コンプレックス
ばしゃん、とライラは小川に足を突っ込んだ。
アシュレイに急に引き止められて、バランスを崩したのだ。
ぱっと跳ねた水滴が顔に掛かって、ライラは正気を取り戻す。
先ほどまで耳元で響いていたクスクス笑う声が掻き消えて、ライラは瞬きした。
小川の向こうの草むらで、あの可愛い小さな女の子がちょっと拗ねた顔でこちらを睨んでいる。
「あ、あたし……」
アシュレイがライラの横にサッと並んで、彼女を片手でぐいと引き上げると、自らが小川をヒョイと飛び越えた。
「あ、アシュレイ?」
小さな女の子が、近づいて来るアシュレイを見てケラケラ笑った。笑いながら、今度はライラにやった様に腕を回してステップしながらアシュレイを誘っている。
アシュレイは何故だかちょっとぐらついたけれど、左腰に片手を当てた。
彼の後ろ姿と動きを見ながら、まるで腰から剣でも抜くみたいだ、とライラは思った。
小さな女の子が、ぴく、と動きを止めて悪戯に微笑んでいた頬を緊張させた。
アシュレイがジリジリと足の幅を広げながら腰を落とす。
何をしているのかしら?とライラが首を傾げたその時、アシュレイの身体からジワリと黄金色の光が滲みだし、彼の足元から不思議と風が立ち上り、髪が微かに逆立った。その風は小さな女の子の蔓草の髪まで届き、飾られた可憐な花々がりんりんと揺れた。
小さな女の子が、後退った。
途端、アシュレイがサッと腰に当てていた手を横に薙いだ。
ヒュッ
ライラが瞬きする間も無く、小さな女の子が消えて、代わりにアシュレイの薙いだ先の手に緑色の光が掴まれている。
緑色の光には、小さな桃色や黄色の光の粒が飾りの様に取り巻いていて、ライラは「ああ、あの娘なんだ」と思った。
アシュレイは、あの娘を捕まえたんだ。
彼から起こったふわりとした風の余韻が、ライラの髪を後ろに優しく引いた。暖かくて優しい、とても心地良い風だった。
アシュレイが態勢を直して真っ直ぐ立つと、ライラは小川を飛び越えて彼の傍へ寄った。
「捕まえたの? どうやったの?」
「封魔だよ」
「封魔だよって、」
あれぇ、言ってなかったっけ?とアシュレイが首を傾げた。
呑気そうで、とても先ほどの不思議な技を使った者には見えない。
「封魔師って知ってる?」
「知ってる。でも、あんたが……?」
疑いつつも、実際そうするところを見せられたのだからライラに疑う余地は無い。彼は『封魔師』なんだろう。
存在を噂でしか聞いた事が無かったので、ライラは正直に驚いた。
「初めて見た」
はは、とアシュレイが笑った。
「だろうね。昔は活躍していたみたいだけど、妖魔が減ったからね。このままセイレーンが見つからなきゃ、僕たち『封魔師』も消えるだろうなぁ。そうしたら、ライラが喰わせてくれる?」
「なんであたしがあんたを喰わさなきゃいけないワケ?」
「だって助け合わなきゃ」
「お断り!ヒモならもっとマシなヤツがいい」
「ヒモじゃないよ! ちゃんと色々頑張るよ! 僕は家庭的だから、家事全般やるプラス君だけをフォーエバーラブだよ! これはかなりいい物件だ! だから養っておくれよ! あだだ、は、ハミエル! 痛い痛い!」
アシュレイがライラに縋りつこうとしたところを、ハミエルが駆けて来て足に噛み付いた。アシュレイの皮のブーツは、もうハミエルの牙の痕でボロボロで、所々穴が空いていた。
アシュレイが憐れっぽい声を出して足を振っても、ハミエルはガッチリ噛み付いて離れない。
「ああ!また新しい穴空けやがった! ライラ! 助けてよ!」
