狼の町の封魔師
好きで好きで、どうしても捕まえたくって、私は頑張ったんです。
でも気付きました。
炎の様な毛皮をなびかせる貴方と出会い、死そのものの咆哮を浴びた時です。
食べられたい、と、思いました。
私は、この町へ、狼を捕まえに来たんじゃない。食べられに来たのです。
その為に、夫も子供も捨てました。
私は、狼の為に生まれたのです。
きっとそうです。
好き。好き。狼が好きです。
*
アシュレイとライラは買い物を済ませて、店主の案内通りに封魔師の元へ向かった。
町案内の地図を見ると、町の裏口の近くのようだ。
相変わらず雪にはしゃぐライラを連れて、アシュレイは辺りを見渡す。
民家の集まりから少し逸れて来ていた。
それはなんとなく、封魔師ではない人々の中の封魔師らしくて、微かに唇が歪んだ。
家に辿り着くと、留守であった。
「出かけてるね。足跡がある」
「うん。町の方じゃないね」
玄関から続く小さな足跡は、家の裏手へ続いていた。
「勝手に家の裏へ入り込むのも失礼だし、少し待ってみる? あったかい上着もある事だし」
そう言うアシュレイに、ライラは喜んで賛成した。
寒い中、手に入れたばかりの温かい服の効果を試すのは楽しい。
ライラは、特に皮のブーツが気に入った。
皮のブーツは、良く油が塗ってあるので融けた雪を通さないし、中にもこもこの毛(宿の部屋のやつと一緒だ)が縫い付けてあって、歩く度に気持ち良い。
封魔師の家の前は、たちまちライラの足跡でいっぱいになった。
家を囲う石垣に座るアシュレイが、目を細めて彼女を自分のそばへ呼んだ。
「こっち来て座りなよ。そんなに歩き回ったら、すぐに履き潰れちゃうよ」
「だってふかふかなんだもん。歩き回ったら暑くなって来ちゃった。服が厚手の長袖なら、まだ毛皮はいらないね」
ライラが毛皮のフードを取ろうとすると、アシュレイが止めた。
「ライラは着てなきゃ駄目だよ」
「でも、もし家に上がったら帽子や上着って脱ぐでしょ?」
「初対面で家に上げないと思うけど」
「薬を売ってるって言ってたじゃない。何か見せて貰って話を聞くの」
「うーん、じゃあ僕の妖魔のフリをしてよ?」
ライラは首を傾げる。妖魔のフリって言われても、どんな風に振る舞ったらいいか分からない。
「どうすればいいの?」
「自由にしてて良いけど、僕の命令には、し、従うこと」
言いながら、事の美味しさに気付いたアシュレイが、鼻の穴を膨らませた。
「ええ~」
「ええ~、じゃないでしょ? ここの封魔師に封魔されちゃうかも知れないよ!」
それはイヤだ。封魔された後、一体自分がどうなるのか分からないけれど、きっと自由ではなくなってしまう。
「……わかった」
「ぜ、絶対だよ……」
「人前でだけだからね」
「わか、分かってるよ……分かってるけど、妄想が捗るよ……」
「嗜好が最低」
ライラが辟易していると、空から白いぼた雪がふわふわ降って来た。
ライラは空を不思議そうに見上げて、買ったばかりの手袋を外す。
そうして裸の両手で雪を受け止めたが、雪はすぐに融けてしまった。
「意外とべちょっとしてんのね」
「ホントだ。もっとサラサラだと思ってた」
二人共、降る雪を見るのが初めてだった。雪はぱたぱたと次から次へと降って来る。
すぐに融けてしまう大粒の雪は、その内二人の上着を濡らし始めた。雨よりも粒が大きくて冷たいから、厄介だ。
「しょうがないな、出直そうか」
「きゅん……」
「……かわいい」
二人共心の声を丸出しにして、宿に戻ろうとした。
その時、家の裏手からザクザクと雪を踏む音が聴こえて来た。
見れば、小柄な女が二人を見つけて歩いて来ていた。
毛皮は着ていない。寒さに慣れているのだろうか、たっぷりと盛り上がる胸を全く隠していない、胸元の開いた皮のチュニックに、長い毛皮の腰巻を巻いている。
枯草色の髪がふわふわと風に遊んでいる様は、少女みたいだったけれど、とろんとした瞳の中の光り方は大人だった。
「どなた?」
