兄貴ぶるアシュレイ
ライラは立ち竦んでいた。
アシュレイの後について大きな門を潜り、良く整備された公園を歩いていると思っていたそこは、聞けば家の庭だと言う。楽園の様に花が咲き、綺麗に刈り込まれた芝の向こうの池で幾人もの石膏美女が水がめから水をとうとうと注いでいるのを信じられない気持ちで眺めながら着いたそこは、まごう事無き宮殿だった。
建物の外側を石柱の立つ外回廊がぐるりと囲っていて、外を眺める為なのか、はたまた飾りなだけなのか、高級そうなソファや卓が良い塩梅の感覚で置かれている。
悪い冗談みたいだ。とライラは思った。
もうこれは家ってレベルじゃない。ここがカナロールのお城ですって言われても、ウソだと分からないかも。途中脇を通って眺めたけれど、あんな古いお城よりよっぽど立派。
「冗談でしょ……ここの使用人とか?」
「だといいのにね。でも大丈夫だよ! 僕次男だから! 因みに姑もいないよ!」
何が大丈夫なのかは分からないが、ライラはアシュレイが次男だというので「兄弟がいるんだ」と何となしに聞いた。
「うん。同じ年の兄と、可愛い妹がいるよ」
「双子?」
こんなのがもう一人、と思うと、ライラは顔を歪めた。
「いや。僕養子なんだ」
「え」
驚きと疑問に質問を重ねようとするものの、立ち入っていいのか分からなかったので、どんどん宮殿に歩を進めるアシュレイの背を見てまごまごしていると、外回廊を駆けて来る人影が見えた。
十二、三歳位の女の子だった。
「あ、ほら、妹」
アシュレイが女の子へ手を振ると、その女の子も駆けながら手を振り返している。
「お兄様! お兄様!」とはしゃいだ声が、彼女の喜びを弾けさせていて、ライラは「お兄様ぁ~?」とアシュレイを横目で見た。
「滅茶苦茶可愛いんだ」
アシュレイはそう言いながら担いでいた荷袋を放り出して、両腕を広げると、飛び込んで来た女の子を抱き留めた。
「ただいま! レイリン!」
「お帰りなさい! お兄様! ご無事に戻られて嬉しいっ。しばらくはお出かけにならない?」
レイリンと呼ばれた女の子はアシュレイに抱き着いたままぴったりくっついて、薄いブルーの瞳をキラキラさせている。ふわふわした金髪で、アシュレイとは似ても似つかない美少女だ。
アシュレイに良く懐いている様子だけれど、兄弟には見えない。
アシュレイはレイリンを抱きしめたまま、
「ごめんな。まだ少し仕事があるんだ」
と申し訳なさそうに詫びて、彼女の頭を撫でた。
レイリンは顔を喜びからみるみる悲しみに変えて、しゅんとアシュレイの胸に顔を埋めた。
その様子は本当に悲しそうで、ライラまで胸が痛くなってしまう程だった。
アシュレイ……本当に慕われてるんだ……。何だか現実じゃないみたい。それにしてもアシュレイ、ちょっと顔をキリッとさせてる気がするけど……兄貴ぶってるのかしら? なんだか可笑しい。
「あ、でもね。お土産があるよ。今からまた出て行くけど、戻ったら見せてあげるね。いい子にしてられるよね?」
「もう、お兄様ったら子ども扱いして! 大丈夫よ。ちゃんといい子にしています。ねぇ、そしたら、うんとお相手してね?」
「わかったよレイリン。僕が戻るまで、このお姉さんがレイリンと遊んでくれるからね!」
「え!?」
思いがけないアシュレイの言葉に、ライラは素っ頓狂な声を上げてしまった。レイリンがそのガサツな声に眉を潜め、ようやくライラに気付いた様にこちらを向いたので、ライラは無理矢理微笑んで見せた。フイッとそっぽを向かれて、「あちゃ~」とライラは両目を閉じた。
ど、どうしよう。この位の女の子と接した事あまりないんだよな。
「この方は?」
