お礼じゃなくて
お仕置きが済んでボロボロのアシュレイが門番に身分証の様なものを見せると、門は難なく開けて貰えた。門番二人に、気まずそうに敬礼までされながら、アシュレイはラルフの手綱を引いて門を潜って行く。
ライラは好奇の目で見て来る門番を目の端に意識しながら、アシュレイの後に続いた。
「最悪だよ。僕がお仕置き好きの変態だって噂流されたらどう責任とってくれるの?」
「お仕置き好きの変態なんだからいいじゃない」
「ふぅ……まぁ良いよ。なんとでも言いなよ。僕のお仕置き術は凄いんだ……。まだ脳内でしか試した事ないけど。ライラ、僕からしかお仕置きされたら駄目だよ! 誰にもあんな事させちゃ駄目だ!」
もう何を言っているのか分からないので、ライラはアシュレイを放っておいて、小石畳の門前広場を見渡した。流石王都と言うだけあって、かなり広い。一目でそうとは分からないが、広場は円形で、上空から見ると地面に敷き詰められた石の色のグラデーションで、幾つかの妖魔が描かれているらしい。
「あっちに塔があるだろ? あの塔から、眺められるよ」
「どうでもいいよ。ダイアナダイアナ!」
「じゃあ、ダイアナが助かったら僕と塔に昇ってくれる?」
「どうして? 見た事あるんでしょ?」
「ライラと昇りたいんだよ」
「……いいけど」
やった! とアシュレイは顔を輝かせた。
彼はほくほく顔で、門から広場を突っ切って真っ直ぐ行った所にあるバザール〈商店街〉へと足を向けた。
大きな石造りの入り口を抜けると、建物と建物の間、三階目位の高さで揃えて幌や板、渡り廊下が出鱈目に横断していて、それがバザールの天井となっている。太く通った通路を挟み、向かい合ってちまちま並ぶ様々な店の間口は狭いが、ちょっと好奇心で土産物を扱う店を覗いて見たら、奥行きがとても深かった。
バザールは真っ直ぐな本線―――城下町の門からカナロール城へと向かっている―――と、それを幾つも横切る細い横道があり、こちらは大体なぜかしら少し気だるげな雰囲気を漂わせている。本線が表の顔なら、こちらは裏の顔といったところか。表舞台に店を構えそびれた店主の舌打ちでも聞こえて来そうな、もしくはこちら側だからこそ都合が良いとほくそ笑んでいる様な、そんな裏ぶれ感は、ライラにとってはお馴染みのもので、彼女は「横道の方が面白そう」と横道を見つける度に興味津々で覗き込んだ。
「ライラ、はぐれるよ」
少し先の人ごみの中で、アシュレイがライラを呼んだ。
夢中であちこち見ている内に、彼の歩調から外れてしまい、距離が開いてしまったらしい。ライラは慌てて、立ち止って待っていてくれるアシュレイの傍へ行き、息をついた。
「ごめんね。カナロールのバザールって凄いね。ゆっくり見てみたい」
「塔に昇る時に、ついでに回ろうよ」
「そうだね。ダイアナも喜ぶだろうな」
「……え?」
アシュレイが顔を歪めてライラを見た。
「ダイアナも一緒なの?」
「え? なんで?」
「僕と二人きりだと思ってた」
「あら、両手に花じゃない」
「別に僕は女好きじゃないよ。それに、ええと、ダイアナはきっと疲れてると思うな! だからさ、ちょっと休ませてあげようよ。うん。それが良い。僕の家に眺めも日当たりも良い客間があるからさ、そこでダイアナに休んでもらっている間、二人で出かけようよ」
ライラは、「ダイアナは疲れてると思う」の言葉にしゅんとした。
そうだ。アシュレイの推測では、ダイアナは自分たちの街から荷馬車でここまで連れて来られている。ライラはアシュレイ任せでここまで来たけれど、きっとダイアナは大変な目だったに違いない。ケガとかしていないかしら? 食べ物は貰えているかしら? 酷い目に遭っていないかしら?
