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熱、熱、のち覚め冷め

 一見表から見ると平たい宮殿の中は、奥行きがあり、表の庭園だけでは物足りないのか中庭まである始末だった。更に本館左右の奥には建物が向かい合ってぐっと長くそびえ立っているらしい。おまけに、お客用の離宮まであると言うので、もう訳が分からない。

 数多のドアと、連なる部屋、無限の様な廊下に、ライラは怖気づいてレイリンから離れない様に気を付けた。


 途中、中庭でぼんやり地面に座り込む男がいた。豪奢な寝そべり椅子や、ソファが置かれているのに、そこからやや離れて地面に座り込む彼は、遠目からでも少し異質な雰囲気を放っている。

 レイリンが彼を見つけ、顔を曇らせる。


「ごめんなさい、ライラさん。ちょっと待っていて」


 彼女はそう言うと、「誰か、誰か!」と召使いを呼びながら、中庭へ出て行った。

 ライラが見ていると、レイリンは中庭で座り込む男の傍に、とても気を付けている様にそっと屈みこみ、何か話しかけている。

 男の得体の知れなさに、大丈夫かしら、と少し不安に思って、許されるだろうと思う距離まで近づくと、ちょうど彼の顔がライラから見える方へ向いて、ライラはあっと思った。

 ふんわりした金髪に、薄いブルーの瞳。目の位置や鼻の造りまで、レイリンにそっくりだったのだ。

 アシュレイの言っていた「兄」だ、とライラは思った。

 彼はどこを見ているのか分からない瞳で、レイリンに話しかけられてもぼんやりとしている。何人かの召使いたちが駆け寄って来て、彼を連れて行こうとした、その時、彼が喚きだした。

 それは人の喚き声なんてものでは無かった。

 獣の様な喚き声に、ライラは身を竦め、彼を驚いて凝視した。

 召使いたちに仕方なしに押さえつけられ、理性無くがむしゃらに暴れている彼を見て、ライラは、アシュレイが養子だという理由をハッキリ理解した。

 レイリンの兄は、この家を継げないんだ。 


 喚き声が散らばる。ライラは理解してしまうともう、その声に恐れを感じない。可哀想だ、とか、残念だ、なんて悪戯に思わない。それでも憐れだ、と思ってしまう心を押し込めて、ライラはなるべく自然に、戻って来たレイリンを迎えた。

 レイリンも、彼の存在が生活の中にちゃんと居るのだろう。少し身構えてはいたけれど、「お待たせしてごめんなさい」と短くライラに謝り、「もう一人の兄です。ユーミットという名です」とさらりと言ったので、ライラも「そう」と頷いた。


 召使いたちに連れて行かれながら、ユーミットがこちらを見た。

 ライラはレイリンに名前を教えて貰って、彼の方を何となしにチラと見たところだった。


 目が合った。


 ……? 目が合う?


 ユーミットの目の焦点が、定まっていたのだ。ライラを見ている。ぼんやりと映しているんじゃない。確実に、ライラを認識して、見ている。そして、微かに微笑んだ。


「え……」


 レイリンはそれに全く気付いていない様子だ。騒ぎを聞きつけ遅れてやって来た召使いに、お茶や菓子を持ってくる様に指示をしている。まだ幼いのに、そうしている様は立派な主人だ。


「足止めしてごめんなさい。さ、行きましょう」

「え、あの……うん」


 違和感を覚えながら、気のせいという可能性も大きいので、ライラは何も言わずレイリンに続いた。

 レイリンの部屋へ招待されるかと思いきや、音楽室があると言う。


 ……個人の家、だよね? 