「ライラだよ。仕事帰りに知り合ったんだ。ライラ、この子は僕の妹のレイリン。ほら、レイリンご挨拶は?」
「……ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう……」
綺麗な布地のスカートの両端を持ち上げて、レイリンが渋々といった態でお辞儀をしたので、ライラも慌ててらしくない挨拶をしてしまう。しかし、ライラのスカートはレイリンの綺麗なスカートよりもずっとみすぼらしく、丈も短かったので、両端をつまんで上げる事は出来なかった。
レイリンはそんなライラを頭からつま先までジッと眺めると、アシュレイに向き直った。
「この方をここへ置いて、お出かけになられるの?」
あからさまに嫌そうな声だ。アシュレイはその声音が気にならないのか、軽く頷いて、レイリンの頭を撫でた。
「カインの所へ行ってくるだけだから」
「カイン様の所へ?」
「ちょ、ちょっと待ってアシュレイ。それならあたしも行く」
レイリンがキッとライラを見た。「ちょっと、アナタ、お兄様を呼び捨て?」とかなんとか言って来たが、ライラは構っていられない。レイリンはアシュレイに「ちょっと静かにしてなさい」と言われて、しゅんと二人の傍から少し距離を開ける。どうやら甘いだけの兄貴では無いらしい。
ライラは「威張っちゃって。アシュレイのクセに」と思いながらも、抗議を続ける。
「だって、ダイアナの話をしに行くんでしょ?」
それに、こんなの聞いてない。こんな慣れない場所に一人置いて行かれるなんてとんでもない。
第一、ダイアナが関わっているのに自分が待ってなどいられない。
「言ったろ? アイツには会わせないって」
「冗談でしょ? あたしにここに居ろって言うの?」
「そうだよ。レイリンは寂しがりやなんだ。だからライラ、遊んでやってよ」
「何言ってるのよ! そんな、待ってられないわ!」
息巻くライラにアシュレイは腕組みをして頑として首を縦に振らなかった。
「いーや、絶対待っててもらうよ。大体、君が来たら話がややこしくなってしまう。代りに捕まったらどうするんだ」
「そんな!」
「君が来るなら、僕はカインと話をしない」
「なっ!?」
ライラはアシュレイの一言に、顔を歪めた。
ラルフを家に置きに行きたいなんて口実だったんだ。アシュレイは、あたしをこうしてここに置いて置く為に帰宅したんだ。カインって人と会わせないって前に言っていたけれど、まさか本気とは思わなかった。
「ちゃんと話するから、大丈夫だよ。それにカインのところにダイアナがいるわけじゃないんだよ。ダイアナを引き取りに行く時には、一緒に行こう。ね?」
アシュレイにカインと話をして貰わなければ、元も子もない。それに、アシュレイの言う通り、自分が行っても意味が無い上に、余計話がややこしくなりそうだ。
ライラは渋々頷いた。
アシュレイは「よし」と微笑んでライラの頭に手を置いてわしわし撫でた。
なにあたしにまで兄貴ぶってるのよっ! とライラは彼の手を叩き落としてやろうとしたけれど、心底兄を慕っているレイリンの前でそんな事をしたら、兄が『邪険にされる存在』だと真実に気付いて悲しむかも知れないと思って止めた。
夢は見続けてた方がいいよね。アシュレイ相手に、どんな夢だか想像も出来ないけど。
「じゃ、行くよ。ライラ、レイリンをよろしく。レイリンも。ライラをおもてなしするんだよ」
*
アシュレイがライラを置いてサッサと行ってしまうと、ライラはレイリンと二人、広い庭園にポツンと残された。
娘二人はお互い嫌そうに顔を合わせると、「どうしろっていうの?」とそれぞれ途方に暮れた。