二人の嘘つき①
久々なので、ここまでの流れを……
ライラの親友ダイアナを返してもらうため、アシュレイは実家で妹にパンツ暴露話をされているのも知らずにカインの元へ向かった。
厭な仕事を(まだ残りがあるとはいえ)終えて、癒しを求めた先で拒絶を受け、早いうちから酒をあおって寝てしまうぞという所に暴れ馬だの皇女だの報告を受けて、さて漸く部下が帰ったので、と、とっておきのワインをあけた途端に、自室の窓の外から
「カーイーンくーん」
と聞き慣れた声が聞こえて来て、カインは滅多に「うわ……」と思ったりしないのだが、「うわ……」と思った。
カインは凄く無視をしようと思ったのだけれど、家の前で「カインくん」とか大声で呼ばれたくは無かった。確かに自分はカインだけれど、「カインくん」は厭だった。
カインは切れ長の美しい目を細め、窓の端からそっと外を覗く。
二階下の自宅の庭で、そろそろ夕日に変わり始めた日をほのぼのと受けて、茶色い髪の男が人柄に似合わない人懐こい目をこちらへ向けていた。
アシュレイ・ナザール。カインの学友で、この世でリリスよりもカインのペースを乱す天敵だ。今まさに乱されているのが良い証拠だ。
なんだ今日は、狙った様に一度に「来る」ではないか。とどめがアシュレイだと? 本当に……勘弁してくれ……。
アシュレイはカインと目が合うと、「えへへ」といった風に笑って、手を振ってきた。カインはこいつが「えへへ」と笑う時はろくな話を持って来ない事を長年の経験から知っていたので、渋面を作って窓を開ける。無視は出来ない。何故なら、彼が確実に自分に会おうとして来ているからだった。
「用か」
「そうだよ! 上がっていい?」
「玄関からこれば、普通に通す」
「この前居留守使ったじゃない」
「玄関から来い。応接に通す」
「君の部屋がいいな」
「……」
カインは眉をピクリと動かし、階下の男を見た。男も「わかるよね?」という目で彼に口だけ歪めて笑って見せた。
「玄関から来い」
カインはそう言って窓を閉め、薄いカーテンをシャッと引くと、仕方なしにワイングラスをもう一つ飾り棚から手に取って部屋のテーブルに置いた。
程なくアシュレイは「やぁ」と言って部屋を訪ねて来て、カインもそれに頷いて答えた。
薄汚れた格好だったので、こいつも仕事帰りなんだな、とカインは思った。家に帰らずに自分へ真っ先に会いに来るとは、一体何の用だろう、とカインはますます身構えた。
「久しぶり」
ひょいと気負いなく部屋のソファへ腰を下ろし、クッションに身体を沈めると、アシュレイは微笑んだ。
こいつがそうして微笑む度に、カインは子供の頃に引き戻される気分になる。大人になった今も、童顔の為か大して変わりが無い様に見えるからだ。
……でも違う。装いだ。
カインはアシュレイを見返して、黙ってグラスにワインを注いだ。
「用はなんだ」
「君、パリゼットいらない?」
「パリゼット? アッシュ……小金がいるのか?」
封魔師たちはたまに封魔した妖魔を売り買い、トレードする。ただ好みの妖魔を求める趣味の様な場合もあれば、仕事の依頼先に例えば火に弱い妖魔がいる場合など、水や氷の性質を持つ妖魔で対抗する為に、手っ取り早く買って備えたりする。封魔は相手が弱る程、危険を回避し、更に楽に出来るからだった。
「金なんて」
ヒョイと腕を横に払って、アシュレイは微笑んだ。
「可愛いよ? 旅に役立つし」
「……俺たちと同じ方向に仕事へ行っていたらしいな」
「可愛いよ? 旅に役立つし」
「仕事は上手くいったのか?」
「可愛いよ? 旅に役立つし」
「……おい」
「可愛いよ? 旅に役立つし」
カインはムスッとしてワイングラスに口を付けた。何だか知らないが、パリゼットを押し付けたいらしい事は分かるのだが、ただくれるとは思えない。カインは物凄く警戒して、想像より酸っぱい味を舌で弄んだ。
「代わりに何か欲しいんだろ」
「うん」
やっぱりか。大きく出て来たら即断ろう。
顎でワインを促して、カインはグラスを口に運びながら「なんだ」とアシュレイに尋ねた。
アシュレイはグラスを揺らして、中の混じりけの無い緑のかかった黄金色の液体を眺めている。
「なんか、酸っぱそうだ」
何だよ、さっさと要件を言って帰れ。とカインは思ったが、久々の再会だ、そう思って薄く息を吐いた。
「……赤にするか?」
「男と赤ワインなんか、つまんないや」
何だそれ、とカインは小さく吹き出した。昔からおかしなところにこだわるアシュレイに、人の頭の中は複雑だな、とカインは学ぶ。カインだってもちろん人なのだけれど、彼はあまりこだわりを持たないし、アシュレイの様に難癖を付けたりしない。何故なら、難癖が思い浮かばないからだ。
