遊び心
ライラが歌っている。楽しそうに、気持ちよさそうに。
彼女は誰にも邪魔されずに、ライラの歌を好きなだけ聞く。
そうして、自分も出来る気がして歌い出そうとすると、夢はいつも終わってしまう。
でも、今夜の夢は、一味違った。
海に突き出した崖の上で、ライラが風に吹かれながら月を見上げ、両腕を伸ばす。月光がライラの大人の様な、子供の様な、危うげな横顔を照らしている。
彼女はそれを見ている。
違う、違う、と思いながら。
ライラは歌い続ける。
彼女は違う、そうじゃない、と強く思いながら、腕を伸ばす。
ライラがこちらを見た。ライラの口は閉じているのに、歌声は止まない。
では、誰が歌っているの?
ライラが笑った。
そうして、こう言うのだ。
「あんたの声はアヒルみたいね」
* * * * * * * * * * * * *
ダイアナは目を覚ます。目頭にチリと刺激のある水滴が溜まっているのに気が付き手で拭おうとして、両手が自由では無い事に気付く。両手は前で縛られて、その縄の先は少し距離を置いて寝そべるカインの片腕に固く縛られている。冷たくなった滴が、目尻から耳へ流れた。不器用に起き上ると、縄が動いて、カインの腕に微かな振動を送った。彼が無機質に目を開ける。
「起きたか」
横になったまま、カインが笑って腕を引いた。結び付けられた縄に引っ張られ、ダイアナはよろめいた。
「昨夜は面白かったな。お蔭で全然寝れなかった」
ダイアナは彼に聞こえる様に舌打ちして、顔を背けた。
「四度も逃げようとした。入り口から、杭と杭の間から、テントを引き裂こうとし……あれは無謀だったな……でも、穴を掘り出したのは、傑作だった」
あんたはウサギか、と言われて、ダイアナは彼を睨み付けた。
「あなたなんかと寝たくなかったからね。このクソ!」
「誤解を招く様な言い方するな。俺は一晩中大声で笑いたいのを必死で堪えただけだ」
「私はあなたをぶっ殺してやりたいのを必死で堪えたわ」
ダイアナは思い切り腕を引いて縄を引っ張ったが、彼の腕は余裕でプラプラ揺れるだけだった。
* * * * * * * * * *
カインは彼女が簡単に命乞いをすると甘く見ていた。
審判の事が女達に知れたら面倒だ。ならば、隔離するしかない、とカインは考えた。
彼女の踊る姿を見て、それなりにそそられたし、話をしてみたら面白かった。だったら抱いてみようかと思ってテントに留まらせたものの、強情そうに顎をツンと上げて座り込む彼女を見て、すぐにその考えを捨てた。
彼は自分が女を喜ばせる容姿なのを知っていたし、幾つかの口説き文句も持っていたが、先ほどの問答から彼女が簡単にそれに落ちないだろうと思った。
自分に気の無い女を抱くのは骨が折れる。泣いたり喚いたり、暴れられるのは面倒だった。それも飛び切りじゃじゃ馬そうだ。
だからカインは、からかうだけにした。
ただの気まぐれだったがとても楽しかった、と彼は満足した。
ダイアナはというと、皆を助けられないかも知れない、と気が焦っていた。皆だけじゃない。自分の命も危うい。溺死なんて、想像するだけで恐ろしい。その胸中が分からない訳では無いのだろうに、喉で笑って自分を面白がっているカインに空恐ろしさを感じていた。
良い人なのか、悪い人なのか判らない……。
それに……。
彼の腕に繋がれて、いよいよ獣の様に唸りながら飛び掛かろうとしたダイアナの腕を釣り上げる様に持ち上げると、カインはイタチごっこに飽きたのか「もう寝ろ」と言っておかしな術を使った。
空いている方の手を額にやり目を閉じて、何かを掴みだす様に拳を握った。
なにをしているのだろうと見ていると、拳をダイアナの前に持って来て手のひらを上にしてそっと開いた。
彼の手のひらの上で、緑色の渦を巻いた小さな風の様なものが、クルクルと回っていた。
「!?」
目を見開いた矢先、色の風がサッと上空に渦巻きながら立ち上がり消えた。
後には小さな人が、ちょんと立っていた。グラス程の背丈で、長い緑色のローブを纏って裾から先の上向いた所にボンボリのついた靴を履いている。それは緑色の目をダイアナと合わせると、サッと何かを振りかけて来た。
「きゃっ」
と声を上げたのと同時に、物凄い眠気に襲われた。
そんな馬鹿な、と眠気の中で思いながらカインに身体を支えられた所で意識が飛んだ。
* * * * * * * * * *
「あの時、何したの?」
「言っておくが爆睡している女に手は出さんぞ」
