灰色の中で
カナロールは辛気臭い。滅多に晴れない気候のせいだ。
人々は大半が重い大気を背負っている様な風情で、堅物が多い。
悪い事では無い。
だが、どこか味気ない。
それはそのまま街並みにも表れていて、どこも似た様な漆喰塗りの四角い家が整然と並んでいる様は、美しさを求めたものでは無いのが痛手となっている。見渡しても全てほぼ同じ景色なので、まるで迷路だ。
商店の立ち並ぶ通りは流石に彩りや趣があるものの、そこを外れたら最後、初めてこの国を訪れたものは必ず一度は目印を失い迷子になる羽目になった。
そんなカナロールの堅物な街の、海に面した片隅に、やや高低差のある不便そうな土地があり、七、八軒の家が集落を作っている。
いずれも海の景色を愛する者達の宅で、思い思いの場所になんの計算も無く建てられた建物たちの中には、土地の斜頸に耐えられずに、年々坂をずり落ちている家もある。大して気にしていないのか、ずり落ちた幅を線で記して年号を書き残したりしている辺り、そんな事すらも楽しんでしまえる人物が住んでいるのだろう。
その小さな変わった集落は、洒落た家ばかりだ。
素材も白い漆喰やら、黄色いレンガやら、目の美しい木材やら、それぞれの家主の好きな物で作られていて、ちょっとしたエントランスインテリアも趣味が良い。
どの家もこぞって潮風の中でも良く育つ花を花壇やハンキングで飾り、家を建てた後で「あ、道を作るの忘れてたねぇ」とばかりに敷かれた道は、無計画にくねったり、唐突にトンネルに潜ったり、酷い所は「ま、いっか、ちょっと通るよ」とばかりに個人の家のダイニングを貫通していたりした。だって、その先に家を建ててしまったし、この方が近いから。と言ったところか。
要するに、カナロール人らしくないカナロール人の集落なのだった。
そんな集落の一番奥の高台に、小さな石造りの家が建っている。
壁を成す石は色々な色がまばらに積まれていると言うのに、それが小気味いい程良い味を出している。屋根は蔓草で覆われていてその正体が見えないが、切妻屋根だろう、と判る位には原型があった。そこから可愛いらしい小さな煙突がにゅ、と出ていて、終始色々な色の煙がポッポと吹き出している。
しかし、今日は不思議と煙を吹いていない様だった。
他の家同様、花がそこかしこに植えられたり吊るされたりして飾られているが、そのどれもが白で統一されていた。
なので、彼はこの家主が白が好きなんだろう、と思っていた。だから、手土産も何か白い物を選ぶようにしている。
今回は白い絹のグローブの入った小奇麗な包みを持って、彼はその家の扉をノックした。
返事が無い。だが、いつもの事だ。
もう一度強くノックをすると、「手が離せないから、勝手に入って!」と勝ち気そうな大声が、家の中から聞こえた。
毎度思うが不用心だ。と、彼は憮然とした表情でドアを開ける。
ふわりと不思議な、嗅ぎ慣れた薬の類の香りが彼を包んだ。
家の中は四方を棚が囲っていて、そこには、書物やら得体の知れないビン詰めやら、奇妙な置物やらがびっしりと並べられている。入り口から入って向かい合う形でカウンターが奥との境界を作っていて、先ほどの大声の主は、カウンターの向こう側にある竈を覗き込んでいた。
「何をしてるんだ?」
「あら、カイン」
竈に突っ込んでいた顔を出したのは、彼と同じくらい若い女。すすだらけなのにも関わらず、溌剌とした切れ長の瞳の美人だった。柔らかそうな栗色の髪が、いつもはふわりと肩で揺れているのだが、今日はすすだらけで一つに束ねられている。
「帰ったの」
「ああ」
「どうだった?」
前置き無しにばんと聞かれて、カインは目を逸らした。
自分の顔に唾を吐いた金髪の少女の顔が、目の前に浮かんで消えた。
カインは、目の前の女にその話をする気は更々無かった。
「……いや、いつもと変わらない」
カウンター前にある丸椅子に勧められるまま腰かけると、カインはそう返事をして、話題を逸らす為に、持って来た包みをカウンターの上で滑らせた。
「……あら何?」
「城下町の女達の間で絹のグローブが流行っているそうだ」
女は、へぇ、ありがとう、と言って、パッと顔を輝かせた。
「ちょうど良かったわ! 煙突が詰まっちゃって! 手袋が欲しかったのよ!」