「ほら、ハミエル。アシュレイはふざけてるだけだからおいで」
ライラに呼ばれて不服そうにハミエルが顎の力を抜くと、アシュレイはダッシュで小川の向こうへ飛んで行き、振り返りキリッとした顔をした。
「ふざけてなんか無いよ」
「……」
呆れかえって溜め息を吐くと、ライラも小川を飛び越える。ハミエルが忠実に彼女の動きに合わせてついて来た。
ライラは「真剣だ」と真剣な顔で言うアシュレイに「はいはい」と適当に頷いて、彼の掴んだままの光を覗き込んだ。
「それは妖魔なの?」
「うん。パリゼットだよ。こいつら森で人を惑わすんだ」
彼は手の中を覗き込むライラに、捕まえた光を見せてくれた。花の色をポツポツ纏った緑の光は、微かな強弱を付けながらほわほわと光っている。
「……キレイ」
「可愛いけど、タチが悪いよ。殺人もするからね。でも、森のエキスパートだから、近道を教えて貰おう。半分の労力と半分の時間で森を抜けれるよ」
アシュレイはそう言うと、パリゼットを捕まえていた手のひらを上向けて開いた。
光が震え、クルクル回る。
何も起きない。
チッ、とアシュレイが舌を鳴らす。
「どうしたの?」
「抵抗してる」
「今更?どうして?」
「……」
アシュレイは目を細めて拗ねた顔をしている。
「ちょっと、待ってて」
「?」
アシュレイは何度も何度も手のひらを上向け、「ふん!」「ふん!」と力んだ。……でも、光は先ほどと同じようにふるふる揺れて回るだけで、何も起きなかった。
「くっそ~、出て来てお願い!」
「……あんた、ヘボ『封魔師』なのね」
「ち、違うよ! 僕はエリートだよ! ホントだよ!」
「じゃあ、何がしたいの?」
「ら、ライラと」
「イヤ」
アシュレイはシュンとして、手のひらの中の光を見た。
ライラも、彼の手の内にある光を眺める。
「捕まえたから、怒ってるんじゃない?」
「いや、違うんだ……パリゼットはハンサムが好きなんだ……」
アシュレイがガックリ肩を落として呟いたので、ライラは笑い出しそうになったけれど、少し可哀想だったので堪えた。それでも顔が引きつってしまい、アシュレイに悲しそうに見られて両手で口を押える。
「……どうせ」
「ううん、アシュレイ! そんなに悪くないよ」
ライラが慌てて言うと、アシュレイは「嘘だ!」と喚いてその場にしゃがみ込んだ。
「ア、アシュレイ……」
「どうせ僕は平凡だよ。久しぶりに会ったら『誰だっけ?』って言われるレベルだよ」
「そんな事は……」
確かに見た目は平凡だけれど、ライラはアシュレイに久々会っても、『誰だっけ?』にはならないんじゃないかと思う。
だって、中身がこれだもの。忘れようがなさそう。
「でも頑張ってるんだ。着けているだけで筋肉が付くベルトとか通販で買って頑張ってるんだ」
「……価値があると思ったわけ?」
「そうさ。僕は自分への投資に出し惜しみしたりしない」
「そう。ええと、偉いわアシュレイ」
ライラは困ってしまって、彼の傍に一緒にしゃがみ込むと、肩をポンと叩いてやった。アシュレイはふんと言って、口を尖らせた。
「でも、結局筋肉はあんまだった」
「……べ、ベルトが不良品だったんだね」
うん。とアシュレイは大きく頷くと、「くそっ」と空いてる拳で大地を打った。
「高かった」
……もう、早く終わんないかなぁ。とライラが思っているのに一向に気付く様子も無く、アシュレイはクダを巻き続ける。
「学生の頃だって、トップは僕だったのにアイツばっかモテてさ。不公平だ」
「アイツって?」
