有名な話
――――なぁ、お前、若い女の知り合いはいるか?
遠征先の村に滞在する封魔師と連絡が取れ、細かな情報の報告をしに訪れたカインは、レイヴィンから不可解な質問をされて首を傾げた。
「……多少は」
「権力や金にあまり興味のない女がいい」
カインの周りは、カインの見た目に興味深々な女ばかりだ。
たまにアシュレイとの接点の為に近づいて来る女はいるけれど、そういうのを覗けば皆、金や権力よりもカインを欲しくなってしまうのだ。カインが今持っている地位よりも、カイン自身の(見た目の)魅力の方が勝っていた。
最近転がり込んできた少女は少し怪しいけれど、ベッドの中で見せる眼差しにそういう影は射していない。……と、思う。自惚れだろうか?
―――まぁ、あんな小娘が爪を見せたところで、なんとでもなる。
フェンリルの巣へ行くとなってから、準備や手配の為にほとんど城に寝泊まりしていたので、もう七日ほどほったからしだ。屋敷の者たちは彼女の事を嫌がっている様子だったから、面倒を起こしていないといいが……。
どうだ、そういう女はいないか。と、レイヴィンに聞かれて、ハッとする。
「リリス・メルテル・ババクはどうです」
囲った少女を庇う様に出てきた名前に、口の中が苦くなる。カインは片頬の裏側を少し舐め、苦みをあしらった。
―――権力や金に興味のない、若い女だ。
カインの内側の声が言った。何も間違いではない。何が目的か分からないが、あの娘が関わるよりもリリスの方が上手くいく。……リリスの名を出すのは、当たり前だ。
レイヴィンが唇を薄く開いて言った。
「なんだ、お前まだ聞いていないのか」
「なんです」
「リリス・メルテル・ババクは、今回のフェンリルの巣への遠征に加わる」
カインは眉を微かに寄せた。小さな表情の変化だったけれど、心の中はその数十倍も動いていた。
「は……何故です……」
「本人が希望して来たのだ。討伐の拠点となるであろう村に派遣されている封魔師は、彼女の母親だそうだ」
「母親が……? しかし、危険です」
カインは二重に驚きクラリとなりながらも、リリスの同行に反対の意を示そうとした。
レイヴィンが、顎の細さの割にしっかりとした歯並びを見せて笑った。
「危険? メルテル・ババクの娘だぞ。家業に引きこもってしまったが、優秀さは聞いている。お前やあのアシュレイ・ナザールですら、手を焼いていたらしいではないか」
「しかし……封魔師学校を卒業してからは薬屋を営んでおり、封魔師としての場数を踏んでおりません」
「そう。薬も扱える。貴重な人材であるな。何より、本人が行く気だ。熱心に自薦して来た」
「……」
ならば止める事は出来ないのかも知れない、とカインは思った。
隊の長で、良く見知った仲の自分にリリスが何の相談もしなかったのは、反対されるのを分かっていたからだろう。自分よりもレイヴィンの許可を先に取ってしまう所が、彼女らしいと思った。
「そのリリスに聞いたのだが」
「はい……?」
「お前最近女を囲ったらしいな」
ギュッと心臓が絞られる様な気がするのは、上司に知られたせいか、それとも、リリスに知られていたせいか―――しかし、独身のカインが女を囲ったって悪い事じゃない。リリスだって、カインの熱心さに一度もなびいた事が無いのだし。しかし、いつ知ったのだ、と、困惑しながらもカインは静かに答えた。
「……それがなにか?」
「道端で拾ったとか。思わず屋敷に引き込む程、愛らしいとか?」
リリスはレイヴィンに、少女の事をどう伝えたのだろう。
良く知りもしないクセに彼女の事を他人に、と思うと少し苛立った。
「だって、他人でしょ」とでも言う様に、肝心な報告や相談はして来ないクセに、「私達は良く知った仲です」とばかりに身の回りの事を外に漏らすなんて。それも、上司に。何考えているんだ?
レイヴィンも、どうしてこんな事に興味を持つのか?
女の話を面白がってするタイプでも、部下のプライベートに興味を持つようなタイプでもないのに。
とにかく何か答えなくては。
「そうです」
――――愛らしい、というのは少し引っ掛かるが。
「そうか。意外だった。―――実はディアナ皇女に一人話し相手を探しているのだ」
「侍女ならたくさんおりましょう」
「そういうのではないのだ。侍女らも仕事があるだろうしな」
「……」
「お前が留守の間、別の仕事を与えてやれるではないか。どうだ。屋敷にぽつねんと放って置くより良いだろう」
カインは渋ってレイヴィンから目を逸らした。
「しかし、野良猫の様な女です。皇女とは合わないかと」
「ふむ……しかしそういう者と関わる経験も悪くなかろう。そもそも、本当の野良猫女を、お前が拾うとは思えない」
拾ったのではなく、押しかけて来たんだ、と、言い掛けて止めた。
リリスの話と辻褄が合わなくなるし、なんとなく情けない。そして、経緯に興味を持たれたら面倒だ。
そして、レイヴィンの言う通り、屋敷に一人残して置くのも少し気がかりだった。仕事がある方が良いのかも知れない……?
