受け取ると、他に用意してあった皿の上からソーセージを一本くすねて足元へ放る。
はぐっと音がして、ハミエルがダイアナたちの待つテーブル席にてけてけと歩いて行った。
女の子達は順繰りにハミエルのふわふわ頭を撫でて、おはようの挨拶をしている。
ハミエルは面倒臭そうにそれらをかわし、テーブルの下に落ち着くとソーセージを貪った。
ハミエルは、ライラにしか尻尾を振らない、誇り高き狼なのだ。
「ねぇライラ、昨夜のカレ、可笑しかったわねぇ」
ダイアナが言うと、女の子たちがきゃあきゃあ笑った。
話題に上った「カレ」とは、昨夜、ライラの歌が終わると同時にステージ上に飛び込んできて「あなたが欲しい!」と気持ちよさそうに叫んだ若者の事だ。
散々騒いで、結局役所に連れて行かれちゃったらしいよ、と女の子の一人が教えてくれた。
「お嬢さんを僕に下さい!」
とダイアナが「カレ」を真似ると、ホールで食事をしていた皆が笑った。
ライラは顔をしかめて見せたが、我慢できずに笑った。
「ホント、なんだったのかしら?」
「あんたの歌声でアタマがイカれちゃったのね」
そういう客は、少なくない。
ライラは今まで何度も求められた事がある。
店主に隠れて、コッソリ恋をした事もある。
でも、その度に失望していた。
皆、ライラを店から引っ張り出す事が出来ないのを理由に去って行った。
ライラはそんな事、期待してなかった。
彼女はそれ程思慮深い方では無かったし、恋に恋する様なところがあったので「想い合えて」いれば満足だった。
いつかは解放される、その時まで……
でもそれでは駄目だったらしい。
金の面だけでなく、ライラの商売柄に嫌気がさすのだろうか?
全うな世界で生きる「安らぎ」という看板を背負った女へ、ライラからすぐに気持ちを切り替える。
ライラの胸が、チクンと痛んだ。
ライラはいつも、愛を囁かれる度に本気にしていたから。
もう、子供じゃない。
私は酒場の踊り子。
誰も欲しがりゃしないんだから。
私はもう、「恋」とか「愛」なんて言葉に心を動かしたりしない。
そんな風に気持ちを固めていたのに、「恋」も「愛」もすっ飛ばして、真正面からこられると、ライラはついつい甘い気持ちで舌打ちしたくなる。
……結局、彼女は懲りてないのだ。
「ねぇ、役所に連れてかれたのね」
ライラはダイアナに聞いた。
「そうよ。だからもう、安心なさいよ」
「ううん。私、会いに行って来る」
皆がポカンとライラを見た。
「…え?え?なんで?」
「だって、…ほら、ええと…」
「もしかして、好みだったの?ライラ…でも…」
「やめてよ。全然好みじゃない」
「ライラ…」
ダイアナが席から立って、手でライラに部屋の隅へ一緒に行く様促した。
「なぁに?」
ライラはおどけて見せる。
「ライラ、あれは酔っ払いだよ。見ていて胸を打たれないでもなかったけど」
「ちょっと、やめてよダイアナ! このライラ様があんなサエない奴を相手にすると思う?ご贔屓の客が欲しいだけだってば」
ダイアナは少し探る様な目でライラを見た後、気を緩めた顔をして微笑んだ。
「…なら、いい。でも、ライラ。もう一つ話したいの」
「なに?」
「昨日、マスターはあんたを売ろうとした」
踊り子がお気に召したなら…と店主は言った。
ライラは思い出して両腕を抱いた。
売る、とはライラを丸ごと売るという意味では無い。
「マスター、愛人に溺れてるでしょ。そのせいで、店の金までスッカラカンなの」
その噂はまことしやかに囁かれていたし、現に「愛人」はチャラチャラ店に出入りして踊り子たちをさも馬鹿にした様に見下して行くので、知っている。ライラは頷いた。
「私たちに、いよいよウリをさせようってワケ?」
ダイアナが頷いた。
ライラは顔をしかめた。
「あんな女の為に?私たちが?」
どうしてだろう?あの女と、私の差はナニ?
片や傾城のごとく愛されて、片や愛は数の分だけ滑り落ちて行く。
「チッ」と舌打ちして、ライラは壁を蹴った。
「ライラ、だからもう、甘い夢は見ない方がいいよ」
「ダイアナ、クドイわよ。あれくらいの事で夢なんて見ないわ。だって、見れないもの。そうでしょう?私はご贔屓の客が欲しいだけ」
ダイアナは頷いて、ライラの片腕にポンと触れた。
「まだ、マスターは迷ってる。ウリの許可を取るには色々面倒があるからサ」
「いくらでも方法はあるし、いくらでも隠せるわ。『六角塔』は『売春塔』って呼ばれるわね」
「マスターの切れっぱしみたいな冷静さが残っている内に、私たちは覚悟を決めなきゃ」
ライラは口の端だけ歪めると、曖昧に頷いて見せた。
こんな話もうたくさんだ。
「私…役所に行ってくる」
「『お客』第一号になるかもね」
おっと、笑えないか。ゴメン、と言って、ダイアナが額に手を添えた。
その少女にしては筋っぽい手が、少し震えている。
『覚悟を決めなきゃいけないのは、どっちだか』
ライラはそう思って、目を細める。
「…ダイ。あんたの強くて優しいところが大好きよ」