騒がしいドラ
ライラの歌が終わると、拍手や口笛、賞賛の声で店内は満ち足りた。
ライラは顔を輝かせて笑顔を振りまく。
この瞬間が好き。私が、私である証明の様な。
店内の興奮に酔っていると、突如、ガターン! と椅子が勢い良く倒れる音が響いた。
店内にいる者が皆、そちらを見る。
店内はシンと静まって、ライラにとって心地よい騒めきが消えてしまった。
ライラもちょっと驚いて、音のした方へ首を伸ばした。そこには一人の若者がテーブルに手を突いて立ち上がり、真剣な顔をしてライラを見詰めていた。
気圧される程の真剣さに、ライラは、じり、と後退りした。
……なにか、私の歌が気に障ったの?
周りにも異様さが伝わっているのだろう、皆が遠巻きに彼を見守る中、彼が動いた。
彼は怒った様な表情でずんずんとステージに近付き、登って来た。
これが片腕でもつきながら身軽にヒラリ、と登って来たならばスマートでカッコ良かったかも知れない。
彼は自分の腰より上のステージに結構苦労してよじ登ったので、あまり見栄えの良いものでは無かった。
結構苦労してよじ登っていたのだから、誰かが止める間もあったのかも知れないが、皆、
「なんだか面白そうな事が始まりそうだ」
と、展開に期待して彼を見守っていたのだった。
若者はかなりの重労働をしたとばかりに「ふぅう…」と一息ついてから、ライラの前に立った。
近距離で向かい合うと、高いヒール靴を履いているライラと、それ程変わらない身長だ。
今はなにやら激しい感情をむき出しにしている顔は、「不味くは無いが飛び抜けて良くも無い」
と、コッソリ採点した。
緊急事態でも、女の子はシビアなのだ。
若者は下唇を噛み、鼻の穴を膨らませ、鼻息も荒くライラの顔を覗き込む。
ショコラみたいな色、とライラは思った。
彼の目の色を見たのだ。
「あの!」
と若者は大声を出した。
真っ赤になって、ガタガタ震え出す。
ナニこの人コワイ。
ライラはどんどん後退り、顔を引きつらせる。
「あの……! あのぉ!」
「な、なに……?」
ライラは不安げに周りを見渡した。
店内からは好奇の視線しか返って来ない。
楽屋のカーテンでは、ダイアナや仲間達が心配そうにこちらを覗いている。
ダイアナが、「早く! コッチいらっしゃい!」と口をパクパクさせて手招きをしたので、ライラはサッとその場から逃げ出そうとした。
「ま、待って! 待って!」
若者に手首を捕まえられて、ライラは「イヤッ!」と小さな悲鳴の様な声を上げた。
いつもならこんな風にされても余裕でかわす事が出来るのに、これでは踊り子失格だ。
でも、だって、なんかこの人変!