そう思うと、ライラの胸はダイアナへの労りと心配でキュッと締め付けられた。
「そうだね……早く助けなきゃ!」
「うん。休ませてあげなくちゃ!」
「本当に助けられる?」
「うん! 早く、休ませなくちゃね!」
「……」
「ね!」
見ず知らずの女の子の心配をするかしないかは個人の自由かも知れないが、あからさま過ぎる、とライラは思った。
でも、事が無事に済んだらそれ位しても良いとも、思う。
人格と、ライラとダイアナの恩人である事は別だ。
そう。忘れそうになるけれど、アシュレイは恩人なのだ。ダイアナを助けた後の、休憩場所まで提供してくれるなら、ありがたい話なのだ。どうしてありがたくなくなってしまうのか、それはひとえにアシュレイのせいだと思うけれど、まぁそれは大目に見てあげようと、ライラは偉そうに思った。
「じゃあ、無事に事が済んだらお願いする」
「やった! ハミエルと馬も、無しだからね」
『あほか、しね』とハミエルが唸ったが、「はいはい」とライラが適当に返事をしたので「きゅん」と鳴いて両耳を伏せた。『らいら、いつもいっしょなのに……』
アシュレイがライラに気付かれない様に「ざまあみろ」といったゲス顔で自分を見ているのに気づくと、ハミエルは腸が煮えくり返って、『くいちぎる、くいちぎる』と二回心に決めた。
馬―――ラルフは名前すら無視されて、苛立った。彼は変態茶髪が少しでも自分の背後に来ようものなら、確実にヤツの不浄ブツを蹴り潰してやろうと心に決めた。
「他にご希望は?」
「え? い、いいの?」
「一応、恩人だし」
アシュレイは肩を竦めた。
「……そんな風に思わなくていいよ」
「でも貢いだって思ってるでしょ?」
つまらなさそうにフイと前を向いて歩き出したアシュレイの後を、ライラも小走りで追った。
「あんなの冗談だよ。その位わかるだろ?」
「……」
「客にプレゼント貰うのなんか、慣れてるだろ? ここまで連れて来たのだって、家に帰るついでだし、カインにダイアナの話をするのもヤツとたまたま知り合いだからだよ。そういう風に思ってよ」
ライラはそう言われると肩の荷がおりるどころか少し寂しい気持ちになって、「そっか」と呟いた。
でも、言わなくてはいけない言葉くらいはわかった。
「ありがとう」
「そういうの抜きで、僕とデートしてくれる?」
「馬鹿ねぇ、なんでわざわざハードル上げちゃうの?」
「高い方が飛べた時嬉しいだろ?」
ライラは「ほほう」と思って、アシュレイに微笑みかけた。
「ヘタレだと思ってた」
「……そんな可愛い笑顔で酷い事言わないで」
ガックリ肩を落とすアシュレイに再び微笑んで、ライラはアシュレイの腕に腕を絡めた。
「いいよ、アシュレイ。じゃあ、ダイアナを助けた後で、カナロールを案内して。美味しいものも食べたいな♪ あら、どうしたの? お腹でも痛い?」
ライラは「いつもの調子で」だったけれど、酒場の踊り子として育っただけあって、彼女の「甘える」もしくは「おねだり」仕草は、軽く性的サービスなのだった。でも、ライラはその辺の自覚が無かった。
ライラに蔑まれ続けていたアシュレイからしたら『な!? きゅ、急に接近して来たよ!? おっぱいはワザとなのかな!? ワザとなのかな!?』と前かがみになってしまうのは、情けないけどしょうがない事かも知れなかった。
「う、ううんっ、いや、そう、お腹痛いかもね!」
「かもねって何よ。大丈夫?」
「お願い! 下腹部を見ないで! ごめんなさい!」
「……???」
「ちょ、ちょっと離れてくれるかな! 知り合いがいたら恥ずかしいし!」
アシュレイに気まずそうに腕を振り解かれて、ライラは唇を尖らせた。
なに? 意味分かんない。
……でも、門番に敬礼させるくらいに名のあるボンボンなんだろうし、自分みたいなのと腕を組むのも色々体裁が悪いんだろう、とライラは思った。アシュレイがそういう事を気にするのは、少し悲しい気がしたけれど、ライラにもわきまえはある。
ライラは素直に彼から離れると、「喜ぶと思ったのに」と明るく振る舞って見せた。
「喜んだよ! すっごく喜んでた! さ、行こう」
「そうね。そう言えば、まず何処へ行くの? お城?」
「僕の家に寄らせて。クリスティンの手配をしなくちゃならないし、バカ馬を馬屋にぶち込まないとね」
* * * * * * * * *
「暴れ馬?」
「はい。バザールで大きな馬が大暴れして一人の男を襲ったそうです」
「けが人はその男だけか?」
「はい。馬は執拗にその男だけを狙いまして、男が逃げ回るので、辺りの店が散々な状況になった模様です」
ふー、とカインは息を吐き、家を訪ねて来た部下を見た。
「せっかく家でゆっくり出来ると思ったんだが、そんな報告をしに来たのか? 馬一頭位、収集は着いたんだろう?」
「すみません。騒動だったので一応……」
いいよ、という風にカインは手を横に払う仕草をして、髪を掻き上げた。
「要件はなんだ」
「『審判』の事です。皇女が反対をしています」
「いつもじゃないか」
メイドが持って来たお茶を部下に進めて、カインは一人掛けのソファへ深々ともたれた。
部下は頷いて、声を潜める。
「牢まで赴き、そこからお動きになられません」
「……皇女が?」
「はい。ですので、日程がずれ込むかも知れないと、ご報告に参りました」
「……」
カインは深い溜め息を吐いて、形の良い額を手のひらで覆った。
自分の周りの女達は、どうしてこうも振り回してくれるんだ?
俺は女難の相でも出ているのか?
なんにせよ、彼にはこう言う他ない。
「……わかった」