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セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
ライラとアシュレイ
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六角塔のライラ

 小さな街で、いつも通りに夕日が沈む。

 そうすると、ライラの時間だ。

 ライラは自分に与えられた部屋の六角窓から沈む夕日を眺め、微笑んだ。

 傍らには子供の狼が、彼女を黒く透明な丸い目で見上げている。


「さぁ、ハミエル。あたしの時間よ」


 クンと喉を鳴らす子狼の頭をわしわし撫でて、ライラはニッコリした。


「いい子ね。ハミエル」


 磨き上げた肢体を見せびらかす為に作られた踊り子の衣装をつけて、ライラは姿鏡の前に立ち、自分を映す。

 姿鏡には、背まで伸ばした薄い紫色の髪と、年に似合わずあだっぽい濃い群青の目をした少女が映っている。

 数年前に、幼い彼女に目を付けた酒場「六角塔」の主人は、常人なら決して足を踏み入れない【市場】で彼女を高値で買うと、その容貌にちなんで「ライラ(夜)」と名付けたのだった。


 足元にハミエルがすり寄って、鏡ごしにライラと目を合わせた。


「どう?」


 ハミエルは狼のくせに尾を振った。

 ライラは微笑んで、背の低い古ぼけたチェストの上に置かれた小箱を開ける。中にはキラキラ光る安っぽいアクセサリがたくさん。けれどこれは全部店の物だ。その内の一つを適当にひょいとつまんで、艶めく胸元と小ぶりな耳たぶを飾る。


「今日は若い男たちがたくさん来るらしいの。この辺に狩りをしに来たんですって。誰か素敵な人が、あたしを気に入ってくれると思う?」


 ハミエルはぐるると唸って抗議した。


 あはは、とライラは笑って「大丈夫よ」とハミエルを抱き上げる。

 抱き上げられる位、ハミエルは小さかった。


「もしそうなったら、ハミエルも一緒だよ」


 キャン、とハミエルが吠えた。


 一人になんかしないからね、と頭を撫でるライラに、ハミエルはそれでも気に入らないのか、クンクン言って首筋に鼻を寄せてぺろぺろ舐めた。

いつもより執拗だったので、ライラは笑ってハミエルの口元を手でそっと押さえ付けた。


「くすぐったい。ダメ」


 彼女はハミエルをベッドにおろすと、再び鏡に向き直り、長い髪をグッと持ち上げてアップスタイルにまとめる。

 色気を添える為、幾筋か後れ毛を首筋や背中に遊ばせた。

 くるりと回って鏡で全身をチェックすると、彼女は満足そうに微笑んで、

「おりこうにしていてね」とハミエルに声をかけ部屋の木戸を開ける。


 ハミエルはクゥ、と鳴いて「お座り」の姿勢で木戸が閉まるのを見ると、ライラの先ほどまで着ていた服の中に鼻を突っ込んで、うふっと笑った。

 ハミエルは笑う事の出来る狼だった。


 これは、ハミエルだけの秘密である。



             *  *  *  *  *  *  *



 狭苦しい石のらせん階段の下から、「ライラ―!」と、溌剌とした声が響いた。


「ダイアナ、今行くわ」


 らせん階段を降りると、十数人の女達がライラと同じく踊り子の服を身に着けて暗がりに控えている。 年齢層はまばらだが、皆、男達の視線に磨かれた立派な〈女〉の姿をしている。

 階段の下でライラを待っていたのは、見るからに明るそうな、金髪の大きな蒼い目をした少女だ。


「今夜も満員よ」

「そう。ダイアナ、あたしのおひねりをくすねないでよ」


 ライラはダイアナが首に付けている新しい首飾りにひょいと指を引っかけて微笑んだ。


「あら、わかっちゃった?」

「もう少し我慢すればバレなかったかも」

「だって、最後の一個って言うの」

「買い物下手ね。ねぇ、ダイ!」


 ライラはカーテンの先をちょっと覗いて小さく歓声を上げた。


「満員ね!それに、若い男たちばかりじゃないの」


 ダイアナがうふふ、と笑い声を上げて、ライラの後ろから抱き着いた。


「どうする? ライラ。あの中に、運命の人がいたら」

「あなたこそ」


 明るいランプの光をハリのある艶めく肌に反射させながら、二人の娘はふふ、と寂しげに笑った。

 彼女たちは分かっているのだ。

 彼女たちはこのカーテンの向こうの光の中では無く、今いる楽屋の暗がりに属する者たち。


 もしも仮に自分を気に入ってくれた人がいたとしても、彼女たちが歌ったり踊ったり出来なくなるまで稼がなくてはいけない大金を払える男は、そうそういない。

 彼女たちを観に来る男達も、それを分かっているから、本気で愛したりなんかしてくれない。ただ一夜限りの残酷な視線を投げるだけだ。


「行こう。ライラ。今夜も誰かの心を慰めようじゃないの」


 ダイアナがおどけて言った。ライラもおどけてダイアナの腕に腕をからませる。男に使えば一発で心臓を貫く自信のある、お得意の媚顔をしてふざけた。


「誰もあたしたちを慰めてはくれないのにね」


 音楽が鳴って、先走った口笛が響く。


「あら、私がいるじゃない」


 ダイアナがウインクしてライラを指で小突いた。


(そうね。あんたがいるわ)