嬉々として包みを開けて、繊細なレースの施されたつやつやしたグローブをはめると、女が煙突の詰まり除去作業に戻ったので、カインは腰を浮かした。
「いや……リリス、それは」
「なに?」
既に竈にグローブを着けた手を突っ込んで、リリスと呼ばれた女が振り返る。その手を引っこ抜いたなら、既に真っ白だったグローブは見るも無残な様になっている事だろう。
カインはどうしたらいいか分からない遣る瀬無い気持ちで、
「いや、役にたったなら良い」
と答える事しか出来なかった。
リリスがニッコリ笑った。
「ええ、ありがとう。カイン!」
「俺がやろうか?」
「あらいいの? ケーキを焼いたら爆発しちゃって」
「ケーキは爆発しない」
「だって、したのよ」
カインは慣れているのか、諦めた様に「そうか」と頷いて、カウンターの中へ入り竈を覗き込む。
確かに何か丸い物が煙突内に詰まっている様子だった。
ホールケーキだとしても大きい、とカインは思った。
「何か……掻き出す物がいるな」
「箒とか? やってみたけど、石みたいに固いの」
「材料はケーキだよな?」
「そうよ」
「なんでまた」
リリスは料理は出来るのだが、菓子作りのセンスが無い。それは、分量を量るのが嫌いだからだった。が、それ以外にも何かあるに違いないとカインは思う。
「もうすぐ、アッシュが仕事から帰って来るでしょ?」
カインは竈から目を離し、リリスの顔を見た。
「……仕事に行ったのか?」
「そう。珍しくね。……貴方と同じ方向へ行ったハズだけど、すれ違わなかった?」
「……イヤ。なんだアイツ。水臭いな」
そう言いながら、カインは何となく萎えた気分だった。
成程。ケーキはアイツの為か。そして、俺はその後始末……。
……まぁいい。これをどうするかな。
カインは腰に差していた剣を鞘を着けたまま手に取り、それで試しに詰まっている物を突いてみた。
パラパラと焦げた灰が落ちて来て、彼は整った顔を少しだけしかめる。
しょうがない、と覚悟を決めて、窮屈な竈の中に身体を屈めて入り込み、思い切り剣を突きあげる。
ドゴッと音がして、手ごたえを感じた途端、黒い灰や焦げた何かがドッとカインに降り注いだ。
リリスが歓声を上げて、灰煙の中へ突っ込み、カインだけでもぎゅうぎゅう詰めの竈の中に身を捻じ込んだ。
カインは咳込みながらも仕方なく今までより更に身を縮めて彼女に僅かな場所を譲る。……抵抗するのは余計に厄介な事になるのを、彼は知っているのだ。
彼女は自分もカインと同じ様に灰で汚れる事など、ちっとも気にせず、おまけに、カインと身体が密着する事にも大して何とも思っていない様子だった。
城下町の彼のファンなら、失神してもおかしくない程の距離だ。
彼女は煙突内を見上げる。
柔らかい栗毛がカインの鼻先をくすぐって、ムッとする灰の匂いの中で清潔なハッカの香りを放った。
「ありがとうカイン、助かったわ」
誰もが息を飲む美形の彼と、鼻先がこすれ合いそうな至近距離で向かい合っても、彼女は全然動じない。それどころか、汚れたグローブをはめた手で、彼の真っ黒になった顔を一撫でしてあっけらかんと微笑んだ。
「……そうか。役に立てて良かった」
「あ、見てカイン」
今度は何だと、彼女が煙突内の上を指さした先を見上げた。
小さな丸い、灰色の空が見えた。
「空」
「空、だな」
「ここと変わらない色ね」
リリスは積もっている灰を一掴み手に取り、さらさらと零して見せた。
「空にいるのね」
カインはちょっと首を傾げ、彼女は何を言っているのだろう、と思う。でも、きっと分からないのだろう。ずっと、そうだった様に。
彼女はもう二十を過ぎて何年か経っていると言うのに、こういう風に時々少女の様な気まぐれな事を言ったりやったりして、彼の心を持って行く。
そうされると、彼もまた、少年時代を感じて胸が疼いた。
アイツなら、何と答えるのだろう。
……きっと、リリスの欲しい答えを……。
花の蕾の様だったリリスが、時を経た今、目の前で灰だらけだというのに彼を魅了し花開いている。
「……いや、竈の中だ」
カインは彼女からグッと意識と目を逸らし、味気なく返すのが精いっぱいだった。
※長谷川様よりアドバイスを頂いて、一部文章を訂正いたしました。
内容は変わっていません。
長谷川様、ありがとうございました!