名前
歌が終わり、ダイアナが踊り終えると皆が手を叩いた。
金髪の騎士が片手を上げた。皆が静かになった。
「見事だった」
ダイアナは頬が火照って堪らなかったが、それを知られない様にお辞儀をして誤魔化した。焚火の揺れる光を浴びて、金髪の騎士が立ち上がった。
「解散だ。女達を縛れ」
「待って!子供が二人お腹を空かしているの。何かあげて」
じろりと睨まれたが、ダイアナは勇気を出してその目を見返した。ここは譲れない。あの濡れた四つの目を、更に悲しみで曇らす事は出来ない。
手ぶらで帰ったらネェちゃん、面子丸つぶれだよ。
「お願い」
「……分かった。俺が持って行く」
意外な言葉にダイアナは首を傾げた。
金髪の騎士は不機嫌そうに彼女を見ると、「なんだ?」と言った。
ダイアナは慌てて首を振って、他の騎士に縛られながら「ありがとう」と小さく言った。
なんで、ありがとうなんて。この状況を見なさい、ダイアナ。
自分の心の声に、唇を噛んでダイアナは他の女達と共に荷台へ戻る。暗闇を背に、焚火の光で橙に照らされた荷台から、小さな頭が二つこちらを覗いていた。彼女たちは期待の目でダイアナを待ち構えていた。
ダイアナが何も持っていないと判るとガッカリした顔をしたので、ダイアナは二人の傍に座り「隊長さんが後で持って来てくれるって」と優しく言った。
二人はホッとした様に微笑んで、ダイアナの両側に寄り添った。
あらら、懐かれちゃった。子供は嫌いじゃないけれど……。
ダイアナも微笑んで、二人の温もりを感じながら幾つかのテントに入って行く騎士たちの様子を眺めた。彼らは一つのテントに二人か三人ずつ入って夜を過ごすらしかった。
一つだけ誰も入って行かないテントは、多分金髪の騎士の物だろう。彼はダイアナとの約束通り、背の高い身体を屈めて椀に残り物を盛っている。
何だかその様が彼にそぐわしく無くて、ダイアナは微笑んだ。
……良い人かも知れない……
彼はこちらに気付いて、ダイアナの注意を引く為か手招きする様に手をヒラヒラさせた。
「?」
彼は両手に持った酒瓶と水袋を、交互に上げ下げしている。
彼が酒瓶を再び上げたので、ダイアナは吹き出して首を振った。
馬鹿ね、子供にあげるのに。
「こっちか」と言う表情で、彼が水袋を上げた。ダイアナは大きく頷いた。チラと笑って、彼が水袋を脇に、椀を両手に持ってこちらへ歩いて来る。子供たちが怖がってダイアナの腕にカサカサした頬を押し付けた。
「大丈夫だよ」
ダイアナがそう言って、荷台を覗き込んだ金髪の騎士を見た。
「縄を解いて上げて」
「逃げるなよ」
彼はそう言って、見張りの騎士に首で合図する。
二人の縄が解かれると、彼は椀と水を手渡した。小さな二人は与えられた食べ物を泣きながら食べた。手に持った椀が震えている。ずっと縛られていて、痺れているのかも知れない、とダイアナは可哀想に思った。「ゆっくり食べな」とか、「詰め込んどくんだよ」とか、お節介で優しい声を出しながら、女達がそれを見守った。金髪の騎士は荷台に両腕を重ねてそれを見ていたが、ふいにダイアナの方を見た。彼女は子供達を見守るフリをして、その視線を無視した。
「あんた」
と、彼が言った。
ダイアナは「あんたって誰?私じゃありませんよね」という顔をして、気付かないフリをした。
心臓がドキドキして、肩が強張る。
「おい、あんただよ。踊った」
そう言われたら、返事をするしかない。
「なんでしょう」
「ちょっと来い」
皆が緊張した。もちろん、ダイアナも。
歌を歌わされただけで済んだ事に、安心していた矢先だったのだ。皆がこの先を悲観して、ダイアナをお気の毒そうに見た。
「ここで済ませられない用事?」
「そうだな……いや」
女達の軽蔑を込めた冷たい目線に、金髪の騎士は自分へかけられた疑いに気付いて「話をするだけだ」と憮然とした顔で言った。
皆「どうだか」と言う顔で白々しい空気を出したが、ダイアナは彼の方へ膝を擦りながら近寄った。どうせ選択権は無いのだ。
彼は彼女を抱いて荷台から降ろすと、後ろ手に縛られたところを持って横に並んだ。
「歩け」
