馬に嫉妬
夕日が沈み、浅い夜が訪れ始めた平原に、ラルフが寝そべっている。
顔が、「死にたくないよぅ」と言っていた。
もぉぉ~! と言いながら、アシュレイがラルフの火照る胴体に大事な水を掛けてやっている。
ライラも心配そうにラルフの顔を覗き込んで、布で玉の様な汗を拭ってやった。
「こんな馬鹿馬だとは思わなかったよ!」
「ちょっと、そんなに言ってあげないでよ。可哀想じゃない」
ぷんぷんしているアシュレイを宥めながら、ライラはラルフを心配した。
ラルフはばててしまって、息を荒くしている。
瀕死の形相で、あらぬところに目線を泳がせている様を見て、ライラはそっと顔に布を掛けてやった。
ご臨終です、では無くて、ラルフを落ち着かせてやる為だ。
「ねぇ、大丈夫だよね?」
「知らないよっ、もぉ! クリスティンと交換なんか勿体無い!」
「ク、クリスティン?」
「僕んちの名馬だよ。あの村の村長と交換したって言ったろ? 家に着いたら、クリスティンじゃなくてコイツを突っ返してやろうかなっ」
アシュレイは相当怒っている様子で、無茶苦茶な事を言った。
それでは、ラルフはただ使い捨てられただけになってしまう。
ライラはムッとしてアシュレイを睨んだ。
「そんな言い方、ないんじゃない?」
アシュレイが不満そうにライラを見返す。
「なんで? コイツのせいで今日はここから動けないんだよ? 見なよ、日が沈む! 何の備えも無いのに野宿だよ! 御者の言う事を聞かない馬なんて今後信頼出来ないしさ!!」
「アシュレイ!」
「なんだよ? 僕は間違ってない」
「きっとラルフは頑張ってくれたんだよ」
ね? そうだよね? と、ライラがラルフの頭を撫でると、アシュレイが「うわ~っ!」と持っていた水筒を地面に叩きつけた。
「ぼ、僕だって頑張ってる!!」
なのに君は、君は……!! とモゴモゴ言って、アシュレイは力尽きた様にその場に座り込み、ラルフと同じ様に力なく寝そべった。
「……馬の味方ばっかして……」
いじけモードだ。
「ちょ、ちょっと」
「……やってらんないよ」
ライラが困っていると、傍でハミエルが大きな欠伸をした。
「つきあいきれねぇなぁ」と言った風だ。
そんなハミエルを見て、「全くだ」と思うとライラも口の端だけ上げ、荷を解いて中身を検分した。
「なんだ、敷布や毛布があるじゃない」
ライラは敷布を広げ、そこに荷袋を引きずり込むと、中に入っていたパンとハムとビンに詰まった野菜の酢漬けをサッサと出して、ナイフも見つける。
上等そうな良いナイフだった。鞘から刃を抜くと、夕闇の少ない光をぴかりと反射した。
ライラは見事な刃に自分の顔を映し、鏡の様にして乱れた髪を整えた。
そうしていると、ステージ仕度をしている気分になって、ふ、と刃に微笑んで見る。
「夕飯は大丈夫そう。アシュレイ、このナイフ使うわよ」
ふてっているアシュレイに一応断って、ライラはあぐらをかいて酢漬けを齧りながら、パンとハムを薄く切り分ける。
そうして大雑把にサンドイッチを幾つか作ると、しぶとく寝転がっているアシュレイにしゃがみ込んで差し出した。
「ほら、もうしょうがないでしょ?」
「て、手作り……」
「そうそう、ライラさんの手作り! 機嫌治った?」
もそ、と起き上がって、アシュレイは「もう少し」と言った。
付き合ってらんない!
ライラは呆れて、アシュレイを放って置く事にした。
今度はラルフの様子を見る。
ラルフはいびきをかいて眠っていた。
「お疲れ様」
ライラがラルフの鼻先をそっと撫でていると、じとっとした目線を感じる。
絶対アシュレイだ。
ライラは目を細めてじとついた目線に振り返った。
「なんなの?」
「ライラはさ、僕に優しくない」
「え?」
「ハミエルやラルフばっかり贔屓してる」
「ハミエルもラルフもあんたみたいに馬鹿言わないからね」
「僕は馬鹿じゃない。純真なだけだ」
よく言う、とライラは苦笑いした。
アシュレイは確かに馬鹿じゃないかも知れない。
でも、純真とは程遠い気がする。百歩譲って「欲望に素直」とか?
でも、こんな言い合いライラは面倒臭くてしてられない。
だって、夜闇でそろそろ辺りは真っ暗になりつつある。
「分かった。アシュレイ、あんたは純真。だから、明かりを点けてくれない?真っ暗で何も見えなくなっちゃう」
ふぅ~、とアシュレイが重い腰を上げた。
彼は、何だか物凄く恩着せがましい態度でランプを点けると、敷物の傍に置いた。
ライラは靴を脱いで敷物に落ち着いた。膝にハミエルが乗る。
アシュレイも、ブーツを脱いでライラの横に座った。
必要以上に距離が近い気がするけれど、ここで邪険にしたらまた面倒臭そうだと思って、ライラは黙っていた。
それよりも、サンドイッチだ。お腹が減った。
ハムをハミエルに与えながら、ライラはサンドイッチにぱくつくとハムの塩気に微笑んだ。
「美味しいハムね」
「うん。君の街に行く前の街で買ったんだ」
「アシュレイはその街に用事があったの?」
そう言えば、こういう話をしていないわ、とライラは今更気付く。
だって、馬鹿な事ばっかり言ったりやったりして、させてくれなかったし……。
「そうだよ」
アシュレイの返事は短かった。
「何しに?」
「そりゃ、仕事さ」
どうやらその街からの妖魔封じの依頼を済ませた後に、ライラの街へ寄ったらしかった。
「仕事帰りだったんだ」
「うん。本当はライラのいた街は通り過ぎようとしたんだけど、封魔した妖魔が意外と手強くてさ。疲れて帰る途中で一泊増やす事にしたんだ。でも良かった。ライラに会えたもんね」
「……あたしも、あんたに会えて感謝してる」
本当!? と、アシュレイが目をキラキラさせた。
「本当。自由にして貰ったし、ダイアナを助ける為に協力してくれて感謝してる」
あ~、そういう……。とアシュレイは少し不満気だったが、気を取り直した様にライラに別の話題を振った。
「ダイアナってどんな娘なの」
「ダイアナ? ダイアナはね……」
暗闇の中、ぽっかり居場所が出来た様な明かりの中で、ライラはアシュレイにダイアナの話を始める。
話す事で彼女との距離を、縮める事が出来る気がして。
離れ離れになってまだ数日。
それなのに、こんなにも彼女が恋しい。
だからライラは、自分とダイアナの軌跡を辿る事にした。