若者はライラの悲鳴に「うわわ」と狼狽して手を離してくれた。
「ご、ごめん。触っちゃった」
その発言が余計に気持ち悪い。
店主が見かねてステージ上に上がり、ライラと若者の間に入った。
「お客様、ステージからお下がり下さい。踊り子が気に入らないのならお詫び申し上げますし、気に入ったのなら……」
店主は急に小声になり、若者に囁いた。
「……裏でお話を」
ライラは寒気を感じ、店主を怯えた目で見た。
店主は彼女の怯えを無視して、つやつやした頬の肉を盛り上げ若者に微笑んだ。
若者はそれを無視した。
多分、ライラに意識を集中しすぎてなにも聞こえなかったのだろう。
店主に「お客様?」ともう一度声をかけられてから、ようやく店主の方へゆっくりと顔を向けると、「おぉ」と呟いて、「貴方はお義父さん的な方ですか?」と言った。
「イヤ、あの……まぁ」
「お義父さん! お嬢さんを僕に下さい!」
彼にしては精いっぱいだったのだろう、所々裏返った大声で店主に頭を下げて、そんな風に喚いたので、一拍置いて店内にいる観客達が爆笑した。『六角塔』側は、ポカンと口を開ける他なかった。
「お客様、ステージからお下がり下さい……」
やんわりと、だがこめかみに青筋を浮かべて店主が言って、若者をステージから降ろそうとする。
しかし若者は、観客が面白がって口笛やヤジを飛ばす中、ガバッと店主に土下座して食い下がった。
「ぼ、僕はお嬢さんを一生幸せにします!」
「あのですねぇ、この娘はうちの歌姫なんです。そんな、急に下さいと言われて……」
若者がキッと顔を上げた。髪も目も濃い茶色の、物凄く平凡凡な青年だ。
それなのに、やっている事はかなり突飛いていて、なんだか危うい感じがする。
彼は鼻息も荒く力んで言った。
「歌姫! そうです! 彼女は歌姫! ですが、どんなに囀ろうと、そこに愛が無ければ騒がしいドラ! やかましいシンバル!」
「誰がドラよ!」
若者の勢いに顔を引きつらせる店主の後ろで、ライラが怒鳴った。
自分の歌をそんな風に言われたのは初めてだったのだ。
若者は「お〜ぅ」と言って憐れむ瞳で彼女を見詰めると、「ほら」と言った。
「やかましいドラ(猫)だ。……愛が無いから!」
「くたばれ!」
ライラが穿いていたハイヒール靴を投げた。
若者はサッとそれをキャッチすると、「好きだ」と言って、恍惚とした表情で頬ずりをした。
シン……と、酒場中が気まずい沈黙で溢れた。
コソコソと囁き交わされるのは、「変態」の二文字だ。
ライラも、戦慄の表情を浮かべて後ずさった。
変態が現れた!!
「ま、マスター、後任せたから!」
そのまま、ステージ裏に慌てて駆け込んだ。
ダイアナがサッとステージのカーテンを閉める。
「待ってくれ! もう片っぽも……じゃなくて、結婚して!!」
若者がライラの後を追おうとしたので、店主が立ちふさがった。
「オイ! 誰かこのバカを摘まみだしてくれ!」
「な、なにお、お義父さんと言えど、暴力には暴力で返させて頂きますよ! すいませんね! すいませんね!!」
若者がヒョロい腕でファイティングポーズを取った。
「すいませんね!」と連呼しているところを見ると、余程腕が立つのか。
皆が固唾をのんで見守る中、彼が「うりゃ~」と腕を振り上げた。
しかし、店主の方が早かった。店主はダイアナが投げてよこしたデッキブラシを構えると、華麗なデッキブラシさばきで若者の横っ面をぶん殴った。
若者はその一発で悲鳴を上げてひっくり返り、床に転がった。
弱い。と見ていた皆が頷いた。
唸らされる納得の弱さだった。
「お、おおおお義父さん、ひ、酷い。思いっきりぶった……!!」
暴力を使った興奮に、店主の怒りが爆発する。
「お義父さんじゃねー!」
若者は殴られた頬を手で押さえながら、ちょっと涙声で果敢に店主に縋りついた。
「そんな、お義父さん! 僕を認めて下さい!」
「警察! 警察を呼んでくれ!!」
「そんな、お義父さん! アンッ!」
「気色悪ぃ声出すな!」
「い、イヤだ!放してくれ! あ、愛は法で裁けたりしないんだ!!」
* * * * * * * * * * * *
騒ぎを聞きながら、ライラはらせん階段を駆け上がる。
心臓がバクバクいって、息を切らして自分の部屋へ駆け込むと、ベッドへ倒れ込んだ。
ハミエルがライラの勢いに驚いた様に「キャン」と鳴いて、慌ててくんくんしにやって来た。
ライラはハミエルを撫で、抱きしめると、ククク、と笑い出した。
「こ、怖かった…」
なのに、今では可笑しくてたまらなくなったのだ。
彼女は腹を抱えて笑い、むせて咳込むと、仰向けになって呟いた。
「アハハ、なんて夜なの……」