押されて「なによ、偉そうに」と思ったが、ダイアナは黙って歩いた。縄を解かれて、テントに入れと言うのでいよいよ覚悟を決めて、彼女は入り口を潜った。中はランプの灯が灯されていて、薄明るかった。美しい狩猟模様の描かれた絨毯が地面に直接敷いてあって、ダイアナはその滑らかな光沢の上に、靴で上がっていいものか躊躇った。そうしていると、金髪の騎士が構わず靴で絨毯の上を歩いたので、彼女もそっと絨毯の上に足を置いた。
靴越しなのに、強情そうな柔らかみを感じてダイアナは「わぁ」と思わず声を上げ、手で口を覆った。
私ったら、子供みたい。
騎士はダイアナの感嘆が聴こえなかったのか、気にしなかったのか、テントの隅にある布まみれの寝床らしき場所からクッションを一つ掴むとダイアナに放った。
彼は自分も平たいのを一個尻に敷いてあぐらをかくと、ダイアナに「早く座れ」と指で合図した。
ダイアナは一体何が始まるのかと思いながら、彼からかなり離れたテントの隅っこの、明かりが届き損ねている場所に落ち着いた。
「俺は大声で話すつもりはない」
「私はあなたとコソコソ話すつもりは無い」
彼は切れ長の目を細め口を引き結ぶと、自らダイアナの傍に来た。
そのまま座り込んで、彼女の顔を覗き込む。明かりと影が、彼の顔の彫りを更に濃くして揺れている。
明かりがあると言うのに、二人して暗がりに向かい合って座っているのは変な気分だった。
「なんなの?」
「あんた、歌が歌えないんだろう?」
彼の言葉に、ダイアナはゆっくり首を傾け、髪を弄った。薄暗くて助かった。まだ、手も震えない。
「……。失礼じゃない?」
「あの酒場には、近隣で有名な歌姫がいると聞いて行った」
ダイアナは大きな目をぐるりと回して、「賞賛を受けて嬉しい」とばかりに魅惑的に微笑んだ。
「そうよ」
金髪の騎士は何をそんなに確信を持っているのか、彼女の誤魔化しに揺らいだりしない。
「身代わりに?」
思い込んだら曲げないタイプってワケね、とダイアナは面倒臭く思った。
「違う。私よ」
「歌子以外に用は無いんだ」
「いいえ、『六角塔』の歌姫よ」
ムキになるな、と彼がダイアナの腕をそっと掴んだ。ダイアナは、身体中の力が抜けそうになって身体を強張らせた。
ちょっと、ちょっと。私ったらだらしなさ過ぎる。
彼女が自分を叱咤していると、金髪の騎士が更に質問を続けた。
「名前は?」
どうせ知っているのだろう、とダイアナは思った。
勇んで答えようとして、ダイアナは不意に胸が冷たく詰まった。
「……ライラ」
消え入りそうな声で答えると、金髪の騎士は値踏みする様に彼女を眺め、唇を歪めた。
「ライラ?」
ダイアナは頷いた。
……悲しかった。自分の名前を知って貰えないのが。
「そうだよ」
「歌ってみろ」
「イヤ」
「歌子じゃないなら、帰してやるぞ」
そうなの? ダイアナは肩透かしにあった気分だった。だったら、いっそのこと皆下手に歌えば良かったってコト?そっか、その手があったか。皆お間抜けだね。でも、もう遅い。まんまと歌ってしまった。
私が白状したら、本物を捕まえるのでしょう?そうはいかない。ここまでの不快な道のりをフイにする事なんて、出来ない。
こんな時、ライラだったらどうするだろう?ダイアナはふと思った。彼女は歌えるけれど、意地でも歌わないんじゃないか、と考えつくと、ダイアナは勇気が湧いた。
ダイアナは彼の手を振り払って、真っ直ぐ目を見詰めた。
彼女の大きな瞳は彼にどう映っているだろう?
ランプの薄明かりすら遮った先に光る彼女の瞳に、何色を見ただろう?
「歌子だよ。でもあなたたちの為になんか、歌ってやるもんか」
「この先どうなるかわかるか? 歌子はセイレーンの審判にかけられる」
「私はそんな化け物じゃないから大丈夫」
金髪の騎士は悲し気に顔を歪めた。微かに頷いている意図はなんだろう?
「そうだ。俺にもそう見えない。連れて来た女達の誰も、セイレーンんなんぞに見えない。妖魔が子供の飯を心配するだろうか?あのように、皆で見守るだろうか?……だから、せめて歌子じゃないなら難を逃れて欲しい」
「難って……」
ダイアナは吹き出した。今、難を受けていますが?
