ご褒美と森のお誘い
途中、アシュレイや村の女将さんが言っていた通り森に入った。
ライラは森の中を見るのは初めてだった。
木々が生い茂り、日の光にキラキラしている。
さわさわと音がして、そこから青い匂いの風が彼女に吹いてくる。
アシュレイは夜の森をキケンと言ったけれど、とてもそうは思えなかった。
ライラはアシュレイに捕まりながら、高い木々を見上げ、深呼吸をした。
道が悪いので、馬はゆっくり走っている。
それが余計に森ののどかさをライラに感じさせる。
ライラは心が解れそうになる事に罪悪感を感じてアシュレイを急かした。
「ねぇ、もっと早く走れるでしょ?」
「出来なくは無いけど、馬の脚は軟いんだ。なんかに躓いて転んだら徒歩だよ。そしたら間に合わなくなる」
「でも」
「時間はまだあるよ」
「……分かった」
あれえ?とアシュレイが前を見ながら笑った。
「なによ」
「いや、素直だなと思って」
「だって、しょうがないんでしょ?」
「そうだね」
なによ、と思いながら彼を見上げると、首筋に薄っすら汗をかいていた。
襟足の茶色い髪が、うなじに張り付いているのを見て、ライラは少し申し訳なく思った。
アシュレイは朝から休み無しで馬を御して走り続けている。
森に入る前に、宿の女将さんの包んでくれたサンドイッチを昼食代わりに食べた。それすら、馬を小走りにして馬上で。
その時太陽は既に空の頂点に達するところだったから、もう昼はとっくに過ぎている。
ライラは乗っているだけでも疲れていたから、アシュレイはきっともっと疲れている。
キュン、とライラの後ろの荷物からハミエルの情けない鳴き声が聞こえて来た。
キュンキュンキュン……
ハミエルも疲れちゃったよね。ずっと袋の中に押し込められているんだもん。
「ねぇアシュレイ、休憩しなくて大丈夫?」
アシュレイがまた笑った。
「なぁに?急げとか休めとか、忙しいなライラは」
ライラは唇を尖らせる。
アシュレイの言う通りだと思った。
あたしは自分勝手なんだ。
それとも、考え無し?
ダイアナに良く言われたっけ。
「あなたは考え無しだからっ」て。
あたしの気持ちはコロコロ変わる。
急げと言うのも本音だし、休めと言うのも本音。
でも、そこに辿り着くまでの経路がいつも単純過ぎる。
良く見もしない、考えもしない。
ただ、思いついた事を思いついたまま言って、要求を通そうとしてる。まるで子供。
ううん、子供だってもう少し思いやりってモンがあるかもよ。
アシュレイはほとんど無関係な事で、かかなくていい汗をかいている。
旅なら彼の方が慣れているに違いないのだから、もっと彼を信じて、道中の采配を任せた方が良い。余計な事を言って煩わせる事も無いだろうとライラは反省した。
「ごめんなさい」
ライラは素直に謝った。とても、小さな声だったけれど。
「もうすぐ、休憩場所だからそこで休むよ。馬も限界だしね」
聞こえなかったのか、聞き流したのか、アシュレイが言った。
彼から見えないのは分かっていたけれど、ライラは頷いて後ろの荷物を振り返る。
袋の口からハミエルが顔を出していて、キュンとライラに鳴いた。
「もうすぐ休憩だって」
ライラはハミエルに微笑むと、森の景色を眺めた。
あたしは、あんまり良いところが無いなぁ。
アシュレイはあたしにどんどんガッカリしていくのかも知れない。
そんな事を、何となく思った。
* * * * * * * *
小川が横切る拓かれた場所へ辿り着くと、ライラはアシュレイの手を借りて馬から降りた。地面に足を付けると、その安定感にホットして、ライラはふー、と息を吐いた。
「乗合馬車のが良かったろ?」
アシュレイが微笑んで言って、蟹股気味で小川に馬を引いて行く。
馬はがぶがぶ水を飲んで、満足するとだらしなく横になった。
勘弁してくれとばかりに長い首まで草に投げ出して、口元にそよぐ草を器用にはんだ。
馬は村長に大事にされてきたお坊ちゃまなのだ。
彼は今朝まで、柵から出て思い切り駆けてみたいという夢があった。
なので、「ちょっと冴えんがコイツ(アシュレイ)が主でもいっか」と思っていたが、もう既に厭になって来ていた。
このお坊ちゃま馬は、自分が基本だらけるのが大好きなのだという真理に辿り着いていた。
彼はやるせない思いで地面にグネグネする。
おうちに帰りたい。帰りたいよ。今急に走り出したら帰れるかもしれん。
でもなぁ、めんどい。
「やだ、なにその恰好」
ライラは馬が横になる様を初めて見たので吹き出した。
「あんたの本性見ちゃったぞ」
馬の頭の傍に屈んで、鼻先を撫でてやると少し湿っていた。
「……お疲れ様」
スカートで顔を拭ってやる。大きくて穏やかな目が、ライラを映してゆっくり瞬きした。
馬は思った。「ええ娘や」と。
傍にハミエルが来て、馬に嫉妬して頭を撫でろと押し付けて来た。ライラは愛しい親友の頭を撫でて、抱き上げる。
「ハミエルも、お疲れ様」
傍にアシュレイまで来て「疲れた~」「疲れた~」とライラの方をチラチラ見ながら言うのにはイラッとしたが、彼女は心を落ち着かせた。アシュレイは頑張ってくれたのだから。
「お疲れ様。足、変な歩き方だったけど大丈夫?」
アシュレイは不服そうな表情をした。「そいういうんじゃなくて」と言う顔だ。
なんなのよ?