 ライラはもう考えるのを止めようと務め、レイリンに「ここよ」と勧められその音楽室とやらへ入り、またもや眩暈がした。


 立ち竦む程の様々な楽器が、整然と美術品の様に飾られていたのだ。


「な……音楽家の家系ではないんでしょ?」

「そうよ。うちは封魔師の家系」

「……」

「どうぞ、おくつろぎあそばせ」


 促されて、どっしりとした大きな絨毯の敷かれた部屋の中程まで行き、足の無い二人掛けのローソファーにハミエルと座った。ソファは柔らかくも固く、座り心地に存在感を示す。

 背もたれに掛けられたハミエルの様な毛皮は、ライラの背を始めチクチクさせたけれど、彼女の体温と馴染むと滑らかになった。

 レイリンは艶の美しい弦楽器を選び、ひょいと抱える。小柄な彼女には少し大きく思える楽器は、彼女が愛しそうに弦を弾き始めると不思議なほどしっくりと彼女と馴染み始める。

 レイリンの弾き出す旋律は、彼女に似合わず重く、熱い。白く華奢な手の筋が動きに合わせて浮き出る様子からして、とても力を籠めて奏でているのが判った。

 壊れてしまうのではないかしら、と心配になるほど情熱的な曲を奏でながら、しかし、その華奢な手は取り憑かれた様に複雑に騒めき、次が欲しい、次が欲しいと楽器に求めている。


 そして楽器は喜んでいる。その喜びを、レイリンは上手に受け取り、また次の音へと繋げて行く。


 ライラは感嘆し、レイリンの弾く曲に歌詞が無いのを悔しく思った。


 歌いたい。

 このの弾く曲に自分の歌を乗せたなら、きっとどんなにか気持ち良いだろう。


 曲が終わってしまうと、ライラは胸を燻らせながら手を叩いた。


「レイリン、凄い。あたしの歌っていたトコの演奏家なんか目じゃないわ!」


 レイリンは頬をつやりと染めて、微笑んだ。


「本当? ねぇ、ライラさんの歌も聞かせて下さらない? どの曲なら歌えるかしら」


 この申し出に、ライラは嬉々として頷くと、レイリンが大きな棚から引っ張り出して来た楽譜の束を覗き込んだ。

 二人であれやこれやと楽譜を選ぶのは楽しかった。

 奏でるものは違うけれど、楽譜は二人に同じ喜びを見せてくれる。

 レイリンの趣旨で「蝶」という曲を歌う事になった。

 少女向けの、誰でも知っている簡単な歌だ。レイリンなりの配慮なんだろう。

 でも、歌子は知っている。そういうものを、歌う怖さを。誰もが歌えるからこそ、抜きんでるのは難しい。

 ライラはコッソリそんな事を思っていたが、レイリンが弦を弾くとすぐに忘れてしまった。


 なんだって構いやしない。

 この弾き手の奏でに声を重ねられるなら。


 〽

 おそらをとぶのは 

 きれいなあなた

 はねのもようは

 ゆめのいろ

 つかまえられたら

 ゆめのくに

 ひらひらとんで

 どこへいく

 わたしはゆめをみるけれど

 ゆめはわたしをみないのね

 ちょうちょ さよなら

 またあうひまで


 この歌を書いた人はグリマスという名の男だという。ライラには信じられない。一体どうしたら男がこんなにフワフワした詩を書けるのか。それとも詩の意図を、読み間違えているのかも知れない。でも、そんな事はどうでも良い。

 歌は二度三度繰り返され、二人はお互いの音楽の相性がとても合う事に気付いていた。ライラが優しく声を出したい時は、それを引率する様に繊細に、ライラがゆっくり声を伸ばしたい時は、直ぐに声の粘りを見抜いて楽譜の指示テンポを無視してくれる。まるで「そうそう、ここって、こういう風にした方が良いよね」と打ち合わせも無しに会話しているみたいだ。「わたしもそう思っていたの」と音で返されると、自分を受け入れられたみたいでライラはぐんぐん歌う。レイリンも、瞳を輝かせて楽器を奏でる。そうして彼女は急にライラも楽譜も無視して、独自の即興アレンジを見事にかき鳴らし、ライラの歌声で高ぶった幼い情熱を発火させ始めた。

 ライラは音で圧倒される日が自分に来るのを、夢にも思っていなかった。感嘆し、ハミエルの落ち着いているソファにそっと座り込み、レイリンを見守りながら鳥肌を立てた。

 『六角塔』の客たちが、ライラの歌声でそうした様に。

 それから、ふと考えが過ぎった。


 アシュレイの荷袋の中に、女の子が喜びそうな物なんて入っていなかった。レイリンへの『お土産』はもしかしたら、あたし?

