表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
狼と歌声と遠吠えと愛と喉骨
133/143

氷の膜の上

 ダイアナもカインも、早朝に目が覚めた。

 二人は、どちらからともなく無言で起き上がり、寝ぐせのついた髪のまま腫れぼったい顔を見合わせた。


「で? 私は裏口から出ていけばいい?」

「いや、住むところと働き口くらいは世話させてくれ」


 ふむ、と、ダイアナは腕を組む。

 そのくらい甘えたって罰は当たらないだろう。そもそも、ダイアナをカナロールへ連れて来たのはカインなのだし。

 ダイアナは自分からライラの為に立候補した事を棚に上げて、そう思った。

 

「あんまり難しい事は出来ないよ」

「わかっている。時間が無いので悪いが、二つ返事でお前を受け入れてくれそうな口は二択だ」

「決めやすいわ」


 何処だって構わなかったダイアナは、胡坐をかいてあくびをした。

 カインはベッドから小さな机へと移り、机の腹に一つしかない引き出しから紙とペンを出す。

 机を置くからには、と、部屋をセットした者が用意した物だったが、彼女はちっとも使わなかったので紙もペンもまっさらだ。


「一つはカナロールのレストランの給仕だ」

「レストラン? 私、テーブルマナーとか分からないけど……」


 カインは軽く首を振って、微かに笑った。


「そんなに気取った所ではない。学生が通う大食堂だ」


 彼の微笑に少し興味をそそられて、ダイアナは詮索した。


「あなたも通っていた?」

「ああ」


 それを聞いて、俄然興味が湧いたけれど、すぐに未練たらしいなとも思った。そして、いずれ悲しくなるのは目に見えている気がする。


「見慣れない女がフラッと現れたら、目立つでしょうね」

「お前の踊っていた田舎町と一緒にするな。ここは王都だ。人の出入りなぞ監視し切れん」

「ふん、なんだよその言い方。もう一つは?」

「お前の住んでいた町の二つ先の村に、老夫婦の営む農園がある。年だから、葡萄を踏めなくなってきたとぼやいていた」

「……」


 ダイアナは「うーん」と考え込む。

 カナロールにいたら、いちいちカインを思い出してしまうかもしれないと思うと、少し大変そうだが葡萄を踏んでいた方がいいかも知れない。胸に渦巻く強い感情に任せて葡萄を踏んだら、気が晴れそうだ。六角塔のある町と、そう遠くはなさそうだし嫌だったら町に戻るのもアリかも。

 一体どうしてまた六角塔なんかに、と、ライラに言われそうだけれど、ダイアナは色々なことがどうでも良くなっていた。今夜どこかで一人眠る時には、胸に穴が開きそうな程泣いてしまうだろう。そういう孤独や辛さを紛らわすには、六角塔は丁度よかった。

 けれど、一瞬だけ六角塔での日々を思い返し、ライラの顔が脳裏に浮かぶとハッとした。

 

―――――そうだ私、ライラへ「自分はカナロールにいる」って、言づけをしてくれる様にアシュレイに頼んだっけ。 


「どちらの店主とも知り合いだ。人手をいつも探しているし、一筆書けば良くしてくれるだろう」


 考え込むダイアナの返事を促す様に、カインが言った。

 ダイアナは顔を上げて、カインに答えた。


「私、ライラにカナロールにいるって言っちまったの。だから、レストランにする」

「そうか。では店主に一筆書くから、あんたは身支度を」


 カインはダイアナの方を見ずに、紙にペンを走らせ始めた。

 身支度と言われたって、与えられたものばかりで何をどう抱え込めばいいやら、と、ダイアナは途方に暮れる。

 

「持ち物なんてない」

「着るものや身の回りのものは何でも持っていけ」

「いいの?」


 ああ、と、手紙に集中したいカインはぶっきら棒に答えた。

 ダイアナは彼の邪魔をしない様に、静かに持っていけそうな物をまとめ、シーツに包んだ。

 ふと顔を上げたカインが、それを見て声を立てて笑った。まだ遠くない過去、テントから逃げ出そうとするダイアナを見てそうしたように。

 彼が笑ったのが嬉しくて、ダイアナも拗ねた様に笑う。


「だって、どうやって運ぶのよ」

「そうだな。トランクを用意する」


 カインはそう言ったけれど、ダイアナは碧い目玉をクリッと回してちょっと考えた。

 トランクのイメージが『ここから出ていく』という現実を生々しくダイアナに突き付けたし、荷を詰める度に重たい悲しみを詰め込む作業にもなりそうで、嫌だった。


「あのさ、お情けくれるなら、やっぱりお金でちょうだい」


 ここを思い出すくらいなら、新生活には別の日用品の方が良い。

 嫌悪を顔に浮かべるかな、と、少し心配したけれど、カインはただ真面目な顔で頷いた。その真面目な顔は、彼のただの天然なもので、ダイアナの心境を読み取った末のものではないけれど、ダイアナはホッとした。


「もちろん不自由ない金を持たそう。大食堂には住み込みで働ける様に手紙に書いたが、気に入らなければ金を元手に好きなところに住め」

「何から何までありがとう」

「俺との関わりは、店主以外には誰にも言わないように気を付けてほしい」


 ダイアナは少し胸にグサリと来たけれど、それが彼の答えなのだと諦めた。

 この人は、自分が夢のようだと感じていた数少ない夜を、同じように思ってくれていなかった、と。 


「……うん。あなたの名誉を傷つけたりしないよ」

「そういうつもりで言ったのではない。あんたの方が面倒に巻き込まれると困るからだ」

「どういうこと?」

「俺にも敵はいる」

「……わかった」


 カインから紹介の手紙を受け取って、あて名に書かれた文字を見る。

 文字の事なんてダイアナにはわからないけれど、初めて見るカインの字は、線が少し細いものの、肉食の鳥が空を駆けているみたいで男らしいと思った。


* * * *


 ふーん。あなたにも敵がいるの。別に意外じゃない。

 私が多少は、あなたの弱みになると言うなら、少し困ったり心配するところが見てみたいけれど、もしかしたらしないかも知れないし、そもそも愛じゃないならお荷物になるのも心苦しい。

 寝ても好きになってくれかった。さよならの手紙すら、送ろうと思いついてくれなかった。

 自分宛じゃない手紙に並ぶあなたの文字が、好きすぎて辛い。 

 一文字だけいいのを紙から剥して、普段は服に隠れている身体の何処かに貼っておければ良いのに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