爆睡、とダイアナは顔を赤らめた。イヤ、違う、そんなのこの際どうでもいい。
「あれは何だったの?小人?」
昔にダイアナの見た小人は、昨夜見たものよりも小さかった。人差し指くらいだったと思う。それに、あんな粉をかけて来たりせず、姿を見つけられるとぴゅっと逃げて行った。
「サンドという妖魔だ。否、妖精かな?」
「妖精?」
好奇心に、ついつい聞き返すとカインが頷いた。
「なんなのかは知らないが、あれに粉をかけられると眠気に襲われる」
ダイアナは頷いた。物凄い眠気だった。
「妖魔を操れるの?」
カインは頷いた。
「ああ、俺は封魔師だ」
「封魔師……」
ダイアナはその職業を、全く知らない訳じゃない。妖魔の被害に遭った者から話を聞いた事くらいはある。彼の言う通り、妖魔を封じる力を持ち、その力量によっては封じた妖魔を操れる者がそう呼ばれているらしい。だが、ダイアナの様な一般人ではそうそうお目に掛かれない。稀な力な上に、妖魔と対峙するリスクを伴うとか何とか言って、依頼料が高いのだ。その為、村や街ぐるみでの依頼を受ける事が多いのだと言う。
「初めて見た」
「だろうな。この辺は妖魔をほとんど見かけないし」
「あなたは凄い封魔師なの?」
こんな話をして打ち解けるつもりは無いのに、興味本位で聞いてしまう。
カインは肩を竦めただけだった。彼は話をしながらも、荷づくりを始めている。ダイアナは手伝う気なんて更々無かったのだけれど、いかんせん彼とまだ縄で繋がれていたので、動き回る彼の後について回る羽目になった。まるで懐いた犬の様だった。
「一応、力を買われてこの隊を任されている」
「セイレーンを捕まえるってのは、本気ってワケ」
「ああ。あんた、気が変わったか」
「何の事?」と言った風に、ダイアナは肩を竦めて見せた。
「そうか」
カインは少ない荷を纏め、最後に絨毯をクルクル巻くと肩に担いだ。そのままテントを出ようとするので、ダイアナはぐっと踏ん張って腕を引いた。
「ちょっと、いつまであなたに繋いで置くつもり?このまま外に出たら、隊長は変態だって皆ガッカリしちゃうから」
「説明すれば、そんな邪推はしまいよ。皆優秀な騎士だ」
「へぇそう。騎士サマの大将は、まさか嫌がる女の子をテントに一晩監禁したりなんてしなかったよね!」
「致し方なかった。女達に行く末を話されると面倒だからな。王都に着いて手続きが終わるまで、お前だけ別行動だ」
クソッとダイアナは吐き捨てた。
「何が騎士よ。可愛そうな女の子をあんな簡単に殺しちまって」
テントの入り口を捲り、外に出かけたカインが動きを止めて振り返った。その顔は少し青く、苛立ちが沸きあがって来ているのがハッキリと見て取れた。
「逃げる者は殺せと命じられている」
ダイアナは重ねて罵ってやろうとして、止めた。
彼は私にチャンスをくれようとした。
女達の行動を見て、ちゃんと優しさだと捉えられる人だった。
だったら、この人も辛いのだろう、と思ったって構わないじゃない。
なのでダイアナは「大変ね」とだけ返した。何だか変な返しだと思ったけれど、カインの表情が少しだけ和らいだなら、それでいい。
* * * * * * * *
〈セイレーンの矢〉は再び動き出した。
カインの腕に繋がれたまま、彼の馬の前方に乗せられて、ダイアナは後ろに引かれる荷台の女達の探る様な、同情する様な視線が痛かったが「仕方ない」とそちらを見ない様にした。
森を抜け平野へ出ると、馬は歩調を速めた。
隊は王都へ行くのだと言う。だとしたら、逃げるのはそこに着いてからだ。今駆けている平野では、隠れる場所が無い。
王都なら、隠れる場所がたくさんあるハズだ。
だからそれまでに、皆に知らせる作戦を考えなくては。
ダイアナは色々と考えながらも、自分とカインを繋げている縄を見て「そうしたら、この人とはお別れか」と思ってしまい、ブンブンと頭を振った。
ああ、チクショウ!しっかりしなさいダイアナ!
* * * * * * *
〈セイレーンの矢〉は休みなしに駆け続け、日が暮れるとまた野営をした。今度は平野での野営で、皆やはりテントを張った。
カインがダイアナをテントに引っ張り込んで、「さぁ、今夜も穴をほるのか」と心なしかワクワクして聞いて来たので、彼女は仏頂面で彼の寝床に寝転がると、「死んじまえ」と吐き捨てさっさと爆睡を決め込んだ。
「明日は王都だ」
とカインが言ったが、ダイアナは寝返りを打ちカインに背を向けると薄目を開け、また閉じた。