「僕、頑張ったんだよ」
「そうだね。お疲れ様。本当に、感謝してる」
違うよ!!とアシュレイは地面を両手で叩いた。
ライラは軽く心と身体を彼から引かせた。
「な、なんなの?」
「……僕も撫でて欲しい」
ライラはハッとした。そして、自分の鈍さを呪った。
アシュレイは「あのテンション」になっている!
「馬や犬が撫でて貰えるのに、僕だけ不公平だ!!」
『おおかみ!』と言いたげにハミエルが唸った。
「ば、バカ言わないでよ、あんた大人でしょ?」
バカはどっちだ、目を覚ませ!とアシュレイが片手を胸の前に、もう片手をライラに突き出して大声を出した。
梢にいた小鳥たちが一斉に飛び立った。
「おかしいよ!慈しみ合うのに人も獣も関係無い様に、大人だろうが子供だろうが、頑張ったヤツの頭は撫でるべきだ!撫で合うべきだ!という事で僕は君の頭を撫でてあげるから、君も僕の頭を撫でなさい」
そう言って身を乗り出すアシュレイに、馬が猛然と立ちはだかった。
ライラの膝で、「まじでくたばれ」とばかりにハミエルが牙を剥いている。
「う、馬が……!?」
貴様踏みつぶしてやろうか一蹴りで貴様の背骨なんぞボロボロだぞ、と馬は嘶いた。
「く、ご主人様は僕なのに」
馬と睨み合うアシュレイをかなり呆れた気持ちで見ながら、ライラは苦笑いして、さっさとハミエルと小川の水を飲みにその場を離れた。
「なんなんだろうね、あの人」
ふん、と鼻を鳴らすハミエルに小川の水をぴしゃんと跳ねさせてからかうと、ライラは水を手ですくって飲んだ。
冷たくて甘かった。
サッパリしたくて顔も洗って腕で拭っていると、ふと視線を感じて顔を上げる。
「いいか、お前なんか規格外で無理無理!」
とアシュレイの訳の分からない台詞が聴こえて来たが、ライラは小川の向こう側の木に群生する草むらをジッと見据えた。
チラ、と何かが動いた。
ウサギかしら?
ライラはそっと立ち上がり、首を伸ばす。
また、チラッと何かが草むらで動いた。
「?」
ライラが眉を寄せて目を細めていると、それは唐突に草むらからひょ、と顔を出した。
ライラは初め、それが女の子の人形か何かだと思った。
でも、動いている。
ライラと青い目を合わせると、頭を揺らしてクスクスっと笑った。
ピンクのかかった肌のすらりとした身体に、草ツルと花の鎖を巻いて、それ以外は何も身に着けていない。自分の体つきと変わらないその造りに、ライラは彼女が小さくても自分と同じ年頃なんだ、となんとなく思った。
髪は、髪と言うよりかは身体に巻き付けているのと同じ草ツルと花をこんもりと頭に乗せて、華やかに風に揺らしている。
クスクス笑う笑顔がとても可愛らしくて、ライラも思わず微笑み返した。
それは自分の正面を煽ぐ様に両手を回し、ライラを誘う仕草をした。
なんだろう?
好奇心に、ライラは小川を越えようと足を上げる。
ハミエルが、唸っている。
「シ、逃げちゃうから」
ぐるる、とハミエルは不満そうだ。
不思議で小さな女の子は、まだライラを踊る様に誘っている。
ライラは酒に酔った時と同じ良い気分で、何故だか頷いた。
奇妙な事にクスクス、と笑い声が耳元でしたけれど、ライラはちっともおかしいと思わなかった。
―――思えなかった。
「待ってて……」
すぐ、そっちに……。
「ダメだよ、ライラ!」
アシュレイの声がして、ライラがハッとした時には既に、彼女は小川を跨ぐ寸前だった。