 情熱をぶつけられる相手のいない、一人ぼっちの、才能のある女の子。そうだ。あたしはこのの腕について行ける。そして、彼女を喜ばせるだろう。アシュレイは、あの夜あたしの歌を聴いて、そう思ったんだ。

 可愛い妹の為に、この歌う玩具を買ってやろう。やあやあ、連れて行くのにおあつらえ向きのアクシデントまで起きたぞ。これは幸運だ。

 そんな風に……。


「ライラさん、素晴らしいわ」


 曲を終えて、レイリンが熱に浮かされた様に囁いた。ライラはハッとして、考え事を止めた。それでも虚しさは溢れて来る。


 ……アシュレイめ。だったらどうして。


「いつも夢中で弾くけれど、こんなに引きずり込まれた事は無いわ。ねぇ、もっとお相手してくださる? もっと貴女の歌が聞きたいわ」

「いいよ。次は置いて行かないでね」

「あら、ついて来なくては駄目」

「言うわねぇ。次はどの曲?」


 そんな風にやり取りをしながら、ライラは楽譜を見るフリをしてレイリンに聞いてみる。


「ねえ、アシュレイは、本当に裸のオンナと別れたのかな」


 レイリンが、「せっかく楽しいのに」という表情で唇を尖らせた。ツンとして、


「ええ。……『もう誰も好きにならない』って仰っていたわ」


 *


 自分は今、どんな顔をしているだろう。

 いや。どうしてそんな事?

 なんで? おかしいじゃない。


 ライラは楽譜に目を落としたまま、どうしてこんなにも身体が沈む感覚がするんだろう、と思った。


「ライラさん?」

「あ、ごめんね。次は、どれにしよう?」

「決めさせてあげます」

「ええ? ええと……」


 ライラは楽譜を漁り、ペラペラ捲り、自分の手が震えているのに必死で気付かないフリをする。


 嘘なんて吐かれ慣れてる。

 信じてやしなかったし。

 鬱陶しいとさえ思ってた。

 でも、ちょいちょい足を掛けられて、あたしは転びそうになってたのかもしれない。

 日向みたいに笑うから。

 空や海みたいに大らかだから。

 油断した。

 あたしは怒ってる。怒ってるから、手が上手く動かない。

 ダイアナの震えと、違うんだから!


「これにしようか」


 ああ、馬鹿。

 なんだってそんな曲。


 レイリンが楽譜を受け取って、ふんふんと眺めてから、ライラに笑った。


「滑稽な恋の歌? これ、面白いわよね。いいわ。お兄様に捧げましょう。ライラさん洒落ていらっしゃるわ」


 *  *  *  *  *  *


 歌は、自分をあざ笑い、怒り、憤っている。

 歌は、悲しみを隠し、恥辱を塗りつぶそうと、翻り、翻りして、またあざ笑いと、怒りと、憤りへ繰り返し戻る。


 感情が音に混ざるのはどうしてだろう?

 ダイアナ、あたしのこの歌を聴いてよ。最悪なんだから。

 今まで歌った中で、こんな下手くそは無いよね。

 でもさ、レイリンの演奏のせいかな。

 不思議と声が、伸びる、伸びる―――。


 その『滑稽な恋の歌』を、聞いている者がいた。

 お茶の用意を届けに来た召使いだった。

 音楽室はあまり音の漏れる部屋では無かったけれど、やはり漏れるものは漏れる。それに、レイリンは思い切り弦をかき鳴らしたし、ライラは思い切り声を張り上げていたから。

 心を取られそうな音楽に、召使いは足から全身へガタガタ震え、踵を返した。

 それから仲間たちの元へ行き、声を潜めてこう言った。


「誰か、セイレーンの矢を呼んで」



 *  *  *  *  *  *  *


 ナイフが笑ってる。

「そら見た事か」って。

 あたしも一緒に笑うしかない。

 嘘なんて吐かなくても良かったのに。

 あたしはわかってたよ。

 わかってたんだからサ。


 誰があたしを欲しがるっていうの?


 ちゃんちゃら可笑しくて、やってらんない。



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