「初めまして。少し用がありまして、この町へ立ち寄った旅人です。封魔師が在勤していて薬を扱っていると聞いたので尋ねたのですが、しもやけの薬かなんかも扱ってますか?」
アシュレイが微笑みながら、彼女に歩み寄った。
「そう。濡れてしまうから、ひとまず軒下にどうぞ」
女はそう言って、玄関先の屋根の下へ二人を連れて行った。
アシュレイがお礼を言うと、彼女は「どういたしまして」と言って彼を見上げた。
アシュレイは男の中ではやや小柄な方だったけれど、彼女はうんと背の高い人を見上げているみたいになった。それから彼にぎゅっと詰め寄ると、身体を密着させて顔を覗き込んだ。
間近で見れば、やはり大分年を取っている大人だ。目尻に微かな小じわが見えた。アシュレイと同じ童顔族だ。
いや、それよりも、今は距離感が大事だった。
大きいおっぱいが近すぎる。近いなんてもんじゃない。身体に触れてしまっている。服を買った店の店主から聞かされていたけれど、予想以上でたじろいだ。
「あの、柔……近……」
「封魔師が町に来たって聞いたけど、あなた? その娘? それとも両方?」
「僕です……」
「あなたが……初めまして。お名前は?」
くっついたまま、ぐいっと背伸びをして更に顔と胸を近づけるので、アシュレイはゴクリと喉仏を上下させる。
「うォ……」
「ウォ?」
「ウォルフィです……」
「ウォルフィ! なんて素敵な名前なの? 私はファム・バク・……まぁ、続きは良いわよね。ウチの家系、長いのよ」
アシュレイは頷いてホッとした。苗まで偽るのは面倒臭い。
ファムと名乗った封魔師は、ぎゅうっと胸をアシュレイの胃の辺りに押し付け、彼を家の中へ誘った。
「ウォルフィ、温かいお茶をいかがですか? 私もう、二十年近くここに居るので色々最近のカナロールの事を聞きたいわ」
「うぇぇぃ……喜んで……」
「そちらのお嬢さんもどうぞ」
ファムがアシュレイにくっついたまま、ライラにも声を掛けた。アシュレイがハッとしてライラの方を見ると、ライラは無に近い冷たい表情で彼を見ていた。
アシュレイは、ライラの冷たい態度は大好きだけど、ここまで冷たいのはちょっと違う。
ライラは彼から、ふい、と視線を逸らすと、「どうもありがとう」とファムへ高飛車に答えた。
すると、ファムが目を少しだけ見開き、言った。
「あなた……良い声ですね?」
「え、そ、そお?」
「ねぇ、うそ……ちょっとまって。あ、あなた、お顔を良く見せて?」
ファムは急に信じられないものでも見ているかの様に、じりじりとライラへ近寄って来た。
ライラはサッと毛皮のフードの端を掴んで、表情を強張らせる。
先ほどアシュレイにした様に、ファムはライラにピッタリくっついて彼女を見上げた。
女同士でもちょっと遠慮してしまう程容量のある胸が、ライラの胸を柔らかく潰した。
とても柔らかいのにあまりいい気分じゃないのは、自分が女だからだろうか。
この感触をアシュレイも感じていたのだと思うと、ライラはちょっと腹立たしい。
ライラはファムの肩をやんわり押した。
「ね、ねぇ、近すぎるってば」
「あら、ごめんなさい。視力があまり無いの」
「だからって……」
無遠慮過ぎないか、と思っていると、今度はライラの髪に手を伸ばして触って来た。
「この髪色……」
「ねぇ、ちょっと!」
「あなた、私の知り合いにそっくりかも知れない」
ファムは本当に良く見えないのだろう、距離を詰めさせてくれないライラを、目を細めてジッと見て言った。
ライラとアシュレイは目を合わせる。
アシュレイが頷いたので、ライラは思い切ってファムに打ち明けた。
「あの……多分、知り合いだと思うの。その人、アガットっていう名前じゃない?」
ファムはそれを聞くと、ほわ、と真っ白な息を吐いて頷いた。
それから何ともいえない表情でライラを見て、手を取り両手で包んだ。
「そう――――そうです。……話を聞かせて――――聞かせてください。お家に上がって。来て。お願い」