「海の満ち引きを知っているか」
「海の満ち引き?」
彼は頷いて、あぐらをかいた。
気負いの無い様なのに、それが余計にダイアナの心を誘う。彼の生み出す身体の線は、ちょっとした服のシワまで魅力的で、彼女は目を伏せた。
「昼は砂浜……陸が見えるが、夜になるにつれて海が近づき水の中になる」
「……不思議ね」
ダイアナはまだ見た事の無い海の不思議に心をはせて、ぼんやりと呟いた。
「審判はそこで行われる」
「……」
「昼から次に潮が退く朝までだ。分かるか」
「どうなるかは分かるけど、どうしてそんな事するか分からない。皆を溺れさせるのが、どうしてセイレーンを見付ける審判なの?」
「セイレーンは海で溺れない。死ななかった女がセイレーンだ」
ダイアナはゾッとして、目の前の男を見た。
「じゃあ、じゃあ。死ねって事じゃない」
金髪の騎士が決まり悪そうに頷く。
「だから言っている。歌子じゃないなら、助かる道を選べ」
「どうして? 私を助けてくれるなら、他のコ達も助けてよ。あなたはこの狩りが狂っている事に気付いてるんでしょ?」
「いや、何とも言えない」
「言うのよ。暗がりで声だけを頼りに生きている女達を集めて無駄に殺してるって」
「いや、セイレーンは何処かにいる」
セイレーン、とダイアナは口の端を釣り上げ震わせた。もう、馬鹿馬鹿しくて笑わずにいられない。
歌子達がセイレーン?だったら大人しく荷台に乗せられていると思っているの?
セイレーンは翼と鳥の足を持つ幻獣だと言う。
一度何処かの絵描きが『六角塔』に遊びに来た時に、歌の上手いライラをモデルに彼女に翼を持たせた絵を描いた事がある。ダイアナは当時を思い出して、更に口の端を上げる。
ライラと私は、絵描きが良い気分で帰った後、その絵を見て滅茶苦茶笑ったっけ。
下手くそだった訳じゃない。絵描きは貴重な絵の具まで取り出して(ライラの歌によっぽど感動したのだろう)青と赤の二色を使ってくれた。
少しづつ色を混ぜて出来た色は、ライラの髪の色にそっくりだった。
海は青と赤の斑で混ざり、青の暗みをのせた赤い大きな夕日を背に口を開ける女はライラの特徴を良くとらえた美人だった。
でも、今よりもっと幼かった二人は芸術なんて分からなかったし、箸が落ちても可笑しい年頃で、ライラに翼があったり足が鳥だったりしたのが何故だか異様におかしくて、その絵を肴に散々笑ったのだった。
「バカげてる」
ムッとして金髪の騎士がダイアナを睨んだ。
「セイレーンが歌うと」
「魔物の力が満ちる、でしょ?でも、私は生まれてから小人くらいしか見た事ないわ。目が合っただけで逃げて行ったよ。あなたたちはあんな害のないものを恐れているの?」
「それは運が良いな。いいか、セイレーンの姿が消えた今でも、人の命を奪うものがいる。命で飽き足らないものも。セイレーンが再び姿を現し歌い出したら、そういうものが増える。俺はそれを避けたい」
「それで弱い物イジメしてるってワケ? あなたさっき何て言った? 私達がセイレーンじゃないって思っているなら、今すぐ解放して。自分の勘って大事なんだから」
「俺個人の勘で、セイレーンを捕まえる可能性を潰す事は出来ない」
なにこれ?ミズカケロンってやつ?
ダイアナはこの会話は平行線をたどると察した。
だったら押し通すしか無い。
だが、彼相手には無理だ。コイツは堅物だ。こういうのは女のいう事なんか聞きゃしない。
戻って皆に行く末を話す。そうして、なんとかして逃げるのだ。
どうせ殺されるなら、途中の村で殺されたあの可哀想な少女みたいに何かに賭ける方が良い。
夜の森が何?騎士たちの剣が何だって言うの?
「……私は歌子だよ。歌わないけど、連れて行けばいい」
「チャンスを逃すのか」
「歌子って言ってるでしょう? 生きる為に歌ってるの。死ぬのを怖がってそれを否定しちゃうと、その時点で死んでるのと同じなの。プライドって知ってる?もう話はお終いね。手を縛りなさいよ」
「……残念だ」
「そうだね」
彼はダイアナにニヤリとした。本当の仲間にするみたいな、悪戯そうなニヤリだった。
この場所で、この状況じゃ無かったら、どんなにいいだろう、とダイアナは悔しく思う。
立ち上がり後ろを向いて「ほらどうぞ」とばかりに手を後ろ手に組んだダイアナを見上げて、金髪の騎士がポツリと言った。
「名前が知りたいな」
ダイアナは振り返らなかった。テントの荒く分厚い織目をジッと見詰めて、押し殺した声で答えた。
「……ライラよ」
「……そうか。俺は、カインという」
興味無いわ、とダイアナは呟いた。