けれど、何か厭な予感がする。
「本人にやる気があるか聞いてみても?」
レイヴィンは、良いだろう、と頷いてくれた。
「皇女の話し相手だ。すぐさま飛びつくさ」
*
ダイアナは『ご主人様をかどわかした』とメイド達に大いに嫌われ、カインの戻らない屋敷の中で孤立し、与えられた自室のバルコニーからポツンと一人、外を眺めていた。
物凄く退屈だったけれど、一度外出したら嫌がらせで玄関を開けて貰えなかった事があったので、外出する気になれなかった。
メイド達が束になって掛かって来たところでへこたれるダイアナではなかったけれど、引き取られて早々揉め事を起してカインに後悔されたくなかった。
でも退屈。窮屈。つまんない!
……今日もカインは帰って来ないのかな。
そう思いながら屋敷の外へ伸びる街路を眺めていると、白い馬の手綱を引いてカインがやって来るのを見つけた。
ダイアナはパッと表情を明るくさせて、大声を出しかけた口を両手で覆う。ここから呼び掛けたら、カインは絶対嫌がる。だから、ダイアナは大きく手を振った。カインは地面ばかり見ていて、ちっともダイアナに気付いてくれなかったけれど。
カインが屋敷の中へ入ると、ダイアナは急いで鏡台の前で髪を整え、二ッと笑って見せた。
顔が青白く見えないよう、気休めに頬を手のひらで擦る。
裸足でいるなと注意された事を思い出し、用意してもらった靴下と靴も履いた。
――――どうせ脱ぐのにサ。アレ? 脱いだっけ?
ニヤッとしていると、部屋のドアがノックされた。
ダイアナは「どうぞ!」と言いながらドアノブに手を掛ける。
勢いよくドアを開けると、不機嫌な顔のメイド長だったので、ダイアナはヘラッと笑って畏まった。
メイド長は眉を吊り上げたまま、持って来た軽食や果物、ワインの類をテーブルにセットし、慇懃なお辞儀をして部屋を出て行った。
入れ替わりにカインがやって来た頃には、ダイアナの浮足立った気持ちは半減していて、いい具合にレディになっていた。
「おかえりなさい」
笑いかけるダイアナを見て、カインはどんよりした顔をして俯く。
「また暗い顔してる。仕事疲れた?」
「まあな……」
「ワイン飲む?」
帰って来て直ぐに腹ごなしと寛ぎの準備を自分の部屋にしてくれた事が嬉しくて、ダイアナは殊更優しい声を出す。しかし、カインは難しい顔をしてダイアナに言った。
「悪いが、もう傍に置いてやれない」
「え?」
「短い間だったが」
「どうして? ……も、こうしても、ない、か……」
ダイアナは震える自分の手をギュッと握り、苦く笑った。
屋敷のメイド達の態度で、自分が彼女達にどんなに受け入れられない事をしているのか良く解っている。
それはきっと、屋敷の外でも同じなのだろう。カインは外で何か言われてしまったのかも知れない。それとも、カインの中の常識がやっぱりこの関係を受け入れられなかったのかも。ダイアナはそう思った。ここ数日、カインが屋敷にいなかったのも、私が原因で仕事の為じゃなかったりして。
ダイアナの返答に、カインは軽く頷いて、テーブルの上に並べられたものへ手のひらの先を向け「食べよう」と静かに言った。
「……お腹空いてない」
「そうか。俺もだ。せめて飲まないか」
「り、理由を聞いてもいい?」
「理由……? アンタと飲むと、楽しい」
ダイアナは吹き出して、堪え切れないと言う様に笑い、腹からくの字に身体を折ると、顔を髪で覆った。その隙に涙を指で弾く。
ふと気づくと、カインは何故か目を細めて自分を見ていた。
「飲もう」
「ふふ、良いよ!」
彼が用意したグラスを掲げて、ダイアナは仕方なく飲んだ。
*
毒でも入ってりゃいいのに。
*
カインは薄暗いランプの光に照らされたダイアナの寝顔を眺め、早々に失うのを惜しく思った。
レイヴィンが何故、彼女に目を付けたのかカインには判る。
リリスから「道端で拾った」と聞いたからだ。
皇女の相手なら、地位のある淑女達の方が適任だろうに、それでは後々始末が面倒なのだろう。
ディアナ皇女に必要以上に気に入られると――――と、いう話をカインは知っていた。割と有名な話なのだ。
あんなに優しい声で「おかえりなさい」を言い、仕事帰りを労い無邪気に笑う少女を、そんな目に合わす気になれない。
――――泣いたり喚いたりするかと思った。
けれど少女はそうしなかった。
カインは目を閉じる。明日にでもこの娘を逃がす。
*
今夜だけ。
あの時、一人にしないと言ってくれて、嬉しかったよ。
でも俺は一人でいい。そして他の娘が死ねばいい。




