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セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
狼と歌声と遠吠えと愛と喉骨
130/143

話にならない

 ディアナはソワソワと手を揉んで、王座の間でレイヴィンを待っていた。

 答えてくれないだろうと半ば諦めていたけれど、レイヴィンは彼女の呼び出しに応えた。

 じきに約束の時間だ。

 待っている間、空の王座に亡き父の面影を重ね、次いで自分がその座へおさまる想像をしてみる。

 その姿はきっと、背の高い背もたれに散りばめられた宝石の、一番小さい物よりもちっぽけだ。

 王座の間を御覧なさい、と、胸の内で声がする。

 国中の封魔師の卵達が集まり、開封式をする大きな広間を見渡せば、喉が詰まる。

 この広間中に良く通る声が、自分に出せるのだろうか?

 瞳を輝かせやって来る子供達に、自分は彼らの頂点であると示せるだろうか?

 お父様、と呟きかけた時、王座の間の重たい扉が音を立てて開いた。

 背後に蝋燭の明りを浴びて、ほとんど影となったレイヴィンがディアナの方へ恭しく頭を下げた。

 もしかしたら、王座へ礼をしたのかも知れない。ディアナはそう思いながら、人払いをして彼が傍へ歩いて来るのを待った。

 駆け寄りたくなるのは我慢した。自分は今、皇女であるという力を使わなくてはならなかった。


「フェンリルの縄張りへ〈セイレーンの矢〉を動かすというのは、本当ですか」

「セイレーンの事を知っている様子でしたので」


 レイヴィンは、ディアナが何を言い出すか分かっていたかの様に彼女の質問に声を被せて答えた。

 たったそれだけでたじろいで、ディアナは後退りしそうになる。けれど彼女は彼を信じる。どこまでも愚かな程に、言葉と気持ちが通じると。例え「あなたは誰? 私の知っているあなた?」と問いかけたくなったとしても。


「彼らは何も知らないわ」

「セイレーンは自分たちのものだと言った」

「……間違っていません。セイレーンは妖魔の力の源ですから」


 ふむ、とレイヴィンがわざとらしく首を傾げ、唇を歪めた。


「もしや、庇われているのですか」

「!」


 ディアナの瞳が潤んで揺れた。彼女は眉間で疼く感情を静める様に努力して、顎を少し上げる。天井から垂れ下がる幕に大きく刺繍されたカナロールの紋章が、微かに揺れていた。『妖魔を統べる国の皇女が』とレヴィンの味方をしている様に。ディアナはありもしない、出どころすら無いメッセージから目を背け、レイヴィンを上目遣いで見上げた。


「……そうです。何の話だと思って……?」

「さぁ、わかりませんね」

「フェンリル達を脅かさないで」

「貴女は皇女なのに、臣下ではなくフェンリル共の心配をされるのですか」

「貴方達の心配もしているわ、してます!」


 違うのに。声を荒げてしまってはいけないのに。そうしたらもう、彼は話を聞いてくれないのに。なのに胸から込み上げて来てしまう。百の言葉が感情に負けてたった一つのか細い涙声になってしまう。


 どうしたら私はまともに彼とお話しできるの? 

 いつも焦って舌がもつれたり、声が上ずるのを小さく笑われるだけ。

 これではいけないのに。


「ごめんなさい、待ってください……声を荒げてすみません……。あの、レイヴィン、私は行って欲しく無いのです。フェンリル達がこの国に何かしましたか? 何処かから被害の声が上がっていますか? 封魔師に討伐の依頼が来ていますか?」

「いいえ。しかし城に姿を現したからには、何かしらの予兆だと思われます」

「彼らは何もしないわ」

「そうですね、貴女には手も足も出ない事でしょう、世にも稀な力をお持ちの姫。しかし普通の人間には脅威です。フェンリルの群れを見上げた彼らの心境を想像出来ませんか」


 ディアナは唇を引き結んだ後、足を震わせながら首を振った。


「貴方の動機は民の為ではないわ。あの小さなフェンリルよ」


 彼女は、誰にも打ち明けられず、自分の中だけに溜め込んだ疑惑交じりの確信を我慢できずに吐き出した。笑われるのも憤慨されるのも怖くて言えなかったが、今回ばかりは我慢できない。