カインとアシュレイが並べば、気難しそうに見えるのはダントツでカインの方だ。別にそれすらカインは構わないのだが、こいつは色々得だよな、と時々思うのだった。
「飲む女いるのか」
「いないこともないよ」
顔全体を崩して微笑むので、カインは少し驚いた。今まで、アシュレイは女関係の話になると「どうせ僕はカインみたくモテない」と拗ねてグダグダになり、はぐらかしてばかりだったのに。
もうすぐアッシュが返って来る頃なの。
リリスの顔が脳裏に浮かび、明るい声が耳に虚しく消えた。
「……リリスが、お前の帰りを待っていた」
「……あ、服置きっぱなしだった」
結局ワインに口を付けながら、アシュレイがすっかり忘れていたという様に顔を上げた。
カインはリリスがとても楽しみにしていた様子を思い返して、アシュレイのこの反応にムッとした。
「俺が持ってる」
「へ? なんで? うわ、なんか気持ち悪っ! 返してよ!」
「少し着てしまったから、後日届ける」
詳細を言わないカインに、アシュレイがますます解らないという顔をした。
「なんで着るの? 僕のだよ?」
「知っている」
「僕のって知ってて、あえて着たの? 気持ち悪いよ、カイン。そういうの、変態だよ」
「何言ってるかサッパリ解らん」
俺が袖を通した(通らなかったが)のがそんなに厭なのか、と微かなショックを受けつつ、「じゃあ、捨てておいてやる」と提案すると、勿体無いと猛反発に遭った。
「これだからお坊ちゃんはイヤなんだよ。物を大切にしなきゃダメじゃないか」
「どの口が言ってる」
「リリスの家、通ってるの?」
唐突に言われて、カインは言葉に詰まった。
彼はまだ色あせない程度の昔の、アシュレイとリリスの関係を知っていたからだった。
アシュレイは勝手にワインの瓶を持って、自分のグラスに注ぎながら、カインの返事を待たずに決めつけた。
「通ってるんだ。なんで隠すの?」
お前こそ、と言い掛けてカインは止めた。そう返すのは、少し惨めな気がして。
「……もう終わってるなら、口出しするな」
「しないよ。気にかけられるのがイヤなんだ」
「サッパリしてるな」
「するしかないからね」
ツイとグラスを空けて、アシュレイがキッパリ言った。
「カイン、君、つまんないんだよ」
「……今日言われた」
青い顔で斜めに俯くカインに、アシュレイが「ほらね」と追い打ちをかける。ライラがもしこの場にいたら「こんな美形に向かって何がほらねだ、つまんないのはアンタでしょ」と突っ込まれる事必須場面だった。生憎ライラはいないので、アシュレイの独壇場だ。カインはこの違和感有り余る駄目出しを素直に聞き入れて、はた目には見えない程度にしゅんとしている。
「そこ、何とかしなきゃ」
「竈の灰の中で、空にいるなと言われた」
じゃあお前にこの問題が解るか、とばかりにカインが言うと、アシュレイは首を傾げた。
「何してたの?」
「解らない……何してるんだ俺……」
額に手を当てるカインに、アシュレイは眉をハの字にして苦笑いすると、またグラスにワインを注ぐ。アシュレイは酒に強いわけではないのに、ぐいぐい飲む。タダだからだ。
「これ全然美味しくないね。このラベル、偽造じゃない?」
「アッシュ、リリスはまだお前を待ってる」
カインがそう言うや否や、ドンッと、アシュレイがワインボトルをテーブルに打ち付ける様に置いた。
立てた音とは裏腹に、アシュレイは笑んでいる。
カインは思う。
ほら、装っている。その証拠に、声には怒気が含まれている。
「止めろよ。カインはそれでいいの?」
「……良くない」
「じゃあ、そんな事気にするな。僕も好奇心出して悪かったよ。……幸せになって欲しいんだ……」
カインは「なら、最後にそんな事言うな」と思ったけれど、黙って頷いた。
アシュレイはコロッと明るい顔で笑って、(表情の乏しいカインはアシュレイのこういうところが少し空恐ろしい)
「話が逸れすぎたね。なんでだろう? 久しぶりだから?」
「女の話なんかするからだ」
「僕はワインの話をしただけだよ。そうそう。女と言えば、沢山連れて来たみたいだね。セイレーン候補」
カインは心持顔を上げ、アシュレイはソファーで足を組んだ。
カインはいつも通りの仏頂面で、アシュレイはいつも通りののほほんとした笑顔。
でも結局のところ、心の窓と呼ばれる瞳だけは嘘を吐かずにお互いの感情を覗かせ合って、……さぁ、空気が冷えた。