 ライラは微笑んで、ダイアナと腕を組んだまま、女達の群れに混じりカーテンを潜る。


 先は明るいステージ。



           *  *  *  *  *  *  *  *



 安っぽいかき集めの演奏家達の曲に身体を弾ませながら、ライラは客席のランプの光に目を細める。

 群れて出て来た刺激的な踊り子たちに、既に酒で出来上がった観客が沸いた。

 踊り子たちがにこやかに踊り始める。

 ライラも、ダイアナも、微笑んで踊る。


 男達がステージに手を伸ばす。

 踊り子たちはスラリと伸びた白い足を、景気よくその手に触れさせる。

 湧き立つような音楽が、酒と興奮の匂いに混ざり合い、ランプの光がグルグル回る。踊り子たちは客をトリップさせるのに成功させると、ステージを順に降りて、舞いながらテーブルを巡回する。

 彼女たちの柔らかい膨らみとそれを包む衣装の間に、男達は下心を詰め込む。ビール一杯分位のはした紙幣だ。

 それでも、彼女たちにとっては大事な糧だ。

 踊り子たちはまんべんなくチップを貰う為、男達に微笑む。精々身体をくねらせて、男達を煽る。


 そうして気が済むと、踊り子たちはステージに戻ってカーテンの向こうに消えた。ライラだけがぽつんと残される。


 ここからが、この「六角塔」の本来の見せ場だ。


 まだ興奮の冷めやらない空気の店内を、ライラは見渡した。


 一つのテーブルで、若い男がつまらなそうに頬杖を付いた。


「なんだよ、もっとやれよ。それとも、あの娘が脱ぐのかな。どうせなら、皆で脱げばいいのに」


 シッ、と別のテーブルの男が人差し指を立てて注意した。


「知らないのか?この店の歌姫はここらじゃ有名だぜ」


毒づいていた若い男が、へぇ、と言って酒を飲んだ。

素直に彼女に興味深げな視線を投げるその瞳は、暖かな茶色。


あの娘、歌うんだ。


ライラは微笑んで、両腕を地面に水平にし、足をクロスさせて深く首を垂れた。紫色の後れ毛が、ランプの灯の中でゆると揺れた。


彼女は顔を上げながら声を出す。

その声に、観客はゾッとして興奮を冷ます。

茶色の目の男も、酒瓶を片手に固まった。


低く、高く、震わせ、翻し、ゆっくりと、早く、うねらせ、真っ直ぐに。


静まり返った場の中央(位置的なものでは無く、店内全ての存在の中で、という意味)で、ライラは心だけで薄く笑う。


今夜も自由自在。

誰にも出せない、あたしだけに与えられた声。


短い歌が終わって、彼女の次の声を皆が貪る様に欲する中、おどけた旋律が始まった。


彼女は「驚かせてゴメン遊ばせ」と言った風に、楽しげな歌を歌う。

店内は緊張が一気に解けて、今度はなごみだした。

「六角塔」は紳士・淑女のインテリ欲を満たす為の場所じゃない。

だからこうして、楽しい歌で、楽しまなければ。


皆が魅了され、身体を揺する。


ライラは声を奏でる。


そうして思う。


あたしが歌えば、思い通り。

……今夜も、私の自由自在。



でも、心はいつも、別の歌。



 〽

  あたしたちは明るい踊り子。

  でも、あんたたちはカーテンの向こうを覗いた事がある?

  誰か気付いてよ。

  あたしのカーテンを捲って。

  うす暗がりの中、手を伸ばしているあたしを見つけてよ。

  そんなに見詰めるなら、ここではないどこかへ、連れて行って頂戴……。



      *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


 大きくはない街の薄暗い一角に、六角塔を添えた酒場がある。

 その酒場は毎夜、踊り子たちがステージで踊る事で有名だ。

 その華やかさとは裏腹に、踊り子たちは金で買われた孤児達で、六角塔に住まわされている。

 皆、その事を知っている。

 だから、酒場にはもっと他に名前があるのだけれど誰もその名で呼んだりしない。

 皆、その酒場を「六角塔」と呼ぶ。

 

 他人行儀に、踊り子たちを憐れんで。

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