「あ―――、貴方はいつも、私が大事に関わろうとするものを―――は、は、―――」


 言葉を探して目線をウロウロさせるディアナに、レイヴィンが冷淡に唇を動かす。


「排除?」

「そう、は―――排除。排除なさるんだわ」

「やはり、あのフェンリルと関りがあるのですね」

「ない、ないわ。ありません」


 取り乱す寸前でディアナは顔を手で覆う。レイヴィンが話をしてくれないんじゃない。私がお話にならないのだ―――。


「―――どうして私を孤独にするの?」

「私がおります」

「レイヴィン……違うの」


 見つからない言葉の代わりを探して、喘ぐ様に声を出す。ほとんど懇願する様に。


「……友達になったのよ……」

「妖魔は従えるものです」

「違うわ」


 また頭上で垂れ幕が揺れ動いた気がした。


「そんなに可愛がっておられたなら、そやつだけ生け捕りにして参りましょう。魔力を封じる護符をつけた頑丈な檻にでも―――」

「彼は自由よ!!」

「そう……今は」


 仮面の奥で、レイヴィンの目が光った。ディアナはこの光が何か知っている。

 ディアナが何か与えた者、ディアナが気に入った大人や子供、ディアナが愛しんだ子犬や小鳥。それらが少しでもディアナに何かしら影響を与えると、全部この光が飲み込んでしまう。そうすると、それらはもうディアナの知っている状態を失くすか、ディアナの前から去っていく。


「レイヴィン、お願い……行かないでください」

「二度と貴女の前に出て来れなくしなくては。貴女はカナロールの皇女なのだから、フェンリルを服従させなければいけない」


 そしてセイレーンも、と、レイヴィンは続ける。


「必ず捕えて見せます。その時、貴女はカナロール女王として世に君臨するでしょう」

「……君臨などしたくありません」

「しなければカナロールはじきに終わりをみましょう」

「どういう事?」


 飛躍していく話に混乱しながら、ディアナはレイヴィンの目を覗き込む。


 こんなに傍にいるのに、なんて遠い処に瞳があるんだろう。


 彼女を見返すレイヴィンの目は、奇妙な程純粋な優しさで満ちていた。

 他人が見たらゾッとする深さの、底なしの慈しみを瞳に湛え、彼は彼女の手を取って王座へ導いた。

 

「セイレーンがいなければ、妖魔は消える。ご存知ですね」

「……」

「しかし、妖魔が消えたら我々はどうなります? 封魔で妖魔を従え成り立っている国は?」

「……分かっているわ。セイレーンを私に封魔させたいのでしょう?」


 レイヴィンが目を見開いてディアナを見た。瞳がパッと輝いたのを見て、彼の思惑と同じ事を考え付かない程愚かだと思われていたであろう事が、ハッキリと分かってしまって泣きたくなる。

 

「歌い続けさせたいのでしょう。妖魔は増える……私達は」

「封魔がある。カナロールは栄える」

「私は貴方の言う通り、力があるから妖魔が恐ろしく無いの……けれど皆は違うでしょう? 貴方の考えている女王になりたくありません」


 レイヴィンは愚かな答えを出す彼女に腹を立てたりしなかった。そっと笑って首を振る。


「貴女らしい。しかし皇女、セイレーンは消えかけている。見つけ出さねばどうなるかわかりません。それでもよろしいのですか」

「……わからないの……でも、でも本当に魔力がこの世からなくなってしまったら、とても寂しいわ」

「そうじゃない」


 レイヴィンがもどかし気にディアナの肩を掴んで揺する。


「今、フェンリルの事を考えましたね? 違う。そうじゃない。貴女がセイレーンの事で考えるべき軸はそこじゃない。ですから、討伐します。貴女を惑わしている」

「待って! わ、わ、私は、私は皇女よ!! 命令します! 討伐は許さない」


 レイヴィンはあろうことか吹き出して、ディアナを胸の中へ引き寄せた。

 ディアナは歯を食いしばって彼の胸や肩を叩いて抵抗したけれど、全く持って無駄だった。

 耳元に声が降る。


「隊を解かれても例え一人でも行きます。私は貴女を皇女にする。貴女に泣かれても憎まれてもです。即位の瞬間、御前で首を跳ねられてもいい。何処よりも強く安全な女王にしてみせる。その為ならフェンリルだろうとセイレーンだろうと服従させます。私を止めたいのならば今、殺してください。それしか私を止められませんぞ」

「違う! レイヴィンはたくさんの事を私に言うけれど、どれも違う!! 私が女王になる事やセイレーンなんて関係ない、フェンリルを殺したいだけ!! 私を一人にしたいだけ!!」


 一瞬間があって、ディアナはゾッとする。

 慌ててレイヴィンの顔を覗き込んで見れば、彼は瞳をキラキラさせて微笑んでいる。

 唇が動いた。


『そう思うなら、そうなのかもしれませんな』 

「―――!? い、今まで、か、からかって……?」

 

 ポロポロと涙を零しても、誰も同情してくれない。

 彼女は愚かなのだから。



 どこまでも頼りなく、途方もない程歴代王族と出来が違う―――一体どうして彼女が?

 泣きじゃくる声を聞き、小さな肩を見詰め、レイヴィンは更に強く誓う。必ず、セイレーンを、と。



 呼べば来てくれたと嬉しかった。

 けれど本当は呼んでも呼んでも来てくれていない。 

 それでも、貴方を殺せなんて言わないで。

 


 貴女の瞳に映る者は全て、消し去りたい。 

 

  

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