アシュレイに学生時代があったのか、やっぱりボンボンなんだわ、とライラは内心思いながら、好奇心で話を促した。
「カインだよ。ほら、君だって見惚れてたろ? <セイレーンの矢>」
「ああ……」
白馬にまたがる金髪の騎士の凛々しい姿を思い出して、ライラは頬を染めた。だって、王子サマみたいだったから。
アシュレイがその顔を見て更に深く肩を落とす。
「ほらね……言っとくけど、王都に着いてもアイツとは会わせないからね。ライラは待機だよ」
「え!?なんで!?」
「絶対会わせない。ダメ。絶対」
「あ、あのね……」
「アイツはホモだ。だから諦めて」
「……だったら、あたし会ってもいいよね?」
「ダメだ!」と珍しく強い口調で言ってから、アシュレイはハッとして「そうだ」と手の中の光を見た。
「パリゼット、僕たち森を早く抜けて王都に行きたいんだ。王都には超イケメンがいるよ。力を貸してくれたら、会わせてあげる。そいつ『封魔師』なんだ。乗り換えてもいいよ! どう?」
アシュレイが言い終わる前に、彼の手のひらの光がひゅるる、と元気よく回転した。それから、ふわりと光に後輪が出来、上昇すると、先ほどの小さな女の子が彼の手のひらの上に現れた。
黒目がちなエメラルドの様な瞳を、キラキラと輝かせている。
アシュレイは自分の提案の効果に少し苦い気分なのか、微妙に顔を引きつらせて微笑んだ。
「力を貸してくれるね?」
小さな女の子がクスクスっと笑って、彼の手のひらから飛び降りた。トコトコと光の片鱗を落としながら、道では無い方へ歩いて行き、微笑んでおいでおいでをする。
よし、と言って笑い掛けて来るアシュレイに、ライラも笑い返した。やっとアシュレイのイジケから解放されると思うと、自然と笑顔になれた。
「良かったね!」
うん、と凛々しく頷いて、アシュレイは馬と荷物の方へ駆け寄った。
馬はまだダラダラしていた。
「馬! 行くぞ!」
初対面の時より厳しめに言うアシュレイに、馬は「え~、もう?」と言う顔をしている。様な気がする。
「ほら、立て馬!」
なんじゃこら、命令すんなとばかりに馬は嘶くと、ドヤアとばかりに立ち上がり前足で地面を掻きながらアシュレイに威嚇する。
「うわわ、う、馬が……じゃじゃ馬に! ライラがうつった」
「失礼ね。へっぽこ封魔師! ……ほらほら、ラルフ」
ライラが馬に呼びかけながら横腹を撫でてやると、馬はどうぞとばかりに大人しくなった。
「ラ、ラルフ?」
「今名付けたの。名前が無いと不便でしょ?」
アシュレイは何故だか不服そうだ。
「ラルフって、狼って意味だよ? コイツは馬だ」
「いいじゃない。狼が世界で一番好きなの。ね、ハミエル」
ハミエルは狼のクセに尻尾をぶんぶん振って、ライラの足に頭を擦り付けた。「おれもらいらだいすき」と言ったところか。
「……ずるい……僕だって名付けて欲しい……」
「あんたはアシュレイでしょ」
「ア、アッシュって呼んで」
「気持ち悪い。さ、ヘッポコさん、行きましょう」
「な、なにそれ。愛が無い……」
ライラは笑って、馬の鐙に足を掛けた。
アシュレイが「ウルフって呼んで」と言っていたけれど、ライラは聞こえないフリをした。
パリゼットが、草むらから可愛くおいでおいでをしている。
* * * * * * * *
少しずつ、あんたの事が分かって来る。
そしたらその分、自分をイヤになる。
欠点を数えちゃうんだ。
あんたのじゃないよ。(そりゃあ、数えきれないけれどね)
どうしてそんな事をするのかって言うとさ、良く解らないのだけど。